2.大きめのパーカーと夜

 21時30分。家の玄関の前に立っていた。後ろには今日出会ったばかりの少女が一人。しんしんと降る雪が周りの雑音を消して、とても静かで生きた心地がしなかった。


 普段のように鍵を開けて家に入ればいいだけなのに、今日は緊張している。自分の家がどこか他の誰かの家のように思えてしまう。


 鍵を開けてドアノブに触れる。空気と手が冷えきっていたせいか、いつもより冷たく、痛く感じた。


 重い扉を開けて家に入る。とりあえず風呂を沸かす準備をしてヒーターの電源を入れた。


 とりあえず琴音さんをリビングに案内した。緊張している俺とは真逆で、琴音さんは緊張している様子もなく、リビングをキョロキョロと見渡している。


「あの、琴音さん?何か気になるところでもあった?」


 あまりにも興味津々といった様子で部屋を見渡すので、何かおかしなところでもあるのかと気になって聞いた。


「いやー、普通に色々と気になりますよ。他の人がどんな生活しているのかなとか、部屋でなんとなくわかりますし」


 なるほど、そういうものなのかと納得してしまう。確かに部屋を見ればそこに住む人の生活感を薄っすらと感じ取れるのかもしれない。


 部屋に電子音が鳴った。風呂が沸いた合図だ。


 こういう時は先に女の子に入ってもらうのが良いんだろうなと思って、琴音さんに先に入ってもらった。


 琴音さんがいなくなったところを見計らって、制服の袖を捲った。今日、酔っ払った中年を抑えたときに左手がぶつかって内出血してしまった。今はだいぶ痛みが引いてきたので大丈夫だと思うけど、ぶつかった時は中々に痛くて泣きそうになったが早く帰りたかったので事情聴取の時には何も言わなかった。


 琴音さんが風呂に入ってもらっている間、洗濯機を回した。乾燥機は無いけど今から洗濯して暖かい部屋で干せば明日の朝までには間に合うだろう。明日は土曜だから特に急ぐ必要もないかもしれないけど、早く乾くに越したことはない。


 そして洗濯機を回してから気づいてしまった。琴音さんが風呂から上がった後に着る服が無いということに。


 急いでタンスの中を確認した。薄いTシャツやスキニーパンツばかりで、どれも寒い夜の寝巻としては相応しくないものだと思う。普段から服に興味が無かったのでそもそもタンスの中に服があまりなかった。冬服はもう少ししてから買おうとしていたし自分のだらしなさを情けなく思う。ジャージは琴音さんが着るには大きすぎるし、唯一着れそうな服は大きめのパーカーくらいしかなかった。


 そんな感じで悩んでいるうちに琴音さんが風呂から上がった。


 金曜の22時。いつもなら次の日が休みだからという理由で精神的余裕がある時間帯だが今日だけは違かった。


 目の前には大きめのパーカーを着た琴音さんがいる。パーカーはもちろん、ジャージズボンもぶかぶかだった。手で押さえてないと下がってしまうほどに。


 琴音さんは思ったよりも華奢な体で男性のMサイズのズボンでもこれならSサイズでなければまともに履けない気がする。


「ええい!琴音、履くことを諦めます!」


 そう言って琴音はジャージのズボンを下ろした。俺はすぐに目を逸らす。


「琴音さん!?何をしてるの!?」


「ふふふ、大丈夫ですよ先輩。ほら逸らさないで、真実を目に焼き付けてください」


「いやいや見ちゃったら不味いでしょ!流石に!」


「違いますよ!ほら、下着見えてませんから!パーカー大きいおかげでスカートっぽくなってますし」


 俺は目線を琴音さんに戻すと、確かに琴音さんのジャージズボンは下がっているけど、下着は見えていなかった。パーカーの裾が太もものあたりまできているおかげでスカートのようになっている。


 これはこれで正直えっちだと思うし目のやり場に困るけどまあ仕方ない。履けるものがないのだから仕方ない。


「いや琴音さん本当にごめんね。部屋ちゃんと暖かくしておくから寒さは心配しないでね」


「大丈夫ですよ。琴音は家だと服着てませんし」


 え?今なんて?と聞き返す前に琴音さんの顔が一気に紅色に染まる。家だと服着ていないというのは聞き間違いじゃなかったようだし琴音さんもうっかり言ってしまったという感じだ。


「違いますよ。今のは先輩を心配されないために言った嘘で、本当は着ていますからね!」


 そうは言っても琴音さんの顔の赤さが変わることなく、寧ろより一層赤くなっているように見えた。


 俺もどう返答していいのかわからなくなり、あぁと小さく声を漏らした。


 先程までとは違った変な緊迫感が漂う中、寝室に案内する。両親が海外に行ってからは使っていない部屋だが掃除はしているのでそれなりに綺麗だと思う。


「琴音さんとりあえずこの部屋で寝てもらうことになるけど大丈夫?」


「あの、先輩はどこで寝るんですか?」


「ん?あぁ、俺は自室で寝るよ。ちゃんと別の部屋だから安心してくれ」


 そりゃ見ず知らずの男と同じ部屋で寝るのは流石に嫌だろうし一緒に寝ることになるのか気になるよな。


「じゃあ布団出すわ。えっと確かここに......あれ!?」


「どうしたんですか?先輩?」


「いや、あの、布団が無い」


 両親が海外に行くときに、使わないし古くなってきたからと布団を捨てたことを思い出した。わざわざ捨てることあったか?とこの日ばかりは両親を恨んでしまった。


「ごめん、琴音さん、悪いが俺の布団で寝てもらってもいい?ちょうどシーツとかは洗ったばかりだし汚くはないと思うから......」


「いや、はい。琴音は全然大丈夫ですけど、先輩は?」


「俺はリビングのソファーで寝るわ。部屋暖かくしとけば問題無いと思う」


「あの......先輩.......一ついいですか?」


 琴音さんは何か言いたいけど言い出せないと言ったところだ。


「先輩も、一緒に寝ませんか?」


「え!?いや流石に不味いだろ。もしかして俺に気遣ってくれてるのか?俺は本当にソファーで大丈夫だぞ?わりと寝ていることあるし」


「いや、どちらかと言うと私の問題で」


「琴音さんの問題?」


「1人だと寝れないです」


 そう訴える琴音さんはまるで外敵に怯える小動物のような目をしていて、潤っていた。いつもはお気に入りのぬいぐるみを抱いて寝ているらしく、今日はそれが無いから寝れないらしい。


 その後何度か断ったがそれでも折れてくれなくて結局同じ布団で寝ることした。お互いに背を向けてギリギリまで離れて、同じベッドの上にいる。


 布団が少し大きかったおかげてなんとか寝ることは出来そうだが、俺は緊張で寝れずにいた。


 部屋には暗くて、カーテンの隙間から射すほのかな月明かりだけが部屋を照らしてくれる。


 音はストーブの低くて重い音だけが響く。


 お互い背を向けているので琴音さんが寝ているのかどうかもわからない。


 そんな状態が暫く続いた気がする。それは実際の時間だと大して長くないのかもしれないけど、とても長く感じた。


「先輩起きてます?」


 琴音さんが小さい声で言った。寝てるかもしれないと思って声の音量を下げたのだろう。


「起きてるよ。寝れないの?」


「多分もう少しで寝れるとは思います。けど」


「けど?」


「その前に先輩にもう一度お礼言いたくて」


 琴音さんのこと、未だによくわかってないし性格も掴みづらいと思っていたけど根は優しい女の子だということだけわかった。


「いや、そんな大したことはしてないし気にしなくていいよ」


 琴音さんの声に引っ張られてか、俺の声も小さくなっていく。


「先輩、誰にも言ってないけど酔っ払いの人抑えようとしたときに怪我しませんでしたか?」


「バレてたのか。でも全然大丈夫だよ」


「本当ですか?痛かったら明日病院行ったほうがいいですよ。一緒に行きます?」


「いやいや本当に大丈夫だし行くとしても一人でいけるよ」


「そうですか。でも、本当に、今日はありがとうございました。先輩かっこよかったですよ」


 素直に褒められると返答に困ってしまう。ここですぐに「ありがとう」と返せる人間になりたいな。


「ふふっ、照れてます?それじゃ先輩、おやすみなさい」


 琴音さんには何もかも見透かされていたみたいだ。思ったよりも侮れないかもしれない。


 聞こえたかどうかはわからないくらいの小さな声でおやすみと呟いて目を瞑った。




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