極月の空にそっと手を伸ばす

とうわ

1.冬の予感

 誰もいない駅のホームで雪を見た。初雪だった。


 思えばもう12月に入ったのだから、降ってもおかしくはない。


 風に運ばれた雪がスマートフォンの画面に触れて溶ける。俺はそれを拭うが何度も何度も雪が邪魔をする。仕方がないのでポケットにそれをしまって電車を待つことにした。


 田舎という言葉が相応しいこの町では電車の本数が少なく、次の電車が来るまで1時間以上待たなければいけないことなんてざらにある。電車で高校に通うのは思ったより大変だが、家から学校まで距離があるので仕方ない。


 次の電車が来るのは30分後だ。


 夕方になると流石に肌寒い。面倒くさがってマフラーも手袋も持ってきていないことを今になって後悔する。


 待合室で待とうと思って近寄ったが中にはボロボロになった服を着た中年の男が横になっていたので外で待つことにした。駅員が気づいて注意してくれたらいいのだが、待合室から受付まではそこそこ距離があるし駅員も何か他の仕事をしているようなので全然気づく気配がない。


 待合室に入ることは諦めて、ただひたすら空を眺める。さっきまで明るかったように思えた空は次第に暗くなっていく。


 どれだけ時間が経ったのだろう。どれだけ雪が降ったのだろう。ポケットからスマートフォンを出して時間を確認すると時刻は17時30分。電車が来るのは17時50分だから、あと20分も待たなければいけない。


 あまりにも退屈で辺りを見渡すと、少女が1人いることに気づいた。いつからいたのかわからなかった。同じ高校の制服を着ているが見覚えがないので恐らく1年か3年だ。肩よりも少し下くらいまで伸びた黒髪が艶めいて綺麗だった。


 少女も待合室には入らず立って待っていた。


 流石に待合室で得体の知れない男が寝てたら入りづらいし起きてくれないかなぁと思っていると、ちょうど男が起き上がり待合室から出てきた。しかし、男はどこかふらふらとしていて意識がはっきりとしているようには見えなかった。顔は赤く染まっていて、酔っ払っていることに気付いた。


 男は呻きをもらしながら、少女の方に向かって歩く。それに気づいた少女は恐怖しているのか、立ち尽くしている。


 流石に危ないと思い男の体をそっと押さえて、「大丈夫ですか?」と声をかけるが男はそれを振り払うようにして少女の方へ歩く。かなり酔っているようなので手荒な真似はしたくなかったが少し強めに体を押さえた。すると今度は振り払うことは無くなったが電源がプツリと切れたように、男は完全に意識を失った。倒れそうになった男を抱き抱える。


「ごめん、そこの君、駅員呼んできてもらえる?」


 少女に声をかけると、小さく頷いて駅員を呼びにいった。


 その後は駅員に男を引き渡して、少しだけ事情聴取されたのだが、その結果数少ない電車を逃すことになってしまった。


 ◇


 気がついた時にはファミレスに入って、目の前にはさっきの少女がいた。


 色々あったせいで疲労困憊してこの状況が理解できないけど、確か電車を逃してしまって時間潰しにファミレスに行くことにしたんだっけ。あの電車を逃すと2時間待たなければいけなくなるのはこの寂れた町の理不尽なところだ。


「あの、さっきはありがとう、ございました」


 少女は申し訳なさそうに言う。


「えっと、るかわ、ことねさん、だっけ?本当に怪我とかしてない?」


「流川琴音で合ってますよ。怪我もこれっぽっちもしてないです」


「そっか、それなら良かった。にしても災難だったね。怪しいおっさんに遭遇するしそのせいで電車逃すし」


「そうですよねー。琴音めっちゃ驚いて動けなかったので、芥川先輩がいてくれて本当に助かりました」


 琴音さんは笑顔で言った。その笑顔があまりにも可愛くて目を逸らしてしまいそうになる。


 そんなことをしているうちに、琴音さんが頼んだコーヒーが運ばれてきた。とてもコーヒー飲めるようには見えないけど飲めるのか、意外だななんて思って見ていたが口に入れてすぐ顔をしかめ、コップをテーブルに置いた。


「ま、まあ、ちょっと琴音の好みでは無かった感じですかねー。ちょっと苦いかなー」


 それはそうだ。コーヒーだから苦くて当然だろう。


「もしかして琴音さんコーヒー飲めないのに頼んだの?」


「い、いやぁ、そんなことないじゃないですかー。たまたまここのコーヒーの味と琴音が合わなかっただけですよー。いつもは余裕なんですけどね!」


 絶対飲んでないだろと思ったがこれ以上言うと機嫌を損ねそうなので口にするのはやめた。ちょっと抜けてる娘なのかもしれない。


「そうだ!後日ちゃんとお礼したいのでLINE教えてくださいよ」


 琴音さんはQRコードを表示させたスマートフォンをつき出してきたので、とりあえず交換した。


 注文したコーヒーを飲みながら窓の外を眺めると空が真っ暗なことに気づいた。今この町を照らしているのは星々と古びた街灯の微かな光としんしんと降る雪だけだ。


「そろそろ、時間だし出るか」


 そう言って俺と琴音さんはファミレスを出て、駅のホームに向かう。ホームに着いたのは電車が来る5分前で、ちょうど良い時間だった。


 電車の中は案の定ガラガラで、部活が終わった学生が数人いるくらいだった。


 俺が椅子に座ると琴音さんはすぐ隣に座った。


 こんなに空いている電車で隣に座られるとなんだか変に恥ずかしくなってしまう。


 電車が発車して、少し揺れて、琴音さんの肩に触れて、心拍数が上がる。手のひらにじんわりと汗が滲んだ。


 車内は静かで、ガタンゴトンと揺れる音だけが響く。


 気まずい、気まずいのだ。会ったばかりの女の子が隣に座っている状況なんて今までに無かったしよくわからないけど、緊張してしまう。


 しかも髪からはほのかに良い香りがして小さくて可愛いのだから仕方がないと自分に言い聞かせる。


 それでもこの緊張を解きたくて何か話そうと思い、横目で見ると琴音さんは寝ていた。


 いつから寝ていたのか。こっちが緊張していたせいで気付かなかった。


 今日は疲れただろうし電車の中は暖房が効いているから寝てしまったのだろう。降りる駅は俺の5個前だったはずだからその時起こしてやればいい。


 その時だった。ガタンと少し強めに電車が揺れて琴音さんの重心が右に傾いて、俺の肩に寄りかかる形になった。


 危うく声を出しそうになる。今、俺の体の左側に琴音さんの髪、肩、腕などが触れる。なんとか体勢を戻せないかと考えたが力を加えると起きてしまいそうで、結局何も出来なかった。なるべく力を入れずに体も動かさないようにしよう。


 そんな風にしているうちに睡魔に襲われ、俺は寝てしまった。


 ◇


 目を覚ました時、電車は自分の降りている駅で停車していた。隣で琴音さんが寝ているので慌てて起こすとまだ意識が朦朧としているのか、今どこですかと俺に聞いてきた。


 事情を話す前にここで降りなければならなかったので2人で電車を降りた。


「えっとね、琴音さんごめん、起こそうと思ったんだけど俺の寝ちゃってさ。今俺が降りる駅まで来ちゃった」


 琴音さんは駅の看板を二度見して察したようだった。あー、と声を漏らしてからスマートフォンを見た。


「今、9時ですよ。上りの電車ってありましたっけ?」


「いや、確かもう無いような」


「ですよねー。どうしましょ」


「歩いて帰れなくはないけど時間が時間だしなぁ。家族に車で迎え来てもらうとかは?」


「親どっちも長期出張でいないです」


「まいったなぁ」


 本当に困った。田舎すぎて近くにはホテルもないしあったところで宿泊費も多分無いだろう。


「あ、先輩。こうなったら先輩の家泊めてください」


「ええ!?流石にまずいだろ」


「まあ流石に厳しいですよね。ご家族にも説明するの大変そうですし。仕方ないです。歩いて帰ります」


「いや、親はどっちも海外いるから居ないんだけどそうではなくてだな」


「え?いないんですか?じゃあ問題無さそうじゃないですか」


「いやだからこそ、男女2人でいるのはなんというか」


 高校生とはいえ男女2人が同じ屋根の下で過ごすというのはどうなんだろうと考えてしまう。もちろん何もしないが意識せざるを得ない。


「そうですかー。可愛い女の子が夜道を1人で歩いていたら危ないと思うけど仕方ないかー」


 そう言って琴音さんは帰ろうとしたが、何かあったら責任が取れないし、引き止めて結局家に泊まってもらうことにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る