解説 ただ単純にパチンコ・パチスロが好きだということ
パチンコに出会ってどれくらいになるだろうか。
どれほどの時間、パチンコを打っただろうか。開店前に並びながら、どれほどの妄想を膨らませただろうか。閉店後に飲みながら、どれほど言い訳し、過去の栄光を語っただろうか。これまででどれほど勝っているだろうか…。
継続しているというと少し語弊がある。良いことを根気強く続けていることに使いそうだし、実際のところ途切れ途切れ、細々と続けているに過ぎないから。でも、自分を形成してきた過去の幾らかはパチンコに依存しているだろうし、現在の自分の存在の何パーセントかはパチンコに作られているかもしれないし、そうなんだと思う。
だから、今も時折パチンコを打つ。勝てばもちろん嬉しいし、負ければ後悔に苛まれる。だが、その意味はほとんどノスタルジーなんだと自覚している。ネガティブなことが言いたいわけではない。ファミコンのゲーム(スパルタンXやゼビウス)をやる感じ、通っていた小学校の校庭を覗きに行く感じ、片思いだった女の子がなぜだか急に思い出される感じ。美化する気はないと言っても、過去を表現することを良く思わない人もいるだろう。過去が、歴史がなければ現在の場所にいることはないし、この先の未来に繋がることはない、などと詰まらぬ理屈を飛ばしたりすることもあるが、今日はもっと単純でいい。思い出されるのだから感謝すればいいじゃないかと供えておきたい。ありがとうと言えるうちに。
そんなノスタルジーはいつまでも続かない。そろそろ終わりが近づいている。ファミコンはスマホに、小学校は統廃合に、片思いの女の子は現実に移り変わる。抗えない流れはある。今までも法改正や規準の見直しはあった。何度も苦境を乗り越えてきたのだからこれからも、と言う人もいる。しかし、今回は状況が違う。作る側、設ける側、遊ぶ側がバラバラだ。これでは先の未来なんて到底有り得ない。ファミコンはVRに、小学校は動画配信に、片思いの女の子はAIに、パチンコ屋はカジノになるのがあるべき未来なのだ。
だから書きたい。飲み屋で何回も話して擦り切れた話かもしれない。でも書きたい。今は目の前にいない人とでもそんな話ができる時代じゃないか。話が聞きたい。飲み屋だと眠ってしまうような話でも。煙草の匂いを嗅ぐと、銘柄によってパチ屋や台や当たり方を思い出す。そんな話が聞きたい。
ここに書いた物語は自分とパチンコ、パチスロの物語だ。良いときも悪いときもある。懐古的になり、思い出補正が掛かっているものもあるかもしれないし、何が言いたいのか分からないこともある。なんなら、自分でもなんで書いているのか分らなくなるものもある。パチンコは日本の文化だった。漫画が日本の文化に成り得た様に、パチンコも多くの天才たちが紡いだ文化であったと思う。過去形にするなという叱りを受けたい。そうならない未来をどこかで願いながら。
白銀の雨 福田ゾフィー @soffy1031
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