妻からの言伝

(前回までの話)

辰実と合流し、結婚式が開始する前に愛結の身柄を確保した防犯対策係。更に辰実がアナウンスで槙村に"花嫁は頂いた"と宣言する事で動揺させる事に成功する。


 *


"放送室"と言うのだろうか、辰実が槙村に"花嫁は頂いた"と大きく啖呵を切った部屋では、結婚式の開始を告げる女性スタッフが2人、事の仔細も分からず驚いている様子であった。


拳銃を持った人が"式に紛れている"と聞いただけでも卒倒ものだろう。そこに加えて警察が"花嫁を攫って行った"となれば事態は深まるばかりである。


「大丈夫です、誰一人怪我人は出させませんので。」


わなわなと抱き寄せ合って驚いた様子のスタッフ2人を気にも留めず、辰実は隣に座っている梓から"施設内見取図"をスマホで見せてもらい、アナウンスを続ける。



「この式場のロビーの奥から行ける通路、そこを真っ直ぐ行った所にモスクがあるな、…そこに花嫁を連れて行く。いいか絶対逃げるんじゃないぞ?」



さっきまで大人しく座っていたスーツ姿のガタイのいい男が数名立ち上がり、槙村とアイコンタクトを取ってぞろぞろと外へ走っていくのがカメラから見えた。



「私兵だな、やっぱり用意していたか。」

「やれますか?」

「助っ人も用意してるし、やれるだろう。」

「誰を呼んだんですか?」

「俺の知っている中で"強い"と思える2人のうちの1人。ちなみに1人は駒さん。」


饗庭なのだろう、梓はあまり好きになれないタイプの男であったが、"こういう時"に限っては"ボクシングの実力が"頼もしい。


辰実が"俺達も行くぞ"と言って放送室を離れようとする前に、ようやく槙村も"参加者"に話を終えてモスクへ向かい始めた。



「黒沢さん、これを。片桐さんからです。」


梓に渡されたのは、小型の受令機とイヤホン。受令機であって"無線機"のようにこちらから連絡を行う事は出来ないが、スマホよりも小型の機械である。


ちなみに現場では基本使わない。使うとすれば駅伝の時ぐらいで、先導する警察車両(有名なのは白バイだけど地方によってはパトカー)から、通過地点の連絡が入る。そのタイミングに合わせて、配置された警察官が道路の封鎖や信号の操作を行うという話であるが、この場では全く関係ない。


…そんな機械が、何故辰実に渡されたのか?


"御膳立てはしておくから、余計な事を気にせず槙村を捕まえろ"という防犯対策係からのメッセージである。



「俺の考えている事は全部お見通しなんだろうな、全く凄い人だよ。」



 *


結婚式が執り行われる教会は、式場の7階と繋がっている。エレベーターまでは一本道で、1分もしないうちに辿り着く。示し合わせたように、防犯対策係の面々と鷹宮、埜村がエレベーター前に集合していた。


「槙村をおびき寄せる事には成功したようだな。」

「おかげ様で」


鷹宮がグッドサインを出すと、辰実は頭を下げる。


「さて、モスクは3階通路からだったな。黒沢、お前はそこから行け。他の奴は1階に降りて、別ルートからモスクの警戒に当たる。」


"で、いいな片桐?"と鷹宮が話を振ると、"構いません"と片桐は答える。



「そして黒沢、この中から1人連れて行け。…拳銃を持ってる可能性のある相手に単独で行くってのは感心できんからな。」

「俺が選んで良いんですか?」

「良いぞ、何なら俺にしとくか?…埜村は腹芸が上手いしオススメだぜ?」


「俺が"馬場ちゃん"って言うの分かってて言ってませんか?」

「ほう、その心は?まあ分かって言ってんだけど。」

「"くろばば"と言うのがしっくりくるモノで。」



冗談を言い終わった所で、7人はエレベーターに乗り込んだ。




3階で、くろばばは別行動を始める。


エレベーターで降りていく面々を見送ると、披露宴会場のあるフロアは嫌に静かであった。


「黒沢さん」

「どうした?」

「…奥様が、黒沢さんに伝えて欲しいと」


正対すると辰実は、いきなり梓に頬をはたかれた。



 *


愛結が辰実に"馬場さんと2人にして欲しい"と言った後の事である。辰実は片桐と駒田、重衛と部屋を出ていき、控室は愛結と梓の2人だけになる。



「馬場さんは、辰実が生きてた事を知っていたの?」

「知っていました。」


厳密に言えば他の人よりも後で分かったのだが、愛結からすれば"知っていた"に該当する事だろう。言い訳に走らず、梓は答える。


「槙村を捕まえるため、黒沢さんは敢えて"死んだ"事にしていたと聞いています。」


"そう…"とだけ答え、愛結は次の言葉を考えていた。



「本当は、辰実が生きてたと分かって嬉しいの。…でも、生きているなら生きているで早く知りたかった。それが警察官として"仕方なく"選んだ事だとは分かってる、それでももっと早くに知りたかったわ。」


抑えられない涙を、白い手袋で拭う。


愛結の気持ちは、梓にもよく分かった。



「辰実に、伝えて欲しい事があるの」

「私で良いのなら」

「これが"最後"だと言うなら、あの人は馬場さんを連れて行くわ」


(本当はもっと怒ったりしたいのに、2人とも優しすぎるのよね…)


一番会いたい人に会えず、生きている事を隠し続けた辰実の"痛み"も、それを知る事無く失意に明け暮れ、槙村の傀儡となる所だった愛結の"痛み"も、梓には痛いくらい伝わっていた。


…愛結のもう1つの"痛み"も、辰実は受け止めなければならない。


「それで分かると思うから、辰実を引っぱたいておいて。」


"あとは…"と、愛結は"本音"の方を梓に伝えた。




 *


「"どんな事があっても、私は必ず貴方の味方だから。無事に帰ってきて欲しい"だそうです。…どこまで、優しい奥様なのでしょうね?」


梓は、愛結の"怒り"の方を汲み取っていた様子だった。


まだ頬にじんわりとくる痛覚は、愛結だけではなく梓の気持ちもあるだろう。それを理解した上で、辰実は気持ちを引き締めなおす。



「本当に、いい妻に恵まれた」

「そうですよ、本当。」

「…そして、コンビニも恵まれた」


"適当な事言わないで下さい"と、梓は恥ずかしそうに答える。嬉しそうな様子を一瞬綻ばせ、すぐに気を引き締めなおす。



「お、いたいた!」


モスクまでの道のりは殆ど真っ直ぐ。エレベーターの先にある、通路の扉を開ければ槙村の私兵が手ぐすね引いて待ち構えている事だろう。


…それだけに、やってきた"この男"は頼もしい。


饗庭である。梓が居心地の悪そうな顔をしているから間違いないだろう。



「腕っぷしが要ると思ってな」

「丁度良かった」


先に若松島に行っていた饗庭は、辰実に"何をしていたか"を説明しておく。


「槙村の事務所がロック式だったもんで、"カードキー"を持ってる奴を見つけて尾行してたんだ。…それで事務所の前で様子を見てたら、ただ事じゃねえ顔でわんさか"私兵"が走っていきやがった。追ってきたら丁度ここだよ。」

「だとすると、"カードキーを持ってる奴"がこの先にいるんだな?」


"ああそうだ"と饗庭は答える。


「…で、来てみたらこの騒ぎだ。スタッフも普通じゃねえ顔してるし、物騒な連中が新郎姿の槙村と走っていきやがった。黒沢、お前一体何をしでかした?」


「花嫁を頂いたんだよ」


「こいつは爽快だぜ!今まで色んなモン奪ってきた奴が"逆に取られる"なんてな、明日は良い事がありそうだぜ!?」

「…その"良い事"を迎えるためにも、手早く連中を片付けるのに手伝ってくれ。」



饗庭と辰実が先行しながら、通路への扉を開ける。"やっと来たか"と待っていたスーツ姿の男達が、"いかにも"ヤル気の顔をして2人に殴りかかろうとする。


「何だそのパンチは!?」


梓には、一瞬何が起こったのか理解できなかった。"ジャブ"で人が吹っ飛んだのである。普通に考えれば、ストレートやフックぐらいの威力でなければKOは難しいのに饗庭はジャブで人を飛ばした。


(黒沢さん、あんな危険な人と戦ったんだ…)


続いて、右ストレートで近くの男を殴り飛ばす。ジャブから行きつく暇も無いが、饗庭の"ほぼ同時"のビートの感覚であれば"少し間を置いた分"の溜めが入った鉄球張りの右ストレートは食らった瞬間"KOだ"と分かる。


「甘い、甘いぞ!槙村のクソガキを守る気あんのかテメー等!?」


迫りくるピーカブースタイルの鉄壁。その緊迫感に加え"宇宙"を体現するようなウィービングで、集団の一撃一撃をギリギリで躱していく。そしてジャブとストレートが"ほぼ同時"に1人もう1人にヒットする。


ひとえに"キリングマシーン"のなせる業だろう。相手の動きも全て計算済みで、そのうえで"隙"を確実につくように奏でられる"悪夢の重低音"。



その恐怖が分かれば饗庭にかかる事なく、梓に殴りかかる男もいた。梓はこれを肩からの当身で距離をとり、警棒を手に取り引き伸ばしこれに応戦する。


"特殊警棒"が玩具に感じるぐらいの、ちゃんとした"警察装備"として支給された警棒。伸ばせば脇差ぐらいの大きさになる"それ"の先で、耐性を整え殴り掛かる男の鳩尾をついて怯ませる。


そして、知詠子に"これさえできれば、男相手なら最低限大丈夫よ"と教わった低い蹴りをお見舞い。金的に上手くヒットしたそれに、追い打ちに警棒で叩けば確実にノックアウトだろう。



"女だからってバカにしてんな!"とか言いながら、男2人を避けて梓を狙おうとする2人を情けないとは思った。1人の太腿を警棒で叩き怯ませるも、もう1人は梓に襲い掛かろうと手を伸ばしたその瞬間…。


もう1人の"キリングマシーン"が、その男の腹に拳をめり込ませ悶絶させる。うずくまろうとした男を蹴飛ばし、他の私兵にぶつけて牽制した。


"ありがとうございます"と言う間もなく、辰実は構えを取ってスーツ姿の集団に相対する。腰を落とし、左手の甲を饗庭に向け、右手は自分の胸の前で掌を相手に向けたその"構え"は、梓の素人目に見ても"覇気"に溢れていた。


溢れ出るような気では無く、押し留めて現れた静寂。そして一瞬、月が震えたかのような感覚。


迫りくる集団の攻撃を、1つずつ"確実に"弾いていく。まるで抜き身の一撃にも似た"それを"涼しい顔をして繰り返す辰実に感服せざるを得ない。


もっと驚くべきは、"弾く"と同時に"返し技"を確実に打ち込んでいる事だ。


殴り掛かったと思えば、自分がやられている。一撃のもとに倒された面々は、多分そんな事には気づいてもいないだろう。



程なくして、20数人いた槙村の私兵が誰一人起き上がって来なくなった。


2人を相手にし息をあげていた梓であったが、辰実と饗庭はその倍以上の人数を相手したにも関わらず"アップ"が終わった後の爽快感が表情に出ていた。



「余裕だな。槙村の手先で俺より強い奴なんていねえし」

「それが味方にいるのだから、結末は見えてたハズなのにな」


"全くバカな連中だぜ"と言いながら、倒れている1人の上着を漁る饗庭。お目当ての"カードキー"を見つけたようで上機嫌である。


「さーて、私兵が出払ってもう事務所はすっからかん。そして全滅したから戻って来ねえ。…漁り放題だな。」

「そっちの方は頼んだ。」


"パスワードも分かってる訳だしな"と言っている饗庭は、既に勝利を確信していた。…しかし、辰実は"それでも"気を抜かない。


「もし、パスワードが"間違っていた"場合に、試して欲しい8桁がある。」

「ん?間違ってる事が?」

「"花嫁"を迎えるのに、別の女の誕生日をパスワードにするか?」

「…いいや、しねえな。とりあえずその8桁を教えろ。」


「"19920125"」


"よし、分かった"と言って、饗庭は事務所に向かって走っていく。



「俺達も行こう。」

「そうですね、早く決着を着けましょう。」



モスクの前に到着すると、先着していた他の5人が少し疲れた様子(駒田は余裕そうであった)で待ってくれていた。おそらく、周囲の私兵を一掃し"有事"に備えて警戒してくれていたのだろう。


"行きなさい"と手で合図する片桐にこくりと頭を下げ、辰実と梓はモスクの扉を開けた。

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