或詩人の死

分身

第1話

 詩人は独りランプの灯りの下で詩を書いていた。其れは宇宙についての短い詩であった。然し彼には霊感が降りてこなかった。彼は祈る様な心持ちで只管想を練り続けた。が無駄であった。彼は立ち上がって杯に満たしたワインを一口飲んだ。そして腰掛けに腰を下ろし一息ついた。最近はどうも筆が進まない。年齢をとったせいかも知れぬ。何より若い時の様に感激することが無くなった。心が老いている。其れを最近は痛感させられた。時間が無い。この先幾ら詩をものに出来るだろう。彼は望遠鏡を覗き天蓋の星々を見た。其れは宝石の様に美しい。が、筆は進まない。書けば書く程ポエジーが失せてゆく。散文的になる。詩人はすっかり嫌気が差して机から立ち上がった。そして階段を下りて表へ出た。秋の夜風が頬を撫でる。虫の音が鳴り響く。彼はこの様に度々夜の散歩を楽しんだ。歩くのは想を寝るのに良い。歩いて想を得て書き上げた詩は数知れぬ程であった。果たして今宵想を得る事が出来るかどうか。彼は必死の思いで歩み続けた。ポエジーが必要だ。硬質の文体で紡がれた金剛石の様なポエジーが。若い頃は霊感に導かれて次からから次へと着想を得て或晩は一晩中筆を走らせた事も有った。だが今では──神よ聖霊の満たしを恵み給え。詩人は満天の空を見上げた。遥か遠くより煌めく星々を眺めると自然と涙がこみ上げてきた。嗚呼馬齢を重ねてしまった。彼は老境に入って以来一つの決心が有った。詩作が能わなくなれば自死を選ぼう、と。


 人里離れた丘の上に在る詩人の元に客人が有った。麓の教会の牧師と云う黒服の男である。この度老朽化した教会堂を立て直すにあたり記念の歌を作りたい。就いては是非作詞をお願いしたいとの事であった。詩人は丁重に断ったが牧師は是非にとせがむ。とうとう根負けして依頼を受ける事にした。はて如何したものかと案ずるに、ふと一大決心が湧き上がってきた。この作詞で筆を折ろうと。この詩は神に捧げようと。彼は其の晩より詩作に勤しんだ。最後の詩に相応しく荘厳な言葉を書き連ねたが直ぐさま気に入らずに捨ててしまった。之は彼の詩であると共に神に捧げる歌である。ならば彼が神に祈る歌でなければならない。詩人は想を練りながら簡潔を心掛けて言葉を選んだ。そして全身全霊で詩作に没頭した。寝食も犠牲にし神に祈りながら何度も何度も推敲した。そうして数日が経過した。


 或夜詩人が詩作に耽っていると何時の間にか眩く輝く白い衣を着ている若者が目の前に立っていた。そして詩人に告げた。我は御使いなり汝の歌は天上に届いた故に我汝をパラダイスに招く為使わされし者なり。そして御使いは詩人の手を取って引き上げた。彼の体は綿毛の様にふわりと宙に浮いた。御使いに引かれて彼は天の御国へと旅立って行った。


 約束の日牧師は詩人の元を訪ねた。返事が無いのを不審に思いドアに手を掛けると果たして鍵が掛けていない。中に入ってみて声をかけても詩人の返事が無い。声をかけ乍ら二階の上がると詩人が机に伏せているのが見えた。牧師は詩人を起こそうと名を呼び乍ら体を揺さぶったが彼の体は力無く床に崩れ落ちた。手に触ると冷たかったので、牧師は短く祈ると慌てて村に引き返して加勢を頼んだ。机の上には詩の完成稿が置かれていた。


 遥か彼方にまします父よ

 我を確かに掴み給え

 などて移り世に我留まらん

 いざ示し給え天なる宮を


 この世の旅路の

 果てに至らん

 主よ恵みもて

 我を誘い給え


 若き日の名残は露のごと

 されば何をか惜しむこと有らん

 全てを委ね憩いに入りし

 主の御翼の陰に安らわん


 この世の旅路の

 果てに至らん

 主よ恵みもて

 我を誘い給え


 哀しみも苦しみも今は無く

 只心の内に主は入り給う  

 聖霊の満たしもて慰めを与え

 永遠の憩いに入らせ給う


 この世の旅路の

 果てに至らん

 主よ恵みもて

 我を誘い給え

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或詩人の死 分身 @kazumasa7140

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