4.窓枠に揺蕩う日常
◇
午前の授業が終了し、昼休みの時間になった。鞄からコンビニの袋を取り出して席を立ち、教室を出た。
疲れが取れないまま月曜日を迎えてしまったせいで、どこか眠気が払拭できずにいた。眠い目を擦りながら廊下を歩く。
琴音さんが止まった日は昼くらいに2人とも起きて、お互い汗まみれで少し気まずくなったけどその後は特に何をするわけでもなく、シャワーを浴びて帰ってもらった。
その後にお礼のLINEが来たが俺がそっけない返信をしたので会話はそこで終わった。
同じ学校ならどこかで会うかもしれないけど、会ったら挨拶くらいした方がいいのだろうか。
そんなことを考えながら廊下の窓越しに外を見ると、空の青さを塗りつぶすように、雪が渾々と降っていた。
琴音さんと出逢ったあの日から、毎日雪が降っているような気がする。
校舎の3階の端にある寂れた部屋に着いた。行こうと思わない限り辿り着くことのない部屋。錆びて思うように動かない引き戸をなんとか開いて部屋に入る。
部屋には折り畳み式の長机が2つ。何故か本棚があって、誰かわからない人が写った古びた写真がコルクボードに飾られている。
一見何の部屋かわからないがここは写真部の部室だ。
窓辺にある椅子に座り、エメマンの缶を開け、今朝コンビニで買ったサンドウィッチを頬張る。いつからか忘れたが、昼休みはここで飯を食べるようになっていた。
シャキシャキとしたレタスと瑞々しいトマト、濃厚なチーズの香りが食欲をそそる。気がついた頃にはサンドウィッチは全て胃の中にあった。
俺の昼食とすれ違うようにガラガラと引き戸が開く音が聞こえる。
「やあやあ」
その声の持ち主は秋谷藍里だ。違うクラスだが、同学年で写真部の部長。俺は副部長だ。写真部の2年は俺と秋谷だけ。3年は受験勉強などのために引退して、1年は1人いるらしいが顔合わせの時に俺はバイトを優先してしまったので会ったことがない。
秋谷はヒーターの前に座って弁当を食べ始めた。
俺は食べ終わったので空を眺めながらエメマンをゆっくりと流し込む。
暫くは無言が続く。いつもそうだ。お互い無言が続いても気にならないタイプの人間なので、これくらいの方が居心地が良かったりする。
秋谷は弁当を食べ切ったところでようやく声を出す。
「芥川、いつもこの部屋で昼食を取っているけど......私以外に一緒に食べる人はいないの?」
「いや、そういうわけじゃないけど、賑やかな教室よりもこっちの方が落ち着くっていうか。てか、秋谷はどうなんだよ。一緒に食べるやつは?」
「私?いろんな人にご飯誘われるけど......私もこっちの方が落ち着くから」
ナチュラルにマウントを取られた。俺なんて昼食誘われたことねぇよ。
でも、秋谷なら本当に誘われているのだろう。ショートボブで女子の中だと背は高い方、落ち着いていてそれでいて独特なオーラがあって、ボーイッシュな感じもする彼女は女子からの人気があっても全然おかしくはない。前にチラッと廊下から教室を覗いた時にも周りには女子が何人かいたので羨ましく思ってしまったこともある。
「秋谷モテモテじゃん」
「ふふっ、ありがと」
俺の雑な返しにも素直に反応してくれるので少し申し訳なく思えてきた。こういうところが秋谷の魅力なのかもしれない。
「そういえば、これ貰ってきたから書いて担任に出しておいて」
そう言って秋谷は書類を渡してきた。何の書類かわからず「ん?」と声を漏らす。
「あれ?芥川にはまだ言っていなかったっけ?これ公欠届。来週の金曜日公欠だからよろしく」
公欠?写真部が?と思ってすぐに壁に掛けられたカレンダーを見ると来週の金曜日のところには赤字でコンクールと書かれていた。
「なんかね、写真のコンクールがあるんだけど、それに出展された作品を市の公民館で飾るらしくて、そこの受付をやってくれないかって」
「あー、俺ら2人で?」
「いや、君は多分面識のないだろうけど、1年生の子にも手伝ってもらうことになってる。まあそんなに人来ないと思うし2人でも大丈夫そうだけど、せっかくだし」
何がせっかくなのかわからなかったけど、活動自体も少ないしたまにはいいのかもしれない。
「てか秋谷はコンクールに写真出したの?」
「うん、1枚だけ。大したものではないけどね」
ちゃんと出していることに感心した。まあ部長だしそれはそうか。俺は副部長なのに何もしてないな。
「いやー俺も出すつもりだったんだけどなぁ」
「ふふっ、芥川、『あんまり自信ないし興味ないから』って出すつもりなかったじゃん」
雑な嘘はすぐにバレる。特に秋谷の前ではそうだった。でも秋谷は怒ることもなく笑ってくれた。それでなんだか許されたような気分になってしまう。
「それで、なんだっけ、そう、1年生の子が放課後ここに公欠届受け取りに来るから、君も来てほしい。説明ってほどでもないけど軽く当日のこと話したいし、あと今日私暇だし」
暇だからってなんだ?と思ったがそれに突っ込みを入れる前に予鈴が鳴った。昼休みが終わる。
「わかった。行くよ」とだけ言って俺は部室を出た。
俺が扉を開ける直前、秋谷は小さな声で「待ってるね」と言ったように聞こえた。
◇
冬休みが近づいているからか教室は全体的にどこか浮かれていて、俺もその浮かれている人間の1人だ。
ノートに落書きをしたり、ゲームのことを考えたりしているうちにホームルームが終わり放課後を迎えた。
一瞬帰ろうとしてしまったが秋谷に言われたことを思い出して部室に足を運ぶ。
部室には既に秋谷がいた。窓枠に腰を掛けている彼女の姿はどこか神秘的で見た瞬間、日常から非日常に変わるような感覚に陥る。
「ちゃんと来てくれたね」
「忘れそうになったけどね」
「だと思った」
他愛もないやりとりをしていると扉が開く音がした。
恐らく、秋谷の言っていた1年生。性別も名前も聞いていないけどどんな人なんだろう。
そんな思考はその人を見た瞬間、すぐにゴミ箱に放り込まれた。
背が低くて、肩の辺りまで伸びた黒くて艶やかな髪、忘れるはずもない。
「こんにちは!あれ、芥川先輩?」
写真部の1年生とは、流川琴音だった。
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