絶縁状

(前回までの話)

槙村を逮捕して2週間が経っていた。代役をしてくれていた礼に知詠子を連れ(駒田と梓も一緒に来てくれた)焼き鳥をご馳走していた辰実。


"挙げていない結婚式はどうするのか?"と知詠子に聞かれた辰実であるが、はぐらかしたような答えが返ってくる。精神病院に入院した槙村を警察は早く捜査したい所であったが、そんな事も辰実にとってはどうでもよかった。



 *



「結局、日登美さんの計画だったという訳だ」


更に1週間後。"ちょっと買い物してくるから待っててね"と言って出て行った愛結を、辰実は飼い猫のさくらをブラッシングしながら待つ事にした。


義実家恒例の"お泊りの日"なので、今夜は夫婦の時間が取れた。



「私も、どこかで"そうだ"と思ってたんです。…でも何か、今でも認めたくありません。」


"馬場さんを呼んで、ちょっと豪華な食事をしたい"とホームパーティー気分の愛結が離れたリビングで辰実と梓は話をしていた。


"槙村の逮捕"という結果で幕を下ろした事件も、その後処理が終わるまで気は抜けない。…もし、それらが全て片付いたとしても"当事者"であった黒沢夫妻の心には事件の焦げ付きが残り続けるだろう。


最も、"被害者"と言われれば愛結なのだが、日登美が槙村に遺した"毒"と、その"トドメ"を知らずに任せれていた辰実の事を考えれば、辰実にも何かしらの傷痕が残っているように梓には思えて仕方無かった。



警察官になる事すら"仕組まれていた"と考えていたなら、と考えれば考える程に言葉にできない"悲しさ"がこみ上げてくる。



「だが、結局のところ槙村が日登美さんに魅了されたからこそ"心の弱さ"を突いて動揺させる事が出来たんだ。槙村が"個人としては"弱かった事を分かっていなければ、今頃こうやって何事も無い生活を送る事は出来なかっただろう。」


「……………」


辰実は、"仕方ない"と思っているのだろう。…しかし、梓が心のどこかで"待っていた"答えが辰実の口から出てきたのはそのすぐであった。



「だがもう、他人に仕組まれた人生など御免だ。…俺の気持ちも、俺のこれからも、今こうやって生きて愛結や燈、チビ達やさくらと生活を送っているのと、全て"俺のモノ"だ。俺の運命は、"俺のモノ"なんだ。」


日登美に任された"舞台を終えた"辰実の、疲れと本音が垣間見えた。



「愛結さんとは、上手くいってるんですか?」

「ああ、"いつも通り"だ」


羨ましいぐらい、夫婦の仲は良いようだ。



(…憧れるのよね、こういう感じ。私もこうやって攫われてみたかったわ。)

(え、そうですか!?でも水篠さん、カッコいい感じだから逆に花婿を奪いそう。)

(いちおう"女の子"ですし、やってもらいたいなー)

(ふふっ)

(今の旦那も好きですけど、こういう事を平気でやってくれる人もいいですね。…あー私も1回こういうのされてみたかった。)

(私、実は"2回目"なんですよ、1回目は彼と付き合う時。でも2回目の方が嬉しかったかなー)



"花嫁を頂く"作戦の時に単身で愛結の避難に回った時の話を、梓は知詠子から聞いていた。"嬉しそうな顔をしてたわ、本当妬けちゃう"と知詠子が言っていたのを思い出す。愛結の事も考えはするが、それよりも知詠子が実は結構デレる女性だった事に驚いていたという方が正しかった。



「話は変わるんだが、この前また嬉しい事があったんだ」

「え、何ですか?」


様子を見るに、本当に嬉しい事のようだ。


「燈が、初めてちゃんと"パパ"と言ってくれたんだ」



 *


槙村の逮捕から数日後、暫くの間匿って貰っていた饗庭の住居に辰実は訪問していた。これまでのお礼と、私物の回収に来た訳である。


「槙村の逮捕は、無事成功したよ。これも君が暫くの間世話を焼いてくれたお陰でもある。…本当に、感謝している。」

「いえ、それ程でも」


私物を回収し終わった所で、辰実は月本に一礼をする。


「饗庭は仕事か?」

「はい。…なんでも"始末"をつけてくるとかでここ数日は帰りが遅いんです。」

「成程」

「何か、ご存じなんですか?」

「いいや何も。ただ、やる事は大体予想がつく。」


"そうですか"と、月本は適当な相槌を打った。


「ところで君はどうするんだ?槙村ももう捕まった、問題の根っこの部分は刈り取った。…ここで饗庭に匿われる理由も無くなった。"自分の人生が生きたいなら好きにするといい"って、饗庭なら言うと思うが。」


"いえ…"と、少し悲しそうな顔をして月本が俯いた時に辰実は事情を察した。


「なら、饗庭に"ちゃんと"伝えた方がいい。…あの男も自分の本音を中々言わないから、どちらかが折れて先に言った方がいいと思うぞ?」


"…と、いう事で俺は俺の人生を楽しませてもらうよ"と、揚々とした素振りで去って行った辰実にとっては、"察した"気持ちだけで十分であったために月本の返答などどうでも良かった。



…夕方、そのまま辰実は家路につく。


愛結の話によると、"辰実の物は全部、整理する前だったから何も触っていない"と言っていたので物的には"死んだ"とされる以前の様子で変わりない暮らしができる。



(愛結とチビ達はまだ帰って来てないか。)


家の駐車場に愛結の車が無い事で分かる。燈は帰ってきているだろう。


燈を養子にする理由と言えば"松浦の事"を考えてであったが、それも槙村の逮捕により辰実と燈を縛り付ける"何か"は無くなっていた。伴って理由も無くなっている。


燈を養う事も、"仕組まれた"通過点であったのか?


これだけは"そうでない"と辰実は否定したかった。純粋に人の親として、施設にいながら、家族を得られなかった孤独に悲しむ子を憂いた気持ちだけは絶対に"自分のもの"だと。最後にその感情が残った事で、"本当の親子"になれる可能性がまだ残っている事は明白だろう。



「ただいまー」


"お帰りなさい"とは言ってくれる。その前に迎えてくれたのは、辰実(しばしば愛結とか燈)が念入りにその長毛を手入れしているラグドールのさくらであった。


毛がふわふわ過ぎて、座っている足がどこか分からない。


いつもは"にゃー"と鳴いて尻尾を振るのに今日は、"ぶんす"と鼻息をして尻尾をぶんぶん振っている。"抱っこしろ"の合図であった。


近所の猫はあんなに軽いのに、さくらは何故重いのか?と思った直ぐに答えは分かる。ラグドールは大型の猫であった、更に言えば実家が飼っている猫はさくらより重い。これはブリティッシュショートヘアの男の子だからだろう、いくら何でも"たつお"と言う名前をつけるのはやめてもらいたかったが最近は親近感が沸いていた。


さくらを抱き上げると、燈がやってくる。



「お帰りパパ」


存外、本当の家族になれる日もそう遠くは無かった。



 *


話は、愛結の帰りを待っている辰実と梓に戻る。


"たこ焼きしたいから、粉を用意しといて"と愛結に言われ、用意を始めようとするも梓に"私がやりますんで黒沢さんはゆっくりしてて下さい"とキッチンを封鎖され仕方なく、さくらと猫じゃらしで遊ぼうとするも気分じゃない事を悲しむ辰実であった。


(俺がやるより馬場ちゃんが上手いだろうな)


女子力を超えて"女将力"と言うべき程に、梓の料理に関するスキルは高い(ダイニングあずさに行った時に、梓の父から聞いた)。任せておいた方が良いのだろう。


…さくらが気分じゃないために、ゲームをするか雑誌を読むかで悩んでいた辰実のスマホに電話がかかる。"饗庭康隆"と表記されていた。



「すまないが、出たくない」

『律儀に出てんじゃねえか』

「…で、何?今日は嫁と馬場ちゃんとたこ焼きパーティーだから、お誘いは全部キャンセルだぞ?」


間を挟む、愛結からのコール。"すまない、嫁からだ"と、饗庭との電話を一旦切り愛結のコールに応じる。


『あ、辰実?今から早瀬さんも呼ぼうと思うけど大丈夫?』

「早瀬さん?…別に構わないが。そう言えば今、饗庭から電話がかかって来てたんだ。呼ぶなら饗庭も呼んでいいか?」


梓も、たこ焼きの粉を作りながら話を聞いているようで、"構いません"と目で合図する。饗庭単品はきついが、他に人がいるなら良いのだろう。


『饗庭さん?いいわよ、これから"わわわ"で一緒に仕事する可能性あるし。』

「饗庭が"わわわ"に?」

『ヘッドハンティングって聞いてるけど。本当の所は違うと思うわね。』


"じゃあ、もうすぐ帰るから"と、愛結はそう言って電話を切った。


「…愛結が、饗庭も来ていいとさ」

『おう、そう来なくっちゃ』


少しだけ疲れた感覚を、辰実は憶えた。


暫くして愛結が帰宅し、すぐさま饗庭と早瀬がやって来る。愛結が買ってきたネギやタコを切って早速、5人によるたこ焼きパーティーが始まった。


「実は、"てぃーまが"を辞めて"わわわ"に行こうと思ってよ。早瀬さんのツテもあるし、実際に"槙村の人身売買"に関わってた訳だしよ。」


捜査二課により日下部が逮捕されたという話を聞いたのは、槙村の逮捕から数日後の話であった。外部への橋渡しをしていた訳だから、どうやっても犯行は証明されるだろう。


「…だからと言って、饗庭が実際に女の子に危害を加えた訳じゃないだろう?うちの係で"脅迫"が証明できたから逮捕される事も無いだろうし。」


半分ほどひっくり返したたこ焼きの表面は、綺麗なきつね色をしていた。更に粉を流し込んで、中身もしっかりしたのを作っていく。


「それでも、"共犯"だからな。会社としてもイメージが悪いさ」

「…だからと言って、"わわわ"が受け入れてくれるとは思わないが」

「残念ながら、"わわわ"も饗庭君にすがる事しかできないのよ?」


そこは、早瀬の入れ知恵だろう。"早瀬さんの入れ知恵ですか?"と思ったままに質問をすると"黒沢君は変わらず察しが良いわね"と返ってきた。


「結局、槙村が"そうする"と分かってて"わわわ"への鞍替えを赦した人事課に私は責任を取らせようとしたのよ。自分等より会社に貢献してるグラビアを、下衆野郎の慰み者にするのを黙認してたし"共犯"でしょう?」


「…それで、饗庭が槙村のPCから掘り出した"証拠"を持って"わわわ"に行かせたと。責任を取りたくない連中は、饗庭が持ってる"証拠"が喉から手が出る程欲しい、と。証拠は槙村が"賄賂"をした相手とその額、差し出した女のリストだったから"調べれば"自分等の潔白が証明されると。」


"よく考えましたね"と辰実は思わず言ってしまう。証拠は"てぃーまが"への絶縁状であり、"わわわ"が饗庭を必要とするための餌であった。


「あともう1つ。"わわわ"には槙村の新しい味方"になる予定の奴"が複数いたハズ。人事からすれば、それを知っている可能性があって"槙村に嫌悪感を持っている人間"を欲しがってる。」

「でしたら、饗庭がうってつけですか」

「その通り」


梓と愛結は、歓談をしながらたこ焼きを食べている。さっきから話をしている辰実は"焼きながら"であったが、先程からたこ焼きに殆どありつけてない事に気づいた。


(ずるいぞ)


話をしながらも、饗庭と早瀬はたこ焼きを口にしている。


隙を見て、出来立てのたこ焼きを1つ、辰実は口にする事ができた。とろりとした香ばしさに、タコの弾力とソースの味が染みわたる。アクセントで入っていた紅ショウガもいい味を出していた。


早瀬と饗庭の戦いは、まだまだ続くようだ。

"もうすぐ終わる"辰実の戦いは、続けたいとも思わないが自分のこれからは考えておかなければと、空元気で微笑んだのである。



「そうだ黒沢、礼を言っとかないと。槙村のPC、お前が"式場で言ってた"方のパスワードが正解だったぞ?良く当てたなー」

「ああ、"19920125"か。やっぱり、そっちだったか。」

「…何で分かったんだよ、お前?」


「支倉が言ったのは最初の"花嫁"、即ち槙村が執着してた人の生年月日。俺が言ったのは新しい"花嫁"の誕生日だ。」


「そんな短絡的な奴に振り回されてたかと思うと、泣けてくるぜ」

「同感だ」


ははは、と男2人は声をあげて笑った。

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