第4話 「西城 彩乃」(2)
私の孤独が始まったのは、人には視えない色が視えた時からだっただろうか。
初めて視た人の色はお姉ちゃんの綺麗な水色をしていた。
たまに黄色だったり、オレンジだったりころころと変わることはあるのだけれど、私の絵を見たときのお姉ちゃんはいつも水色に見えた。
人に色が視えるようになったのは、小学2年生の時からだった。
いや、元から認識出来ていなかっただけで、見えていたのかもしれない。
家のリビングでお互い色鉛筆を交換こしながら描いていた時だった。学校の花壇に植えてある鮮やかな橙色のマリーゴールドを画用紙に目一杯に描いていた時に、お姉ちゃんは私の左隣にちょこんと座り、覗き込むようにしてきらきらした眼差しで私の描いたマリーごルドを眺めていた。
お姉ちゃんは綺麗な水色に輝いていた。
好奇心のままに、爛々としていて、私の淡い太陽なような、私には少し眩しかった。
人には色があると認識してから、私の周りには色が溢れた。
商店街を行きかう人は、赤だ青だと指をさしながらお母さんと手を繋いで歩いていたことからすごく不思議がられていた。
私は成長するにつれ、人に色が視えるという感覚は異常であるということに薄々気づき始めた。
この現象は私だけなのかと、インターネットで調べたところ、どうも「共感覚」という現象が最も近しいということが分かった。
共感覚といえば、代表的なものが文字に色が見える「色字」、音に色が見える「色聴」が主流となっている。最近の研究では150以上の共感覚が確認されているが、私はそれに当てはまるのかは正直わからない。
人の色が見えるということは、いわゆる霊能力的なものを想像してしまうかもしれないが、そんな大それたものなんかではない。
最初はこれが何の色なのかはいまいちわかっていなかったが、だんだんその色を視ていくうち、それはどうも感情に結びついているものだとわかるようになった。
母親は怒っていないといいながら赤い色を放ち、絵が綺麗だねという絵画教室の知り合いは、黒に近い青を放っていた。
そのどれもが靄のかかったような、濁った色をしていた。
大概の人は、その表情とはとても一致しないような色を放ち、私はそれを見るたびに嘔吐感がこみあげては、よく体調不良に悩まされていた。
私には、人には見えない色が見える。色は私の世界に色彩ではなく、孤独を与えた。
私に接する人の色は、もう怖くて見ることは出来ないのだ。
分かってはいけない人の本質を、その感情の色に、私は目を瞑った。
◆
雨の降る土曜日。
私はじめじめとした湿気が身体へと纏わりつき、否応なしに鬱屈な気分になった。
今週から夏休みが始まったというのに、最初の土曜日がこんな天気なものだから、この幸先の悪さはこれから訪れるであろう期待の夏休みに泥水をかけられたようであった。
そんな気分の中、私は母の運転に揺られながら、後部座席でドアへもたれかかっていた。
車窓にはいくつもの水滴が撥ねては垂れ、滴り落ちていく。
絵画教室までは車で約20分の距離にあり、休日はいつもこの心地よい揺れの中で、少しだけ目を閉じた。
もはやこれは私の一種の癖のような仕草であった。
私は電車やバス、車といった心地よく揺れるというところに座っていると、眠くもないのに睡魔が近寄り、気づけば私はよくこくりこくりと寝てしまっていることが往々にしてあるのだ。
多分この癖は幼いころに、疲れ果てた私を迎えに来た車に対して、あれは寝るには申し分ない場所だという認識ができてしまい、次第に揺れる場所は無意識に体が寝台車と間違うほどの癖のようになってしまったのだと思う。
そして、今日も私はそんなじめじめとした空気の中で、癖に支配されるがままに眠ってしまった。
短い睡眠の中で、私はほとんど夢を見ることはない。
だけど、今日はこの雨の中で、どこかの車がスリップ事故を起こしたのか、いつもの道路が渋滞で込み合っていた。
それはほんの15分ぐらいの軽い渋滞ではあったが、夢を見るには十分な時間であった。
暗く静かな林の中を、私は手探りで進んでいる。
夢の中とは思えぬほどに、それらすべての冷たい空気を感じる。
どこか見覚えのある森のような気もするが、それはどうも遠い記憶の中にあるらしく、私の頭の忘却を手探りで探してはみるが、どうにも思い出すことが出来ない。
あたりには朝霧が立ち込め、草花には朝露がつき、歩くたびに足がぐっしょりと濡れていく。
どこに進むかも分からずに、ただただ息を切らしながら前に進んでいく。
ふと、遠くに一筋の光が見えた。
その光が私を呼んでいるようにも見え、堰を切ったように私は走り始めた。
開けた視界には、小さな池が音を立てず静かに佇んでいた。
黎明を刻むその林は、白い朝霧が朝日に反射し、淡く幻想的な空気を纏っている。
池の水面は揺れもせずに、白い木漏れ日がただひたすらに透き通っていた。
なんて静かな何だろうか。
清廉な空気が私の孤独を癒していく。
私が求めていたものは、理解なんかではない。
この孤独という私の伽藍堂に、清廉な空気が吹き込み、色彩を混ぜたような気がした。
「着いたわよ」
母の一声で、私は一気にその森から抜け出し、車の中へと意識が戻った。
あれだけ混迷した私の絵が、たったひと時のうたた寝に救われるとは思ってもいなかった。
なぜこのタイミングだったのかはわからない。
孤独を取り払ってと神に祈り続けたそれが、たったいまこのタイミングで届いたのかもしれない。
私は今の夢を忘れる前にと、絵画教室のへと傘もささずに走り出し、その扉のドアノブを急かすように引っ張る。
私は無造作に荷物を教室の端のほうへと置くと、適当な椅子を見つけ、すぐさまさっき見た夢を忘れぬよう、一心不乱に下絵を描き始めた。
私は下絵のほとんどを描き終えると、その絵に向かってぼそりと「朝の湖畔」と呟いた。
頭にパッと浮かんだ題名だったが、なんとなく語呂がよくて、私の好きな響きだ。
きっとこれは、私の黎明なのかもしれない。
私は下絵を見つめ、深い森を彷徨い歩いた先に見つけた光を掴むように、柔らかく紙を撫でた。
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