カウント
黒い綿棒
第1話
カウント
この部屋に唯一、置かれた電子カウンター。
四方はコンクリ剥き出しの壁。窓もない。ドアはあるが、勿論、開くことはない。
僕は、右手に握った携帯の画面に目をやる。
画面はブラックアウト。そんな事は、とうに分かっている。
ほんの少しの期待など、叶う筈もなく、僕は携帯を握る右手を、もたれ掛かる壁に
打ち付けた。
カウントは5。
今更、分かったロジックに、焦せる気も失せてしまった僕は、サイゴンの言葉を
頭の中で反芻していた。
「丸山君だろ?」
仕事の帰り、電車を降りたところで、そう声を掛けられた僕は、その目の前にいる
男の素性が分からなかった。
「…はい。そうですけど」
そう言いつつ、僕は懸命に頭の中の名鑑を捲っていく。
「なんだよ。分からないのかよ。ひどいなぁ」
男は、僕と同じくらいの年齢で、でも、僕がヨレヨレのスーツを着ているのとは、
対照的に、パーカー、ジーパン姿で、その姿は、まるで社会人らしくなかった。
見覚えはある。けれど、僕の人生での重要人物ではない。
「やめてよ、散々、イジメといて」
イジメる?
僕は、急いで、その言葉を検索にかける
「…サイゴン?」
僕が、そう言うと、男は嬉しそうに頷いた。
「おぅ、サイゴン!サイゴンかぁ!どうしたんだよ、こんな所で」
サイゴンとは、高校を卒業してから、十年会っていない。
誤解を招かないように言うが、僕は決して、サイゴンをイジメてはいない。
ただ、彼の言動が他の同級生とは違うのに気が付いた僕と、
僕の友達は、それを面白がっていただけだった。
サイゴンという呼び名もそう。
まるでキャラクターのように呼んでいる、サイゴンという名前は
実際には、サイコと怪獣カネゴンを合わせた呼び名だった。
あだ名が、サイコでは、流石に露骨だったので、誰かが
カネゴンからゴンを拝借し、サイコと合体させたわけだ。
サイゴンは、どこか際どかった。
何をしたわけでもない。大人しいタイプで、あまり自分から
発言をするタイプではない。ただ、こちらが話を振ると答えは
返してきた。ただ、その答えが、的を得ないというか、斜め上と
いうか、言葉の端々に、危険な匂いが見え隠れした。
そんなサイゴンを、その頃の、僕たちが放置する訳もなく
無意味に質問を振っては、陰で、その返しを楽しんでいた。
それが高校二年の頃。
三年になると、クラスも変わり、自然と僕と、僕の友達の中での
サイゴンブームは去っていった。
たまに、サイゴンのクラスメートからサイゴンってヤバいのかと
問い合わせがあったが、そこは適当に話を盛り上げて、返していた
ような覚えがある。実際には、それを聞いた奴らにサイゴンは
たいそうイジメられたらしい。しかし、それは僕には関係ない話だった。
サイゴンは、その程度の存在だった。
大人しいはずのサイゴン。自ら、僕に声を掛けてきたのは驚きだった。
しかも、その後、僕に奢るからと飲みに誘ってきた。
「なんか、変わったな、サイゴン」
「そうかなぁ、変わってないと思うけど」
「今、仕事は?」
「小さい会社を経営してる。システム関係の」
「あぁ、だから、そんな格好してるのか」
今、流行りのベンチャーというやつか。
スーツ無用。ラフな格好で、年収は数千万。
その言葉を思うだけで、僕は進むべき道を間違えたと後悔する。
毎日が満員電車。クソ暑いスーツに安い月給。
目の前のサイゴンには、どう見えているのか。
少なくとも、自分をおちょくっていた奴に自分の
成功を見せつけられて清々しているだろう。
そう思うと僕は、次第に苛ついて、せめて、ここの勘定くらい多めに
払わせてやろうと、酒を飲み干した。
「ふーん。サイゴンがねぇ。すいません、おかわり!」
そして、目が覚めた。
床に寝ていたせいか、身体中が痛い。
何とか、痛む身体を起こし、僕は周りの変化に気が付いた。
何もない部屋。ただ電子カウンターが50という表示を光らせている。
次の瞬間、携帯が鳴る。
知らない、番号だ。
冷たい床。知らない部屋。今の状況が、僕に電話に出るように促す。
「もしもし」
「おはよう」
聞き覚えがある声。サイゴンだ。
「おい、ここ、何処だよ」
「それは言えないよ」
「なんでだよ!お前、今、何処にいるんだよ」
「なんでって、そりゃ教えたら、直ぐに誰かが助けに来ちゃうじゃないか」
サイゴンの言葉に、僕は、絶句した。
目を覚ました時から、薄々と感じ取れた危機感が現実に変わるのが
よく分かる。
「何のつもりなんだ。仕事、行かなきゃいけないんだ、出せよ」
僕は、歯を食いしばりつつも、そう言うと、携帯越しにサイゴンと
会話しつつ、ドアに向かい、ドアが施錠されている事を確認した。
「開かないよ。そのドア。あと、その部屋、防音もちゃんとしているから
大声出しても、外には漏れない。だから、どれだけ大声張り上げてくれても
大丈夫だから。大変だよね、こんな状態でも、仕事のことを考えないといけない
なんて、きっと、丸山君は…」
「うっせぇ!お前も働いてんなら分かんだろ!おいっ!早く開けろって
言ってんだよ!」
僕は、遠慮なく声を張り上げた。
「…丸山君。怒ってるの?…いいねぇ!もっと、怒ってよ!怒って、
怒って、暴れて、狂って、苦しんで…死ねばいい」
サイゴンの高揚していく口調が、急に冷静さを取り戻したのが
分かると、激昂していた僕も、急に水を掛けられたように冷静になった。
そして、初めて本当の殺意に対峙した。
「あれ、黙んないでよ。これから何だからさぁ。あと、僕、働いてないから。
高校卒業してから、ずっと。なんか嫌になったんだよね。人の相手するの。
丸山君達に、イジメられてから、次の年も、他の誰かにイジメられて、たぶん
ずっと、これが続くんだろうなって。だから、僕は、卒業してから
ずっと部屋に閉じこもった。で、ある日、見つけたんだよ。丸山君のSNSを。
楽しそうだったなぁ。みんな、僕を忘れて、どんどん前に進んじゃうんだもん。
僕は、ずっとここに留まっているのに。だから、考えたんだよ。
みんなに思い出してもらおうと思って」
「…お前。思い出した。思い出したよ。謝ればいいのか?サイゴン。ここで、
謝ればいいのか?」
「サイゴンって言うな!本名も思い出せないくせに!」
声を荒げるサイゴンと、サイゴンに突かれた核心に僕は、声が出なかった。
僕は、サイゴンの本当の名前を覚えちゃいない。
「丸山君も、やっぱり覚えていない、みんなと一緒だ」
「みんな?」
「あぁ、言い忘れてた。みんな。丸山君の友達。高木君も、佐伯君も、斎藤君も
集めておいたよ。みんな、その部屋の横に各々、待機してもらってるんだ」
僕は、その言葉に、壁へ近づき耳をあてた。しかし、物音は聞こえてこない。
「聞こえないよ。防音しっかりしてるって言ったじゃん。さぁ、ここからが
本題です。目の前のカウンター。あるのは分かってると思うけど、それは何かに
連動し、カウントダウンします。カウントが0になると、さようなら。部屋が
バァーン!みんながいるフロアごと吹っ飛ぶようになってます。では、問題。
僕の本名は、なんだったでしょうか?誰か、一人でも正解したら、警察に、みんなの
場所を知らせてあげる。正解しなきゃ、そこの扉は開きません。野垂れ死ぬか、
思い出すか。携帯は、みんな持ってるから、密に連絡を取り合って頑張ってよ。
じゃ、またね」
「おいっ!待てよ!このサイコ野郎!やっぱりサイコじゃねぇか!」
「…サイコじゃないよ。サイゴンだよ」
プーーーーー。
電話が切れる。僕は、大いに後悔した。
とんだサイコを、知らずに相手をしていたわけだ。
電話が切れると、すぐさま、着信音が鳴る。
斎藤だった。
「お前、今、何処にいんだよ?」
「お前こそ、何処にいんだよ!」
どうもサイゴンの言葉は嘘ではないらしい。
「あぁ、分かった、分かった。サイゴンにやられたんだろ、お前も」
「あの野郎!出せ、オラッ!」
電話越しにドアを激しく叩く音がする。
「で、サイゴンの名前、お前、知ってるのか?」
「知らねぇよ!お前等がサイゴン、サイゴンって言ってるから、それしか
覚えてねぇよ!」
「何だよ!お前等って!お前も言ってただろ!」
小さな口喧嘩が始まろうとする中、携帯からキャッチの音がする。
「誰か、電話してきたわ。一回、切る」
電話を切り、キャッチを受けるや否や、今度は、すすり泣く声がした。
「たか?泣くなよ」
たかは、佐伯の愛称で、佐伯は、昔から泣き虫だ。僕らの中で、一番の
強面が、一番の泣き虫で、実は臆病だ。
「やばいよ!これ。丸ちゃん、ヤバイって!」
「落ち着けって!何とかなるから。で、サイゴンの本名覚えてる?」
「覚えてねえよ。サイゴンは、サイゴンだろ」
強面で、泣き虫で、役に立たない。昔から、そうだ。
「ちょっと、高木にも電話してみるから」
そう言って、僕は電話を切った。
プーッ、プーッ、プーッ。
電話は繋がらない。まぁ、斎藤と話をしているのだろう。
僕は、目を瞑り、大きく深呼吸した。
そして、目を開け、携帯の画面で時間を確認する。
朝九時。
僕は、とりあえず会社に電話入れ、体調不良で、今日は仕事に行けない旨を
連絡した。ここに来て、何で、嘘をついて、仕事を休んでいるのか。
明日、仕事に行ける保証すらないのに。
電話を切る。バッテリーは20%を切っている。
僕は、記憶を巡らせた。
俺の出席番号が二十番。
赤松、井上、宇野、笠井、木村、木村(翔)、いや、間にもう一人…。
思い出せない。何と言っても十年前だ。顔は出ても、名前が出ないクラス
メートなんて何人もいる。
僕は、床に座り壁にもたれた。
目の前には、例のカウンターがある。
18…いや、17になった。
無茶苦茶減ってるじゃないか。
僕は、急いで高木に電話を掛けた。
「丸ちゃん?」
「おい、そっちにカウンターあるか?」
「えっ、あるけど」
「今、いくらになってる?」
「17だけど。これ、すげー減っていってんだけど」
「ちょ、黙れ」
僕は、耳に携帯を当てたまま、動きを止めた。
16
僕ではないのか。
「今、何かしたか?」
「何もしてねぇよ」
「今度、電話するまで、動くなよ。声も出すな」
そう言うと、僕は電話を切り、再度、佐伯に電話をする。
電話に出た佐伯は、相変わらず、泣いていた。
「たか、今から言うことを、よく聞け。今度、こっちから
電話するまで、一歩も動くな。声も出すな」
「そんなの無理だよ!どうにかしてよ!」
「泣くなって!すぐに電話するから」
「電話、切らないでよ!丸ちゃん、丸ちゃ…」
ぼくは、半ば強引に電話を切った。
あとは斎藤だけだ。もう一度、バッテリーを確認する。
残り17%。もうワンターンが限界かもしれない。
そう思いながら、僕は斎藤に電話を掛ける。
お留守番サービスに接続します。
こんな時に、何処に電話しているんだ。
僕は、落胆した。もたれていた壁に後頭部を打ち付ける。
15
僕は、ハッとして、携帯を持つ右手をグッと握り、壁に打ち付けた。
14
見つけた。
と同時に、着信音が鳴る。斎藤だ。
「分かった!分かったぞ!」
「何、何が分かった?」
「サイゴンだよ!あいつの名前!あのクソ野郎の名前だよ!」
電話越しに壁を蹴る音。
13
「おいっ!蹴るな!壁を蹴るな!」
「何だよ!苦労して、聞き出したんだぜ!」
「どうやったんだよ?」
「高校の時の元カノに電話して、部活の先輩か何かに顧問の連絡
先を聞き出して、学校に連絡して、あん時の生徒の名前を全部、聞いてさぁ!
フォーッ!」
斎藤の歓喜の声と共に、また、壁を叩く音がする。
12・11・10
「分かった!分かったから、壁やドアやを殴るな!カウンターと連動してんだよ!」
直ぐさま、音は治った。
「…マジかよ」
「マジなんだって…で、名前は」
斎藤の言葉に、僕は、また目を瞑り、答えを導き出せなかった自分に落胆した。
「そうだわ。思い出した。俺の一個前じゃん」
「すまん、俺、もう携帯の充電ないん…」
突然、電話が切れる。
「おいっ!斎藤!斎藤!絶対、壁とか蹴るなよ!」
もう、返答はない。
そして、僕の携帯のバッテリーも10%。
他の二人の携帯の状態を、確認することは出来ない。
僕は、携帯の履歴を見て、朝、掛かってきたサイゴンの電話番号にリダイヤルした。
「野村だろ?」
しばしの沈黙が続く。
「…なんだ、クリアしちゃうんだ」
「もう、大人になれよ。野村」
「無理でしょ!君たちが生み出したんだろ!サイゴンは君たちが作った怪獣じゃないか!
怪獣は現実じゃ生きられない。サイゴンはカネゴンみたいに、みんなの子供時代の
テレビの中に生きるんだよ!」
「やめろよ野村!お前、馬鹿じゃないのか?」
「みんなは解放してあげる。ちゃんと約束は果たすよ。これから警察に電話して
君達の居場所を教えるよ。じゃ、これまで。次回予告はありません」
そして、バッテリーは切れて、携帯の画面はブラックアウト。僕は、もう待つしかない。
数十分後。それが、今の僕である。
ドアを激しく叩く音がする。そして、僕は、反芻をやめた。
微かだが、外から確実に助けを知らせるドアを叩く、音がする。
と、同時にカウンターは一気にカウントダウンを始めた。
4、3、2…
「やめろ!ドアを叩くな!」
『こんばんは。ニュースの時間です。まずは都内で爆発です』
「このコーヒー、不味っ」
「おい、黙れよ」
病院で、僕は助け出された三人と共に、渡されたコーヒーを
片手に、ニュースを眺めていた。
『爆発したのは、都内の一戸建ての二階部分で、ここに住む野村祐輔さんが
今も身元不明となっており…』
サイゴンは、まんまと僕たちに仕返しをした。
ギリのギリまでビビらせて
一生、忘れず、後悔するように。
とんだサイゴンだ。
カウント 黒い綿棒 @kuroi-menbou
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