更衣室に潜む魔物

 校舎から出てすぐのところにプレハブ式の更衣室がある。このご時世にもかかわらず我が高校は生徒の数が年々増えていき,去年はとうとう入学者の募集人数が一クラス分増えた。何に魅力を感じたのかは分からないが,選んだからにはそれなりに先輩を敬いながらのほほんと暮らしてくれたら良い。ただ,良かったことが一つある。これまでぎゅうぎゅう詰めで着替えていた更衣室を半分の人数で使えるようになったことだ。

 部活ごとにそれぞれ使う部室はもともと飽和状態であったが,新入生用の部活のために更衣するプレハブが今年は建てられた。放課後は一年生が使うそのプレハブを,授業で着替える場所として使ってよいこととなった。

 おかげさまで,一人ひとつの荷物を置くロッカーが使えるようになり,夏場の汗をかいた素肌を寄せ合いながら着替える必要もなくなった。

 それでも扉を開けると,こもった汗のにおいと芳香剤と,汗拭きシートの匂いが入り交じり,おまけに高い湿度も相まって息が詰まりそうだ。そして,更衣室にはいつも悪いやつがいる。


「ひゃっっ!!」


ブラウスをまくり上げて脱ごうとしたタイミングで,「いただきー!」という声と同時に正面から伸びた手に胸をつかまれた。

 やられた。視界がふさがった絶妙なタイミングを狙い撃ちされた。これは”狩り”と称する菜々美の遊びの一つで,この”狩り”が始まると更衣室が混乱することがままある。混乱する元凶はもちろん菜々美にあるのだが,恐ろしいのが菜々美のセクシャルハラスメントを皮切りに,その欲深さが伝達して周りの人たちを次々と発情させていくことだ。一度,体育の前の行為の時間に菜々美が発端の発情フェロモンが狭く煮えたぎった更衣室を支配し,その空間にいるものをみんな揉み合い合戦に巻き込んだことがある。体育の時間には大幅に遅れ,「どうして一人残らず全員がこんなに遅れるんだ」と怒鳴り散らしたところに,「携帯を持った男子が窓の付近をうろついていた。洞察された疑いがあって全員で解決のために動いていた。実際に被害を受けていた生徒がいたが,本人はひどく傷ついており,今は決死の覚悟でこの授業に参加しているからこれ以上は深く踏み入らないでほしい」と菜々美は堂々と嘘八百を並べた。よくもそんな嘘が付ける。そして,この言い訳発揚するのだろうかと体育教師を見ていると,妙に納得した様子で「事情は分かった」と言って咎められもせずに授業が始まった時には,みんなが心からの拍手を菜々美に送っていたように感じられた。その日の放課後にはなぜか無実のエロがっぱが生徒指導室に呼び出されたため,架空の犯人としてエロがっぱが盗撮していたと私たちは間違って記憶することにもなっている。

 とにもかくにも,菜々美は”狩り”を行うハンターとして多くの結果と被害者を生み出してきた。このハンターは目をギラギラさせてあたりを伺い,無防備にしようものなら餌食にされる。更衣室で狩られるのはまだ良いが,男子のいる教室で大きな声で狩られると,耳が熱くなる。「いいぞー! やれやれ!」とか,「おれも混ぜて―!」とか言って割り込んでくる無神経なやつや,何を言うでもなく見入っているやつ,思わず視線を逸らす内気な男子を見ているとこっちが恥ずかしくなる。

 今日は油断していた。久しぶりに餌食になった。


相変わらず,油断も隙もない。


「なーにしてくれんのよ。このエロぎつね!!」

「そんな魅惑のボディをさらけ出しておいて,なによ!! この伝説のハンターが,見逃すものかーー!!」


私が菜々美と押し問答をしていると,「ひゃっっ!!」とまた声が漏れた。

「スキありーー!!」という線の細い声とともに今度は後ろから柔らかく胸を包み込まれた。


「ちょっ,美月! あんたまで何すんのよ!!」

「おぬし,やるのー,この弟子は取らぬ主義だが,貴様とならこの世で手に入らぬ乳などなさそうじゃ!! 胸の扱いにも慣れておる。おぬし,手練れじゃの。」


 正面で菜々美がほくそ笑んでいる。胸をつかまれたとっさの反応で脇を絞めるような格好になってしまい,結果的に脇の下から入り込んだ美月の腕を固定する形になってしまった。

 胸を非常ベルの赤いランプを包むように置いていた手のひらが,するすると下に落ちてきたかと思うと,両方の人差し指が突起した部分をいじりだした。ちらっと菜々美の方に目をやると,ブラウスの中に手を入れられた形になっているため,服の中でどのような動きをしているかは分かっていないようだ。


「ちょっ,長い長い! もう終わりだから! ・・・・・・やんっっ!」


 頬を染めながら抵抗していると,指が感じやすいところをつまんだり優しく押し込んで円を描くように撫でてきて,思わず声が漏れてしまった。近くにいた数人がこちらを振り向いた。


「ぬおぅ。もしかして,テクニシャンなエロチシズムに,エクスタシーを感じておるな? むふふ。」

「むふふ。じゃないわ! 美月!! 終わり終わり!!」


強引に手を払いのけ,美月の胸に奇襲攻撃を仕掛けに行った。


「ごめんごめん。楽しそうにしているから,悪乗りが過ぎちゃった。」


 うっすら涙を浮かべなら笑い,ごめん,といって舌をぺろりとだした。

 アニメでしか見たことのない動作に,思わずどきりとした。


「あー,体力使った。今日はもう体育できない。さ,遅刻しちゃうよ。いこ」


 笑いながら三人で体育館へと足を向けた。靴を履きながら,下半身の下着が汚れていることに気付いた。どうにもすることが出来ず,気にしないことにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る