Who am I ?〜美月side〜
違和感を感じたのは小学3年生の時。身体測定のために保健室前にクラスの全員が入り乱れていた。「男子は右側,女子は左側に並びなさい」という先生の指示にとっさに反応できなくて,一人,立ち往生というほどではないけどぼーっと列に入れないでいた。
「どうした? 自分が男子か女子か分からなくなったのか?」
と担任は冗談めいた口調で言い,周りも笑っていたけれど,その時の私にはその表現が妙にしっくりきた。心の性が男子であるとか,女子であるとかのどちらかではなく,そのどちらでもないというのが自分を表現するのにふさわしいように思えた。
2つのうちのどちらかが解答なのに,そのどちらにも当てはまらないという感覚は自分の精神を若干不安にさせた。
体重が何キロだだったとかをクラスの中で話題にするのにも,男子に聞かれるよりも女子に聞かれる方が恥ずかしかったし,体重計を見るのは必ず女の先生だったけれど,赤くなって数字を聞く前に靴を履いて逃げるように視力検査に向かったりもした。
だからといって,自分の心の性が男だと感じるわけではない。
自分って何者なのだろうと考えると頭が混乱してきておかしくなりそうだから,考えないようにした。みんなは自分が何者かはっきりと説明できるのだろうか。私は私であることを証明するための何かを持っていなかった。
足の速い男子をかっこいいなって思ったり,思いやりがあって面白い男子を素敵だなって思うことはあった。だけどそれと同時に,私は本当に女の子なのだろうかという感覚が芽生えてきた。それはある出来事がきっかけだった。
小学校のPTAの行事で,休日に体育館で集まるイベントがあった。児童と保護者と教師が集まって,ドッジボールをしたり,豆つかみをしたり,借り物競争をしたりするのだ。私たちは年に一度の学年で集まるこの行事を楽しみにしていた。
集合時間よりもずいぶん早く子どもたちは集まる。
ただ,この日の私は運悪く学年の誰よりも遅い時間に体育館に到着した。私が朝寝坊したことと,車のエンジンの調子が悪く急遽近くに住む叔父の車を借りることになってそれに手間取ったことと,道路が渋滞していたことなど,様々な不幸が重なった。そうでなければあそこまで追いつめられることはなかっただろう。あの年頃の子供たちは無防備に悪気無く同級生を傷つける。悪意なく向けられた鋭利な刃物ほど恐ろしいものはない。
普段は制服でしか集まらない集団が,かわいいスカートを履いたり,気取った重ね着のシャツを身に付けたり,学校では身に付けられないイヤリングや色付きのリップをしたりしておしゃれを楽しんでいた。そこは,私立の小学校に通うことが許された裕福な坊ちゃんやお嬢様が集うかわいらしいファッションショーのような様相を呈していた。
集合時間もぎりぎりになって体育館の熱気も徐々に上がり始めたところで,私は到着した。暑かった空気は一瞬で少し冷水を足したみたいに複雑な温度になった。
ミリタリーなポロシャツにダメージジーンズ,肩からかけたポシェットという格好を出登場すると,制服姿しか見慣れていない同級生はざわついた。
「そんな感じの私服なんだ。なんだか雰囲気が違うね」と休み時間はいつも一緒に過ごしていた友達は言った。
「別にいいんじゃない。私たちとは違うなって,他の人とは違う価値観を持っているんだだろうなって,私は思っていたけど」
私のなかで,渦巻いた感情がぐるぐると湧き上がって,竜巻のように砂塵を散らすのを止めることが出来なかった。
友達が周りがざわついたのに気を遣って声をかけてくれたこと,人それぞれだと懐の広い態度を示してくれたこと。
そのことは分かっていたのに,言葉を聞いた瞬間に私のなかでスイッチが入ったのが分かった。それは言葉として表に出るわけではなく,暴力の行使によって周りを従わせるものでもなかった。
「私は他の人と何も変わらないよ。もちろん,意見が食い違ったり,好きな食べ物や遊び方,家での過ごし方は違ったりするかもしれないけど,私が他の友達とどんなところが違うっていうの」
頭の中で反論をしてそれを言語化しようと回路を駆け巡っているうちに,
「ちょっと,言い過ぎだって。私たちとおんなじ女の子じゃない。差別は良くないよ」
と近くにいた女の子の一人は言った。
その言葉が一番心の奥深くに,ガラスが刺さったように深く,鋭い傷跡を残した。
みんな,私を心のどこかで異端なものとして感じていたんだ。
それを口に出すことは,どこかはばかられるほどに,私は異質な存在だったのだ。
自分のアイデンティティにこれほど混乱して,矛盾して,抗えなくて,嫌悪に満ちた自己弁護をしたことはなかった。一方では確かに他の人たちとは一緒だと感じていたのに,確かに他の人たちと共感できなかったり,違和感を感じることがある。これはいったいどういうことなのだろう。私は人とは違う要素を持っているのだと,そのときはっきりと感じた。
ドッジボール,豆つかみ,借り物競争,すべてのイベントは私のレンズを通して確かに行われていたが,ピントが合わずぼやけてしまい,別世界で行われているみたいだった。
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