おはよう友達
「おはよ! 今日の小テストいけそう?」
教室に入って席に着くと,美月が声をかけてきた。その表情は昨日の別れ際と同じだ。まるでこれまで長い付き合いがあったみたいで,昨日まで感じていた壁は一体どこにいってしまったのだろう。人というのはふとした表紙に絶対に超えられないと思っていた壁を軽々と超えてしまう。そのきっかけはきっとそこら中に転がっている。それは共通の趣味かもしれないし,好きな人かもしれないし,同じ価値観からくることもあるだろう。私たちが注意しないと気付けないだけだ。これまでないと信じていた壁が突如絶望的な高さで目の前に現れることもあるけれど,それはそれで人間は面白いと懐の広い人は言ってのけるのだろう。私たちは不安定で,周りの目を気にして,誰かに認められたくてこそこそと生きるしかないのでけれど,少なくとも私と美月が走っている道には壁花見当たらないように見える。いい方向に進んでいきそうだ。
年を取るっていうのは不思議なことだと思う。小学生くらいの頃までは,壁なんて存在しなくて,距離感なんてものすごいスピードで詰まっていっていた。それが中学生くらいになると,クラスでの立ち位置や,周りの顔や,クラスの雰囲気を察知して探り探りに生活するようになってきた。
大人になると,壁は壁のままで,ずっとそこにあり続けるのだろうと思うと,こうして人とのかかわり方を調節できる今をありがたく感じた。
美月と談笑していると,威勢のいい声が私たちの方へ伸びてきた。夏空によく似合う声だ。室内では耳にあまりよくはなさそうだけれども。
「なになに~。昨日何かあったっけ? 急に仲良くなっちゃって。美月ちゃん美人でちやほやされてるんだろうけど,私の相棒の茜を取らないでよ。私から茜を取ったら,知性と,品と,有意義な時間しか残らないんだから!!」
席に座って小テストの範囲を確認したものの一向に進んでいなかったテスト勉強の最中,菜々美が登校してきた。これで勉強に歯止めがかかることは必至だ。どれだけ歯車がかみ合ってスムーズに勉強がはかどっていても,菜々美がいるとどこかの隙間にものが詰まったみたいに,いや,歯車がかみ合いすぎたて身動きが取れなくなったという表現が適切なくらい,物事ははかどらなくなる。だけど,嫌な気持ちは一つもしない。むしろ,気の張らないストレスフリーな空間をここまで作り上げる天性の能力に感嘆してしまう。
フレンドリーでフランクで,人付き合いが上手。少しきつめの言葉も,菜々美が言うとどこか暖かくて安心感がある。どんな言葉を投げかけても,その言葉には全く刃がなく,親しむを込めているのが伝わる。
言葉が表面的に与える印象と,伝わりかたがこうも違うのは,菜々美の人柄ゆえだろう。きっと,世界が滅びる呪文を菜々美が唱えたとしても,人々は幸福な最中で最期を迎えることが出来るだろう。ほんと,こういうところは尊敬する。いや,ちょっとばかし盛大に褒めすぎたかな。でも,これぐらいの特大な過大評価をしてしまうくらいに私は菜々美が好きだ。
「なに訳わかんないこと言ってんの? 知性も品も感じたことないわ。それに,私が無駄な時間を提供しているみたいじゃない。いっつもあほみたいに大股広げて生産性のない話をしているのはどっちだっての」
負けじと私も菜々美に憎まれ口をたたく。私たちはいつもこうだ。誰よりも一緒にいながら,傍から見るとケンカをしているんじゃないかってくらい痛々しい言葉を互いにぶつけ合う。だけど,私たち二人に一切相手を打ち負かしてやろうとか,痛めつけてやろうとか,不幸を願う気持ちはない。むしろ,何でもいいあえ,冗談のようにきつい言葉を投げかけられるくらいにお互いのことを分かっている。私は昔,こんな友達が欲しかったのだ。この高校に入学してから私は菜々美に会えた。それだけで満足だ。
どうしようもなくくだらなくて聞くに堪えない私と菜々美のやり取りを,美月が微笑みながら見ている。嘘偽りのない天使の微笑を見せているところから,きっと私たちの関係性を理解しているのだろう。それに,悪意のない言葉というのは聞いていてわかるものだ。私たちの釣り合いのとれた罵詈雑言を不愉快ではないものとして受け取っている。それだけでなんだか嬉しかった。時には言葉がどうしようもなく深いところに入り込んで人を傷つけることもあるけれど,こうして和やかに安心感を与えることもある。私たちはずいぶん紙一重の所にいるような気もするが,当人にとっては安心のど真ん中なのだ。何も気にすることもない。
今,私は私たち三人を客観的に見ている気分だ。それに気づくと,妙にくすぐったい気持ちになる。
あれ,なんだか,私たちバランスが取れている。
そんな思いが頭をよぎった。二人とも本当に穏やかな顔をしている。みんな同じ思いだと嬉しいな。
そうこうしていると,チャイムと同時に小テストをもって担任が入ってきた。
じゃ,健闘を祈る。と菜々美が私たちにグータッチをして席へと戻っていった。
何にも勉強していないのに
美月がくすっと笑って席へ着いた。
この日を境に,自然と私たちは共に過ごすようになった。
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