私はあなたがいいのです
文戸玲
カッターシャツと竹馬の友
クローゼットを開けて,下着入れに使っているタンスの一段に指をかける。そこから花柄でフリルのついた白色のブラジャーを手に取った。寝る時にはブラジャーを身に付けずに寝るから,ときどき上と下の組み合わせを間違えることがある。でも,昨日のことははっきりと覚えているから間違えようもない。昨日のお風呂あがりに履いた下着は,白色だ。このことは間違いない。わざわざ確認しなくてもそのことははっきりと覚えている。普段は,手前から順番に何も考えずに下着を取るのだが,昨日は違った。意図的に下着を手に取る必要があった。それは昨日の出来事のせいだ。私はこの日をきっといつまでも忘れないだろう。
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「茜,後ろのエロがっぱが鼻の下伸ばして下着見てたで」
私は顔を真っ赤にして,「どうしてもっと早くおしえてくれなかったの」と菜々美を問い詰めた。
今日から気温がグッと上がると天気予報士の綺麗なお姉さんが言っていたので,慌てて半袖のカッターシャツを取り出して,上着も羽織らずにいつもならしている姿見での着こなしチェックもせずに登校した。そのことがあだとなる。
この日は運悪く黒の派手な下着を身につけており,薄手のカッターシャツはその機能の半分以上を果たすことなく私の皮膚や身にまとっているものを透かせて下着のラインをくっきり浮かび上がらせていたのだ。
「ほんとうける。いつもは爆睡かましてんのに,今日は一睡もせずにペンを握りしめて前だけを見てんだから。焦点は黒板よりもずっっっと手前にあったけど」
げらげら笑いながら,私の後ろの席に座っている樋口くん(彼のあだなは今日からエロがっぱになってしまった)の様子を話す菜々美にパンチを入れながら,「朝教えろよ!」と文句を垂れた。菜々美にはこういうところがある。人のことを観察する力に長けており,どんなことを考えているとか,こうしてあげたら親切だということに人一倍気付けるくせに,楽しいことを最優先させる。今回の犠牲者は私だ。ただ,笑えない。
「幸せそうだったし,それに,どうしようもないじゃん?」
悪びれる様子もなく菜々美は言う。
「そうやって菜々美は一日中楽しんでたんでしょ。ほんと性格悪い。てか,分かってたら体操服とか着てたし」
「えー,くそださいロゴが透けてでも? まあ一人の男を幸せにしたってことで,あんたはいいことしたよ」
何を言っても無駄だ。今日も,こっちの気持ちはお構いなしに第三者的な立場でその場をただ楽しんでいた。そこまで人のことを陰で笑えるメンタルをどのようにして育んできたのか聞いてみたいぐらいだ。こんな菜々美だが,無神経に人を気付つけることをするかと言えばそういう訳でもない。小学生の頃は上級生を相手にしていじめられているクラスの友達を,自分の危険も顧みず罵詈雑言を散らして撃退したぐらいだ。その上級生の男子も,さすがに下級生の女の子に手を挙げるのは情けないと思ったのだろう。居心地の悪そうな顔をしてその場を去っていったのは今でもはっきりと覚えている。その時のいじめられていた子のほっとした顔と菜々美の凛々しい顔は神秘的な喜びを描いた絵画のように輝いていた。
そんなことを思い出しながら,電車で通学している菜々美と駅まで続く道を歩いた。沈んでいく夕日に頬を照らされて紅潮した菜々美の表情は掴みどころがない。明るくて誰にでも気さくに話しかけられる正確で愛されキャラだが,そのキャラクターとは裏腹に整った顔立ちをしているため男子は結構話しかけにくそうでもあり,お気に入りの座が欲しいためにご機嫌を取ろうとする。なかなか複雑な立ち位置にいるが当の本人は何も考えていないように見える。
道路わきに目をやると,この前まで枝いっぱいに花を付けていたソメイヨシノはいつしかピンクのじゅうたんを作っていたがその痕跡もきれいに消して青々とした葉が残るだけとなった。こうして時間は過ぎていくのだろう。この間高校に入学したと思っていた。友達もでき,初めての環境になれてきたと感じたところで気付けば高校二年生の夏を迎えようとしている。このままあっという間に卒業することになるのだろうか。そうなるときっと菜々美とは別れることになるだろう。私たちは目指している道が違う。違うと言っても,菜々美には明確な夢があり,私にはまだこれといった夢がないから選択肢が狭くならない無難な普通の大学に進学を希望しているだけなのだけれども。いや,その前に本当にどの大学に進学したいのか進路を決めなければいけない。次に桜が咲くのを見るころには,大学受験を意識して花見とか言ってられなくなるんだろうな,と思うと,花見やピクニックを楽しんでおけばよかったとも思う。
何でもない毎日がどうしようもなく楽しくて,普通の生活を普通に送る普通の女子高生。たまには年頃の悩みを抱えたり落ち込んだりすることもあるけれど,それも人並みで自分ほど癖のない人はいない。そう思っていた。
この時は,まさか自分がおかしくなって頭を抱えることになるなんて,微塵も思ってもいなかったのだ。
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