5.手の温もりを知らなかった

「もしかして1年の部員って琴音さんなの?」


「副部長って芥川先輩だったんですね」


 金曜の夜のことを思い出して勝手に恥ずかしくなってしまう。


「え?2人とも友達なの?」


 秋谷が困惑しているように見えた。


「まあ、最近ちょっとあって知り合った」


「へぇ、じゃあスムーズに色々進められそうだね」


 そう言って秋谷が書類を渡してきた。


 書類には冬のコンクール準備概要と書かれている。


「まあ紙にするほどのものでもないんだけどね。当日は受付の席に座って人が来たら案内するって感じかな。以上」


「えっ、秋谷先輩、説明それだけですか?」


 琴音さんと同じことを俺も思った。説明が少なすぎる。まあ、本当にやることが少ないから説明の少ないのだろう。


「あと来週の金曜は朝8時半に公民館の玄関集合で」


 秋谷は鞄を持って部室の扉の前まで行ってから振り向いた。


「ほら、遊び、行くよ」


 ◇


 ジャズピアノがゆっくりと鼓膜を揺らす。ずっと聴いていられるような気分になる音色。


 女子2人の意向でカフェに来たのだが、普段カフェには行かない人間なので緊張してしまう。それだけではなく、琴音さんと秋谷も一緒にいることも緊張する理由の1つだ。


 落ち着く音色と緊張感が自分の中を蠢いている。


 とりあえず注文したホットコーヒーを静かに飲んだ。


 秋谷もホットコーヒー、琴音さんはオレンジジュースを注文していた。


「芥川先輩どしたんですか?琴音のこと見てましたけど」


「いや、今日はオレンジジュースなんだな」


「今日は?」


 急に秋谷が割り込んできた。


「ああ、前にファミレス行った時は背伸びしてコーヒー頼んでたよ」


「むー、芥川先輩、別に琴音は背伸びなんてしてないです。今日はたまたまオレンジジュースの気分だっただけですー」


「へぇ、2人でファミレス行くような仲なんだ」


 理由はわからないが、秋谷の声音が少しだけ低くなったように感じた。


「いやその時は変な人に絡まれて対処してたら電車逃しちゃったからさ。本当に最近会ったばかりでそれ以外特に何もしてないよ。ね?琴音さん」


「まあそうですね。その後は芥川先輩の家に泊まったくらいですね」


 琴音さん、誤解されるからそのことは言わないでほしかった。もう遅いが。


「泊まった?」


 秋谷が怖い。張り詰めた空気が店内を巡る。


「いや、まあそうなんだけどこれには事情があってだな」


「芥川先輩が『琴音さん泊まってく?』って誘ってくれて」


 琴音さんの説明が足りなすぎる。


「へぇ」


 もう帰りたい。


「まあ、なんでもいいんだけどさ。そろそろ帰るわ」


 そう言って秋谷が席を立った。少し急な気もするが何か用事でも思い出したのだろうか。


 スマートフォンで時間を確認すると17時と表示されている。そろそろ出ないと俺と琴音さんも電車に間に合わなくなる。


 3人で店を出た。


「じゃあ、来週の金曜日忘れないでね」


 秋谷は振り返ることもなくその言葉だけを残して帰路につく。


「俺らも帰るか」


 琴音さんと2人で駅を目指して歩き始める。薄暗い空の中に陽が落ちていく。


「なあ、秋谷さっき怒ってなかったか?」


「そうですか?わかんないです」


 俺の気のせいだったのかな。


「......寒いですね」


「ああ、ここ最近冷え込んでるよな。特に今日は寒い。手袋持ってきておいて正解だったよ」


 鞄から手袋を出すと琴音さんはそれを見つめて何か言いたそうにしていた。どうかした? と言う前に気づく。琴音さんは手袋をつけていなかった。持ってきていないのだろう。


「手袋、いる?」


「いやいや、それじゃ芥川先輩が寒いじゃないですか!」


「俺は別にいいよ。それより琴音さんの手、赤くなってるじゃん。手袋使っていいよ。あ、俺のじゃ嫌か」


「そんなこと全く思ってないですよ。寧ろうれ──」


 琴音さんは何かを言いかけてやめた。


「とりあえず使いな」


 手袋を押しつける。


「......ありがとうございます」


 雪が降ってきた。雪はアスファルトに触れては消えてを繰り返す。


 雪の中、俺たちは部活のことや学校のことなどを話して駅を目指す。


 駅のホームに着くと数人の学生がいるくらいで閑散としていた。


 琴音さんは駅に着くと手袋を外して俺に返してきた。


「まだ電車来るまで時間あるしまだ使ってていいよ」


「もう大丈夫です。それに先輩も手が少し赤くなってるじゃないですか」


 ふと自分の手を見ると赤くなっていた。琴音さんに言われるまで変化に気づけなかった。


「まあ、でも大丈夫だ。まだ寒いだろうし、使ってていいぞ」


「琴音、本当に大丈夫ですよ。ほら──」


 琴音さんは素手で俺の両手を握った。琴音さんの手は小さいけど綺麗で、温かかった。琴音さんの吐いた白い息が2人の間を昇っていく。


「大丈夫ですから」


 あまりに急だったその出来事に何も反応することが出来なかった。それでも俺は琴音さんに手袋を使ってもらいたくて、再び押し返した。


 電車が来るまでの数分間、寒さよりも心臓の鼓動に身体を支配されていた気がする。


































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極月の空にそっと手を伸ばす とうわ @touwawawawawa

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