一通の封筒


「うちに来てほしい」


 美月から連絡がきた時,喜びよりも不安が先にやってきた。文面に記されていたのは要件も記されていないたったそれだけのものだったからだ。文面や雰囲気もいつもとは違う。毎日のように連絡を取っていると,言葉尻から相手の気分の浮き沈みや違和感を少しは感じ取れるようになる。くだらない話で相手と同じリラックスした気分になることもあれば,とりとめのない話の中から心の機微を感じ取ることもできる。そんな状態を自負していたから美月からの連絡を見て余計に違和感を感じていた。

 ずいぶんと日が短くなった。がやかやとした人込みを抜けて閑静な場所に入ると,水路付近などの水回りがある場所では赤とんぼがちらほらと飛んでいる。一匹のトンボが木の葉に止まった。羽を休めて首をかしげながらどこか遠くを見つめている。その方向に目をやると,スズメが一羽虫をついばんで飛ぶところだった。自分の行く末を案じているのだろうか。トンボに目を戻すと,もうすでにそこにはいなかった。

 不安な足取りで美月の家に向かうのはこれで二度目だ。自分の中で何かが変わったあの日。ただ,あの時とは状況が全く違う。それに,何の用件かも分からず,ただ情報を得られるのを待っているということがここまで人を不安にさせるのだと初めて知った。心臓は高鳴り,のどが締め付けられたかのように息苦しい。どうか,美月の気まぐれで呼び出されただけであってほしい。この根拠のない不安は思い違いであってほしい。そう願った。果たしてその希望的観測は外れることとなる。



 一等地に入った。このまま数分歩けば美月の家に着く。自分が将来死ぬほど一生懸命働いても,決して買うことのできない家だ。美月とあの家のことについて話した日のことを思い出した。見学会などで使われた物件を買ったから注文受託のように高くはなかったと言っていた。それでも,この都会の中にあって騒がしさを感じさせない土地を買うだけでいくらかかるだろう。それに,人に見せるための家だ。実際に中身は凄いものだが,そんな家に実際に住めるのはほんの一握りだ。そもそも見学する人だって選ばれし金持ちたちに違いない。

 ふと,もしもの空想に思い至った。法律には詳しくないけれど,これから私と美月が結ばれたらどうなるのだろう。私と美月でなくても,世の中にいる同性愛者たちは社会的にどのような扱いを受けているのだろう。例えば遺産相続,例えば財産分与。いろいろな制度やお金が絡んでの問題があると思うが,同性愛者は一般的な,いわゆる普通な人たちと同じ扱いをしてもらえるのだろうか。私と美月が一緒に生計を立てることになったとしたら,親が亡くなった時にこの家を二人の財産として認めてもらえるのだろうか。なぜかそんなことを考えてしまった。考えても今は分からないし,どうしてそんなことを考えているのかも分からない。今感じている悪い予感が無理やりにでも美月との幸せな未来を想像させ,そして勝手に絶望する。もう何が何だか分からない。なにしてんだか,私。

 美月の家に着くと,チャイムを鳴らすと同時に玄関の扉が開いた。きっと,部屋の窓から私が来るのを見つけたのだろう。美月の顔を見ると不安が一層大きくなった。その唇は青く,顔もいつもの血色の良い肌がどこかへ行ってしまったようだ。昔,物心がつく前におばあちゃんが亡くなったことを思い出した。柩にはいったおばあちゃんは,化粧を施されているものの健康的に見える肌とは裏腹にまるで生気を感じられなかった。死んでいるのだからそれも当然のことだが,「まるで生きているみたいに綺麗な顔をしている」と言っていた親戚のおばさんの気が知れなかった。生きていたころのおばあちゃんはもっとバイタリティに溢れていて生き生きとしていた。おばあちゃん子でもあった私はなかなかその死を受け入れられないでいた。

 美月の辛そうで青ざめた顔は,昔のそのえぐられた傷を思い出させ,より一層私を辛くさせた。


「大丈夫・・・・・・?」

「大丈夫じゃない。ここで話すのもなんだし,長くもなりそうだから,早く上がって」


 せかすように,そして辺りを気にする風にして部屋へと向かわせる美月にさらに不安を募らせて,部屋へと向かった。階段を登りきると息が上がった。それが体力の問題ではないことは私が一番よく分かっていた。いつもの必要最低限のものしか置かれていない部屋は,部屋を広く感じさせた。今日はその空間が殺風景に見え,孤独な気持ちにさせた。


「茜は特に変わったことはなかった?」

「変わったこと? 特にいつも通り変わりはないけど・・・・・・。どうしたの?」


 私にも関わりがあるのだろうか。てっきり美月が追い込まれていたと思っていた私は,美月が私のことを心配する様子からただならぬ状態に陥っていることを感じ取った。しかし,まるで心当たりのない私はいくら考えてもなにも浮かばない。そんな私の様子を見て,美月はため息をつきながら一枚の封筒を取り出した。

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