第58話 これ以上、泣かせるな!!
「た、頼むッ!!この通りだッ!!教会へ行くのだけはどうか考え直してくれないかッ!?」
早朝、やっと日が昇り、辺りが明るくなり始めた頃のエンルム家の屋敷のエントランスでは、ロイさんが地面に額をこすりつけてミューレさんに教会行きを止めてもらうよう懇願していた。
俺の手を引いているミューレさんはそれを冷ややかな目で見下ろしている。
「あら?それは私たちを愛しているから?」
「当然だ!!私はミューレ、其方を愛しているッ!!」
ロイさんの目にとうとう俺という存在は映らなくなったらしい。
アルフォンスの家来になるつもりは無いって宣言しちまったからかもな?
人間切羽詰まると本性が露呈するもんだ。
見ていて見苦しい、つーかもうどうでも良い。
何よりも眠いんだが?
「ルシード坊ちゃま、宜しければこちらへ――――――」
サリアの言葉が聴こえたかと思うと、俺は手を引かれてサリアに抱っこされていた。
うぁぁ……柔らけぇ………暖けぇ…………けど、申し訳ねぇ。
サリアの誘惑に溺れたくなる一方で、嫌いな俺に尽くしてくれるサリアへの申し訳なさが勝った。
「サリア、ありがとう。大丈夫、もう目が覚めたから降ろして?」
「嫌です」
何故か拒否られた!?
しかも即答かよ!?
「ルシードよ…………ファナル先生にも抱き抱えられて居る姿を度々見かけるが、あまり女性に馴れ馴れしく接するのは――――――」
「オーズ様。そのファナル先生というのは………?」
「……ファナル先生というのは寮母をしてくれている先生で、ルシードの居るクラスの担任でもある方である」
「そうですか…………………要注意人物ですね」
サリアが最後の方ぼそっと言った言葉、抱き抱えられてる俺にはばっちり聞こえた。
何でサリアにとってファナル先生が要注意人物なんだろうか………?
まさか――――――俺の被害者だと思われている!?
それは何としてでも誤解を解いておかねーと、
「ファナル先生は良く分からないけど俺の事色々と気にしてくれてる先生で、抱き抱えるのもきっと僕の事揶揄ってたりするだけなんだよ!誓って僕から抱っこしてほしいなんて言ったことは無いよ!?」
「へーそうですか。ルシード坊ちゃまの事を心配する素振りで近付き、馴れ馴れしくもイヤらしい手で触れているのですかそのメス豚は――――――」
俺は何を間違えたんだ!?サリアの目から殺気が滲み出てる気がする。
そしてサリア、メス豚なんて言っちゃダメだ。
すまねぇファナル先生、俺の伝え方が悪かったのか要注意人物からメス豚になっちまったわ。
未だに何が悪かったのかさっぱりわからねーけど。
「放してください!!もうこの家にはホトホト愛想が尽きました!!今すぐ教会へ行きこんな家との縁をすっぱりと切らせていただきますッ!!」
俺がそんな事に首を傾げていると、あっちでも状況は進んでいたのかミューレさんの脚にロイさんが縋りついていた。
うわーヒくわー。
ダンディな大人が美人の脚に縋りつく光景に、サリアはそっと俺に目隠しをした。
「見苦しい…………」
オーズさんも呆れてついにはそんな言葉が漏れていた。
でも何つーかこの情けなさはアルフォンスに通じるものがある、やっぱ親子だわ。
俺が来る前のルシードもこんな感じだったしな?
「待ってくれッ!行かないでくれッ!何がいけなかった?仕事が忙しくあまり構ってやれなかった事か?結婚記念日は………まだ先の筈だし、そうか夫婦になって何年かの記念日か何かだったのか?」
つーかどんだけ記念日気にしてんだよ?
「そのような事ではありませんッ!!ルシードの事です!!」
「アレがどうしたというのだ!?まさかまた何かやらかしたのか!?」
おーおーとうとう”アレ”呼ばわりだ。
語るに落ちるの体現者だな?確かに
ミューレさんの地雷を確実に踏み抜いて行く特攻精神に軽く敬礼しそうになるわ。
ミューレさんはロイさんの言葉に怒りに身を震わせると、情けなく縋りつくロイさんに向けて平手打ちを放った。
エンルム家のエントランスホールに乾いた盛大な音が響き渡った。
「な、なにを…………」
ミューレさんに手を挙げられるとは夢にも思わなかっただろうロイさんが、打たれた頬を抑えて呆然と問い返した。
「私は私だけを愛する夫など要りません。私は女である前にルシードの母親で在りたいのです…………そしてこれは私の我儘です、貴方にもそう在ってほしかった…………私へ向ける愛と同じくらいの愛をルシードに向けて欲しかった」
それはミューレさんの切実な願いだった。
ロイさんは俺に誕生日プレゼントを贈っているとミューレさんに嘘を吐いていた。
その時点でロイさんはミューレさんを裏切ってたんだ。
それを信じた結果が自分の誕生日も知らない子どもの出来上がりだ、そりゃ泣きたくもなる。
ロイさんの罪はそれだけじゃない。
俺をアルフォンスの誕生日パーティーに参加させなかった事もあるらしい、別に俺はそんなのに参加したいとも思わねーけど、オーズさん曰く。
幼い頃から周囲に顔を売っておくのは大事な事、らしい。
クソガキだったルシードとどれだけお近づきになりたがる奴が居るのかってのは別にして、上辺だけでも知り合いを作っておくのは大事な事なんだそうだ。
それが行く行くは自分の将来にも影響する人と出会う事にも繋がる。
けどそれをロイさんは俺にさせなかった。
それはエンルム家で飼い殺される未来以外の選択肢を俺から奪ったって事になるらしい、大袈裟だとも思ったがこれを話してたオーズさんは目は真剣に怒っていた。
オーズさんは優しい。
普段キツイ訓練とか平気で要求してくるけど、絶対に無茶はさせないし、訓練の合間を見て俺とも遊んでくれるしな?
オーズさんはきっと子供が大好きなんだと思う。
だからこそ子どもが理不尽に晒されている時、オーズさんは一人静かに怒るんだとも思った。
サリアもちょっと距離を取るくらい、現在進行形で超怖ぇーもん。
「わかったッ!これからはルシードの事も見るようにするッ!だから教会へ行くのだけは勘弁してくれッ!!」
ミューレさんに根負けしたような感じで言い放ったロイさんだったが、それに向けられるミューレさんの目は依然冷たいままだった。
俺もサリアも、オーズさんでさえも似たような眼を向けている。
どう見ても絶対に教会へ行ってほしくないロイさんが口から出任せで言っている様にしか思えねーからな。
俺も今更ながらこの人の事を父親だとも思えねーし?
「オーズさん、教会に行かれるとロ―――あの人は何か困るのですか?」
ロイさんと言いそうになったのを呑み込み、言い直す。
それでも”父上”とは上辺だけでももう呼ぶ気にもならなくて、あの人と呼ぶ事にした。
「おそらく慰謝料、財産分与、今後ルシードに支払う事になるであろう養育費が頭の中を駆け巡っているのであろう。エンルム家は上級貴族、それなりの額を覚悟しておかなければなるまい。言い方は悪いであるが、ルシードをこの家に置いて放置して措くだけならばそんなに金はかからないのであるからな」
オーズさんもそこには深く突っ込まずに、ロイさんの考えそうなことを推察する。
だがその言葉の奥底には俺でさえ感知できる怒りが渦巻いていた。
「………それと対外的な面もありましょう。ミューレ奥様が訴える事は全て事実でしょうし、教会も調べた上で文句無しに離婚を認めるでしょう。そうなれば御当主様、並びにエンルム家の今までの愚行が白日の下に晒されるわけですから、最悪上級貴族では居られなくなるやもしれませんね」
「大変良い気味ですが」とサリアは締めくくった。
なるほどな、良く分からんけど解った気がする。
要するにあれだろ?ロイさんはヤベー事やってた自覚があるから焦ってるんだろ?
ミューレさんの怒りを一時的なものだと軽んじて、なあなあで済ませようと本気で出来ると思ってるってわけだ?
それってさ…………あまりにもミューレさんに失礼過ぎるんじゃねーの?
そう思ったら、止まれなかった。
腕を振りほどいて驚くサリアを尻目に、ミューレさんの所へ一直線に駆け出す。
オーズさんはきっと止められたはずだ、けど止めなかった。
その代わり、白い歯を見せてサムズアップで送り出された。
敵わねーなぁホントに………。
俺は全力で未だにミューレさんの脚に縋りついているロイさんを横から体当たりする様に突き飛ばした。
「ルシード!?」
「な、なにをするッ!?」
困惑する二人に構わず、俺はその背にミューレさんを庇う様にして両手を広げる。
大きく息を吸って――――――、
「母上をッ!これ以上泣かせるなーッ!!!!!」
エントランスホールに俺の叫びが響き渡った。
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