He or She〜美月side〜

 どちらかに偏っていない。極端でない。道の真ん中に線が引いてあるライン。中庸っていうのはそういうものだ。自分を貫くっていうのは大切なことだって世間は言う。よくみんな,ありのままの自分を大切に,だなんていうけど,あれはもともと心理学の分野から生まれた言葉だ。心が弱っていたり,守られる立場の人を救うために声高に言い出したことなんだ。それを,私たちは権利が主張されているから,ってなりふり構わず好き勝手するのは話が違ってくる。言葉が独り歩きするっていうのは恐ろしいよな。何が言いたいかっていうと,・・・・・・つまりな,大切なのは偏らないことだ。自分が正しいって思わない。相手が絶対に間違っているって決めつけない。完璧を求めない。できるだけ真ん中を意識するんだけれど,自分が真ん中にいるって思わない。そうして真ん中を探りながら,できるだけそこに近いところへいるようにするんだ。人はみんな,自分は普通って思って生きている。だけど,きっと自分はずれている。そんな感覚を持っていなきゃいけない。そして,自分が作った枠組みから外れている人をつついてはいけない。みんなで寄ってたかって攻撃してはいけない。みんな,周りに人を大切する能力を持っている。そして,きみたち一人ひとりに価値がある。愛されるべき存在だ。その事を認め合って助け合える。それが日本人てものなんだ。


 何の話をいつされたのだか忘れたけれど,ある時に先生はそう言った。自分が普通だなんて思っちゃいけない,常に自戒しなければいけない。まるでその自分の考えがこの世の真理で普遍的で普通なものであるかのように語る姿にひどく違和感を覚えたことだけは覚えている。だけど,自分とは何かって考えた時に,先生の言っていた『普通』とは全く違うけれど,ひとつ自分の中で落ちるものがあったのは確かだ。

 道の真ん中に線が一本引いてある,中央分離帯のような存在。

 右側の車線にも,左側の車線にも,反対車線にも属していない。

 中庸っていう感覚は私にぴったりな気がした。女の子だという感覚がなければ,男の子だという感覚はない。生活するうえで女子トイレには入るし,着替えも女子更衣室で済ませていた。ただ,何の気なしに着替えることが出来る日があれば,やたらと周りの目線を気にしたり,周りの体が気になることもあった。

 発達の早い子は小学校の高学年にもなると肉付きが良くなったり,胸のラインが上着の上からでも浮かび上がるようになる。そんな女子を横目に見ては赤面し,興奮と罪悪感の渦にの中をぐるぐるとまわって着替えられなくなる。

そういうことがあった次の授業には遅れてしまい,遅刻の原因を体育の先生に伝えることもできず下を向くしかなかった。

 そんな日々を繰り返しながら私は私が何者かわからなくなった。もやもやしながら,その思いを吹っ切るかのように襟足を短く切った。ちょうど,失礼した女性が髪を短く切るようなものだったのだろうか。ただ,その時の自分には髪を切るその行為そのものがとても意味のあるものに感じられていた。父親のバリカンを引っ張り出し,ツーブロックのようにして刈りあげてやろうとも思った。いざ刈りあげようという段になって,3面鏡で自分の姿が映し出されたのを目にした時,男の子のような恰好をしたいわけではないと思った。ますます自分が分からなくなった。

 そのあとの生活をどのようにして過ごしたのかははっきりと覚えていない。どうしてそんな男の子みたいな髪型にしたの,と問いかけられたような気もするし,男子にからかわれたような気もする。もしかしたらひどく嫌な思い出だったのかもしれない。人は,自己防衛本能として記憶をすり替えたり嫌なことを忘れたりする能力が本能的に備わっていると聞いたことがある。

 違和感を感じながらもなんとか小学校を卒業した。中学校に進むと,本格的に英語の授業が始まった。そこでも困ったことがあった。困ったことは、いつも私のすぐそばに潜んでいる。ある日の授業で,友達の紹介文を英語で書こう,という活動があった。友達が私に当てて書いた初めの一単語がどうしても自分のことを示していると思えなかった。

 She と書くべきと感じる自分と,She でも He でもないという葛藤が自分の中にあった。英語を勉強するのが嫌になった。大人になると,性別関係なく日本語では一人称を私という。なんて素敵な言語だろうと反対に日本語に魅力を感じた。英語では一人称に詰まってしまったが,勉強を進めるとThey などに性別はないことを知り,英語も捨てたもんじゃないと思った。要するに,私は無知だった。それでも,無知というのは良いことだ。学びたいという意欲を掻き立てる。

 言語に興味を持った私は,いろいろな言語にまつわる本を図書館で読んだ。びっくりしたのは,名詞の中には女性名詞と男性名詞があるということだ。例えばフランス語では,ビールは女性名詞でワインは男性名詞と書いてあった。本を女性名詞と学んだ時にはそんなものかと納得した自分もいたが,学べば学ぶほど分からなくなる。

 性別ってなんだろうと考えるようにもなった。体のつくりは女の子だけど,自分を女と言い切れないと感じているところもあった。

 そんなことを強く感じていた中学二年生のころ,事件は起きた。

 私の回りには,あまりにもたくさんの困ったことが転がっている。

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