このモノクロの世界に色が付いた

 彼女が初めてこの教室にやってきた時の空気感は忘れられない。アニメの一コマを見ているように,本当に時が止まったようだった。

 HRの始まりを待ちながら机の整理をしていると,担任が入ってきた。後ろに女の子を連れて。

朝のHRの時間に担任の先生と共にその子が教室に入ってくると,教室の時間の進み方が明らかに変わった。それまで,雑談を楽しみ両手を叩いて大声を上げていた人たち,険しい顔で昨日のテレビの批評をしあっていた人たち,彼氏とうまくいっていないという悩みを打ち明けてそれを聞いている人たち,あこがれの先輩にデートに誘われた後の話を面白半分で聞いている人たち・・・・・・それぞれの時間を過ごしていた全員の時間が一度に止まり,教室の前扉に視線が注がれた。これまでチャイムが鳴った後に担任が教室に入って全員がその行動に注目したのはクラス替えをした初日だけだったのに,なぜか夏の始まりを告げたこの季節にその二度目が訪れた。不思議な瞬間だった。彼女のあふれ出るオーラが教室のみんなをそうさせたのかもしれない。

 桜が吹雪く季節に人は出会い,別れる。セミが鳴き始めてじっとりと汗をかくこの季節に,新鮮な出会いはふさわしくない。

 胸のふくらみの間からじっとりたまった水蒸気が,小さな滴となっておなかの方に降りてきた。


「昨日も言ったように,今日から新しく一緒に勉強するお友達が増える。お友達っていうお年頃でもないか。まあ,分からないこともあるだろうから,みんなもいろいろと教えてやってくれ。では,自己紹介をしてもらおうか。」


担任の説明ともいえない紹介は誰の耳にも入っていないようだった。クラスのみんなの注目は,この後に発せられるであろう転校生に注がれた。その日,彼女が言った言葉は覚えていない。ただ記憶しているのは,その女子生徒が教室に入ってきた瞬間教室の空気が一変したことだけだ。

 モノクロの世界がほどよい桃色に染まっていくように,曇り空がコマ送りで晴れていくように,空間を支配するモノクロの世界が一気に華やいだ。

 新品の,新品よりも光沢を見せた綺麗に手入れされたローファー。

 ひざ丈のスカートから伸びている白い肌。その肌は,日に当たったことがないように純白で透明感があるが,運動をしている人独特の,とりわけ長距離走で持久系の筋肉を思わせる筋がきれいに足のラインに沿っている。

 折り目が丁寧についたブラウスには,清潔感こそ感じれど着崩したとていやらしさを感じさせない。それなのに,どこか艶めかしい。

 首元にかけて徐々に膨らんで緩やかに沈んでいく胸元は,女子の私でも思わず目をひいてしまう。 頭の片隅で,その形と,色と,感触とを想像してしまう自分がいる。きっとそのスタイルからは不釣り合いな脂肪が綺麗な形を整えてそこに存在しているに違いない。そしてその中心にあるものは汚れを知らない淡いピンク色で生命の泉を放出させる時を待っているのだろう。

 首はすらっと長く,かといってキリンを彷彿させるような不格好さではなく,インド系の美女が登場する映画に出てくるハリウッド女優のような上品さを感じさせる。

 目は極端に大きいわけではないが,大きな黒目をきれいに飾り付けるように綺麗な二重で,その圧力はブラックホールのようで見つめ続けていると思わず吸い込まれてしまいそうな感覚に陥る。

 その大きな瞳と筋の通った高めの鼻からは,柔和な雰囲気を全体から醸し出しながらも柔らかい雰囲気よりは芯の通った強い女性をイメージさせた。

 控え目に言って,美しい。今までこんな同級生を見たことがない。いや,同級生どころかこんな華やかな別世界から来たような人に出ったのは初めてだ。芸能界に入るような人はみんなこんなオーラを持っているのだろうか。私たちとはまるで違う。生まれながらにして持ったもの,それは容姿のみではなくどこかもっと深い別の所からも湧き出てくるようだった。

 きっと,教室にいた全員が同じような感想を持ったに違いない。それほどに強烈で,刺激的で,魅力的だった。転校生が何かを言った。確か,それは特別変わったことではなく「これからよろしくお願いします」といった差しさわりない言葉の前に出身地などが添えられた程度のものだった。

 言葉とは,何を言うかではなく誰が言うかで人にどのような影響を与えるかが決まるということをその時に初めて知った。それほどに衝撃的な瞬間だった。

 モノクロの世界が華やかなピンク色に彩られ,彼女が席に着くと再びこの世界の色は現実者へと戻っていく。思えば,周りの人は,特に女の子は私ほど深く感受性を刺激されていなかったようにも思えてきた。これは私の中にある特別な感情だったのかもしれない。

 静かな演出をしていたこの空間の中でまるで宇宙空間にいるような真空を感じていたが,意識が徐々に正常に戻ってきた。外ではアブラゼミがこの出会いを祝福するかのように,いっそう大きな音を鳴らすために一斉に体を震わせ始めた気がした。

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