何かが大きく崩れ落ちる音がした

 美月の部屋は相変わらずきれいだ。

 以前来た時も,ほこりを持って入るのがためらわれるぐらいに整って隅まで掃除が行き届いていたが,リラックスしてからはバカ笑いをして口元を覆うのも忘れていた。ポテトチップスのかすをこぼしてしまい,いけないと思いながらティッシュでつかみ取って申し訳ない気持ちで美月を見ると,


「みんな神経質だね~。わたしなんて昨日ジュース撒いちゃってるから,気にしないでよ」


だなんて言っていた。

 案外この清潔感はよそ行きの格好で,普段は私たちと変わらない生活をしているのかもしれない。その時はそんな風に思ったが,コロコロをかけた直後のように跡が均一についたカーペットや,きちんと縛られているカーテンを見ると,普段から私とはたたずまいと育ちが違っているのだと改ためて感じ,体が硬くなってきた。

 今日はクズの落ちにくい和菓子を家から持ってきて良かった。美月が持ってきたマグカップに注がれたココアを飲みながら,母さんに感謝した。家を出るときには,ババ臭いと思っていた無理やり渡された手土産に感謝していた。菜々美の母のようにどうしておしゃれな子どもが喜びそうな手土産を選べないのかと文句を垂らしていたが,やはり大人が選ぶお菓子はそれなりにどこでも通用するものだ。私が絶対に選ばないお菓子がこの生活レベルの違う家にはぴったりだった。

 何を考えているの? と声をかけられた。美月は私と同じマグカップに口をつけて微笑んだ。使っているものはい同じだが,私はココアで美月はブラックコーヒー。自動販売機で三人でジュースを買った時の光景が頭に浮かんだ。砂糖の入っていないコーヒーなんて飲む人の木が知れない,と言った直後,美月はブラックコーヒーのサンプルが飾られたところ指を乗せた。「慣れだよ慣れ。おいしいのを飲むと,コーヒーはブラックがいいって思うよ。余計なものをいれなくても,おいしく淹れられたコーヒーはそれだけで完成しているんだから」と胸を張って美月は言った。そんなもんなの? と私は美月の膨らんだ胸をちらっと見ては目をそらして答えた。

 数日前のことを思い出していると,不意に視界がぐらりと揺らいだ。体のバランスが急に崩れ,天地が逆転している。そのまま強い力で身体がグッと持ち上げられた。



 「えっ」と声が出た時には,体はベッドの上にあった。

 背後からするりと手が伸びてきて,乳房が手のひらに包まれたのを感じた。



 後ろから回された手にさらに力が加わる。そのまま身体を引き寄せられる。指先は繊細なものを優しくつまむような形をして,私の敏感なところを弄ぶ。思わず声が出そうなるのをぐっとこらえるが,腹筋に必要以上に力が入って身体が震えているのが分かる。私のいいところをいじり終わったその手はいったん腹部を撫でまわすようにして這い,そのまま手のひらがキャミソールを脱出したと思ったら下の方に降りてきた。

 指先で優しく触れられた皮膚が粟立った。指先が恥部に近づいてきたのを感じた瞬間,硬直していた身体がしばりつけられたいた何かから解放されたように動き出した。


「ちょっと何してんの!」


 絡みつくようにして体に絡みついていた腕を振りほどいて,飛び起きた。そのまま扉の方へと向かいいつでも部屋を出ることが出来るように態勢を整える。


「なにって・・・・・・。前,私の話を聞いたでしょ? ほら,この前バス停で」

「聞いたでしょってなに? 中学生の時に自分が何だかわからなくなって困っていたって話? 私,そんなこと関係なしで美月のことが友達として好きだったんだけど,美月はそうじゃなかったの? 私は美月を困らせる対象だったの? そんなの・・・・・・,ひどい」


 一息で言い切ると,まだ勉強道具も出していないかばんをつかみ取ってドアノブに手をかけた。美月は何を言うでもなく私の動きを見つめていた。その唇は青ざめており,いかにも体調の悪くて戻しそうな人の表情だった。

 美月をそのまま部屋に残したまま飛び出した。何かを言われるのが怖かった。早くこの場を離れたくて,部屋を出たくて,立派な門までの道のりが異常に遠い豪邸を恐ろしく感じた。

 美月は私が家を出るのを追いかけるでもなく,その日はそのまま姿を見せることはなかった。

 ずいぶんと長く感じた廊下と階段を早歩きで歩ききった。靴を履いて,あとはまっすぐ帰るだけ。

 靴を履くその時間も惜しい。ローファーのかかとを踏みつけながら玄関を出ようとすると,後ろから声をかけられた。


「あら,茜ちゃん。今日も遊びに来てくれていたのね。また会えて嬉しいわあ。もう帰っちゃうの?」


 「そうなんです。お邪魔しました」と急いでいる風に装った。玄関の扉に手をかけながら,美月のお母さんは私が遊びに来ることを知らなかったのだ,と思い至った。かつてヒステリックを起こしたお母さんが,その落ち着いた柔らかい口調とは裏腹に心配そうに私を見つめるている。


 何を思っているの? 

 何か心配なことがあるの?


 きっとその心配は当たってる。そんなことを考えながら,「失礼します」と簡単な挨拶だけをして私は家を出た。 

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