ある晴れた夏の朝

 気温の上がり切らないさわやかな夏空の下でいつもの通学路を通って登校した。勉強は大変だし,つまらないと思うこともたくさんあるが学校は嫌いではなかった。でも,今日は億劫な気持ちで教室に入る。

 いつもの空気,いつもの顔ぶれ,いつもの机。

 クラス替えの時や休み明けでいつもと空気感が違うことは年に数回あるが,馴染んでしまえばいつもと変わらない光景。そんな中で,いつもと変わらなかった男がいる。昨日から通称エロがっぱとなった樋口。教室に入ると,私の右斜め前には机に座って熱心に勉強をしていた。私が登校したのに気付くと,「おっす」と声をかけてきた。その後,一瞬視線が胸元に移ったのを感じたが,なんでもないように学習参考書に視線を落とす。


 見てんじゃねーよばーか。ほんと,男子ってくだらない。好きな女優を語るときも,胸がどうだとかお尻がどうだとか,他に見るところないのかよ。女の人の体の話が終わったかと思ったら,昨日はヌいたかヌいてないだとか,おれはあいつなら何回でもイケるとか。うさぎかよ。


 昨日のことを思い出して怒りと羞恥心とが込み上げてきたが,エロがっぱが熱心に勉強している姿を見て,今朝は数学の小テストがある日だと思い出した。

 やべ,今日小テストじゃん。と思わずつぶやいてかばんを漁る。最悪だ。問題集もノートも家に忘れてきてしまった。家でノートを開くわけでもないのに,何をやっているんだか。普段はできるだけ荷物を軽くするためにほとんど荷物を持って帰らず置き勉だらけなのだが,小テストや定期試験があるときは使いもしないのに全て持ち帰ってしまう。重たい勉強道具を一式持って帰ると満足してしまうのは昔から変わらない。

 はあ,とため息をついて辺りを見回した。菜々美のところに行ってノートか教科書を借りようと思ったのだ。もちろん,私よりもマイペースでのんびり屋の菜々美はまだ登校していない。小テストがあろうと何があろうと遅刻ギリギリの時間にやって来る。その態度は一貫していて,朝から全校集会があってHR前に体育館に集まるときには遅れて入場するほどだ。1000人近くいる生徒の視線を一斉に感じても全く動じない鉄の心臓はある意味羨ましくもある。


「おっす。見る?」


エロがっぱがばたばたと慌てている私の気配を察してか,後ろを振り向いて参考書を差し出してきた。気が利くやつだと思ったのもつかの間,視線が上から下へと動くのを捉えると昨日のことがまた思い出された。


見る? じゃねえよ! 見せてくれてありがとうだろうが!! だいたいその後ろの振り向き方は何なんだよ。下半身は前を向きながら上半身を後ろにひねらせ,左手の肘は椅子の背もたれに掛けちゃって。それでもって,右手に持った参考書を差し出してくるものだから腰の体操をしているようにしか見えない。雑誌か何かを見たポーズだか分からないけど,それが似合うのはハンサムな外人だけだって。自分らしく鼻の下を伸ばしながらキュウリでもかじってろ。外国人がモデルのファッション雑誌じゃなくてエロ本でも見ながらな!


と心の中で罵倒した後,「ありがとう~」と上ずった声で参考書を奪い取った。エロがっぱは一緒に見るつもりだったのか,驚いた顔をしていた。椅子をこちらにもってきて,「今日はこの辺が範囲だぜ」だなんて言ってくるのを露骨に気付かぬふりをした。それでも話しかけ続けてくるエロがっぱを視界からかき消すように参考書で顔を覆うと,諦めてノートを開いて勉強を始めた。


家に帰ったら参考書に染みついた残り香でも嗅いでろ


そんなことを思いながら,うんこの香りがする消しゴムのカスを参考書にはせる下等ないたずらに精を出した。これは菜々美がこの前お土産でくれたものだ。いやがらせ以外の何物でもないと思っていたが,こんなところで役に立つとは。もはやどこに行った時のお土産なのかも思い出せないただ異臭だけを放つその消しゴムは袋に入れたまま机の横にかけていたが,その天命を果たす時が来たのだ。今使命感と共に消しゴムという本来の役目とは全く違う働きをしてその仕事を務めようとしている。何とも情けない一生ではないか。来世は人間に生まれるといいよ。エロがっぱ以外のような。くだらない妄想にふけりながら作業を続けていると,担任の先生が小テストと出席簿をもって教室に現れた。しまった。私は今まで何をしていたんだ。お門違いだと思いながらも全く生産性もない時間を過ごさせた元凶である男の背中を睨みつけた。チャイムが鳴ると同時に菜々美が教室に入ってきた。

 案の定,その日のテスト案の定散々だった。帰りのHRでは小テストが返されたが,文句の言いようがないほどに完璧な赤点だ。居残りでの追試を覚悟してむしゃくしゃしながら,何に当たればいいかもわからずうなりながら頭を抱えていた。HRの終わりに


「明日から転校生が来ることになったから,みんな仲良くするように」


と言って担任の先生は去っていった。唐突な発表に教室はざわついていたが,そのあと何も説明をしない担任の態度がより一層生徒たちの興味を沸かせた。

 絶望感に打ちひしがれていた私はそれどころではなく,涙を浮かべながら机に彫られたLOVE♡の文字を指でなぞっていた。

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