第3話 「西城 彩乃」(1)
私は、温かなオレンジ色をした電球が照らす6畳の自室で一人、真っ白なキャンバスを眺めていた。
2ヶ月後に美術コンクールの市展に提出する絵を描かなければいけないが、一向に筆が進んでくれない。心の蟠りが、白い靄となって私の目に前に現れては消えを繰り返し、私の指先に絡みついては離れないのだ。
私は丸椅子に腰かけたまま、じっと動けずにいた。
時計は夜7時を指し、かれこれ1時間が経とうとしていた。
私が呆けた顔で椅子に座り続けていると、どこからか夕食のいい匂いがした。
どうやらその匂いは一階のリビングキッチンからであり、香ばしい醤油と生姜のツンとした匂いが2階へと続く階段を伝い、左奥の私の画室、その扉の隙間から私の鼻へと漂ってきているみたいであった。
今日は生姜焼きなんだと、ふとカレンダーを見た。
うちでは水曜日は決まって豚の生姜焼きと決まっている。
なぜなら、近所のスーパー「マルイチ」の食肉特売日は水曜日なのだ。
だから決まって家の水曜日には生姜焼きが食卓に並ぶ。
その匂いがだんだん香ばしさを増すと、階段を一歩二歩と、誰かがギシギシと音を立てながら登ってくる音が聞こえた。
そろそろ下に降りる準備をしなきゃと、私は重い腰を上げた。
コンコン。
部屋の扉をノックされる。
「彩乃、晩御飯できたよ。」
ガチャリと部屋の扉があき、階段からの冷気と生姜焼きの香りがふわりと流れ込んできた。
「うん、すぐ行く。」
私は画材の後片付けをする中、開いた扉の先には姉の夏帆が突っ立っていた。
お姉ちゃんは遠目ではあるものの、所々色彩の汚れのついたイーゼルの上にちょこんと乗ったキャンバスを見つめていた。
扉から覗いたお姉ちゃんは少し寂しげな眼をしていた。
いつからだろう。私があの爛々とした輝きを眩しさに目をつむり、いつの間にか、その輝きに出来た自分の影ばかりをただ眺めるようになっていた。
私は、真っ白なキャンバスを眺めるのをやめ、リビングに下りて行った。
リビングの食卓には生姜焼きが三皿、温かなごはんと共に、お母さんとお姉ちゃんと私の分が取り分けてあった。
家族団らんの食卓。
バラエティー番組をみながら笑う母と、それにつられて笑う姉。私はそんな温かな団欒の中で、黙々とただただ箸を進めている。
こんなにも部屋は明るいのに、手先には一切の温かさを感じず、冷たさだけが駆け寄ってくる。
温かいご飯が喉を通るたび、私の中の何かがつっかえ目の節にまでそれは耐え難く上りあがってきた。
食事を終えると、そそくさと自分の部屋へと帰る。
そしてまた部屋の電気をつけると、椅子に座り、真っ白なキャンバスを虚ろな目で眺めていた。
何も描けないまま時間だけが過ぎ、私はとうとう睡魔には勝てず布団に潜った。
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