奪って欲しいの

(前回までの話)

ニュースにて市長選への立候補と、当選後に愛結を妻に迎えると宣言した槙村。梓をはじめ防犯対策係もその状況を見ており、怒りを募らせたところに辰実から"結婚式の日時が分かれば連絡する"と入る。


その一方で槙村は愛結の仕事を全てキャンセルした事に対し、人事課に直談判しに行く早瀬であったが、人事課長からは何の対応も検討されない事が分かり、"謝罪の言葉を考えておいて下さい"とだけ言い残し去っていく。


対策を早瀬に伝えた辰実は、真実に辿り着いた"約束"として日登美と会い、7年前の謝罪と共に互いの気持ちを理解できた所で、槙村が起こした事件の"全てに"幕を引き愛結を守る事を心に誓うのであった。



 *


「槙村さん、私の仕事が全部キャンセルされたと聞きましたが、どういう事ですか?…あと、私は貴方と"結婚する"なんて事は考えていないのに勝手な事を宣言するのはやめて下さい。」


まだ夫の四十九日も終わっていないこの状況で、非常識すぎると愛結は怒る。…そもそも、グラビアとマネージャーの関係=恋愛関係ではない。



「ですが、仕事も無いのは事実です。…それに言ったハズですよ、"とうに死んだ男の事など忘れた方がいい"と。」

「だからと言ってあなたの妻になる義理もありません!」


声を荒げる愛結に対し、冷静にニヤつく槙村が煩わしくて仕方ない。



「…そう言えば、こんな話を聞いたのですが。黒沢辰実は以前に"人を殺した"事があるそうですね?」

「私も本人から直接聞きましたが、"正当防衛"と聞いています。職務中に凶器を使用していた犯人を射撃したと。」


「果たして、本当にそうでしょうか?…貴女も僕も、その瞬間は見ていない。」


そうであるが、それを打ち明けた辰実が嘘をつくことは無い。証明できるとすれば、彼の左腹にある刀傷だけだろう。それが辰実の死によって証明できなくなった訳であり、槙村もそれを見越しての脅迫だと考えられる。



"この事をどう説明するのか。この説明次第では貴女の人生だけでなく、親族の皆さんのこれからをどうとでもできるという事をよく考えて下さいね。"


人をそういう道具としか見ていないのだ、この男は。"辰実がいなければ"全て成立し得る事であるからこそ、槙村に抗う事が現時点で危険か愛結にはよく分かった。



"この男の慰み者になりたくはない"



早瀬の"話"は全くの事実であった。日登美も同じように脅され、心を痛めただろうと思うと、自分の"悲しい"という気持ちよりも槙村を"哀れ"だと思う。



「悲しい人ですね。」

「どういう事でしょう?」

「…いえ、分からなければそれでいいです。」


一呼吸おいて出てきた言葉には、愛結の"諦め"と"決意"の両方があった。



「貴方が私を妻に迎えたいのなら、構いません。」


一瞬"屈服させた"と思い喜ぶ顔をした槙村の顔を見る事も無く、愛結は続ける。



「ですが、約束して下さい。貴方の妻になる代わりに、私の親族には絶対に危害を加えない事。そして、貴方がいままでやってきたように"モデルやグラビア"に恥辱を与えるような事は一切しない。…それを守っていただけるのなら、貴方が私をどうしようと構いません。」


(これでいいの。そう、これで。)


死亡して槙村を欺いた辰実と同じように"自分1人の犠牲で何とかなるなら"と考えた愛結。…その先を考えたくも無いが、



「そして、貴方宛てに"匿名"で送られてきたみたいです」


と言い、愛結は先程届いた"茶封筒"を槙村に手渡した。



 *


「"色欲まみれのクソ野郎、槙村祐司様へ。貴方の事ですから、今頃グラビアアイドルの黒沢愛結をGカップのお胸ごとむしゃぶりつくしてやろうと考えている事でしょう。…ですが、世の中は貴方ごときの思惑通りにはいきません。人の夫が死んでまだ四十九日も経ってないのに結婚を申し込むとはいい度胸ですが、そんな人に我々が常識を教えて差し上げましょう。"」


"もし、黒沢愛結に性行為を要求する。もしくはしている可能性が疑われるような事をしたならば、どうするかはお分かりでしょう。期限は黒沢辰実の四十九日が終わるまで、よろしいですね?"



匿名で槙村に送り付けてやった茶封筒の中身には、PCで打ち出した文書を入れていた。その中身を一言一句、辰実は居候の彼女に揚々と説明する。



「…それで定期的に、声を変えて電話してるんですね。」


彼女は慣れた手つきで、辰実の髪を切りながら話を聞いている。100均で買ってきた"ヘリウムガス"のボンベが彼の脇に置かれているのだが、電話を掛ける度にこれを吸って喋るのだ。見ている分には滑稽極まりない。


"親の権力"で市長を勝ち取り、あたかもそれを自分の事のように振舞う槙村の姿がテレビには映っていた。



「槙村が去ったら、一度"電話"してやるか?」

「面白そうだが、それよりも"早瀬さん"の方は?」


「お、連絡が来てるな。"ヒルズ"のレストランで夜の8時に槙村が予約を入れたらしい。…しかも2人で、"個室"だぜ?」


"愛結だな"と辰実は確信する。早瀬がどのように話をして情報を仕入れてくるのか疑問であるが、"知り合いがヒルズにいる"という発言は本当なのだろう。


若松島にこだわりがある槙村の事を考えれば、どこに行くか予想できなくも無い。最後の相手がここまで読みやすいというのは好都合でしか無かった。



「もう1つ、"てぃーまが"の政治部からだ。"7時半から、商店街で槙村の街頭演説が入った"らしい。」

「じゃあ、予約が動いてしまう可能性が…」

「ヒルズのディナーなんて、予約でギチギチの所をねじ込んだろうに。時間をずらす余裕があるかってんだ。」


となると、更に都合が良い。"愛結だけが待っている"時間帯に接触する事ができるかもしれないのだ。


「愛結の様子が分かれば、後は"結婚式当日"を待つだけだ。その間も少し邪魔はしておけば無事に花嫁が出てくるだろう。」


整えられた髪を、鏡で見せられ辰実はホッとする。


「上手いな。…まあ、知ってるんだが。」


居候の彼女は、何を言っているのか分からないと表情で辰実に訴える。


「…君の顔に傷をつけた"半グレ"を、"舘島事件"の現場で射殺したのは俺だ。その前にあった事件の事も、良く知っている。名前は"月本美之(つきもとよしの)"で合ってるか?」

「間違いありません」

「大方、モデルの話が白紙になった時に支倉から何か言われたか、犯人が支倉の名前を吐いたかだろう。あんな奴らに構って人を殺してしまうなんて馬鹿馬鹿しい事があるかと思って、支倉に包丁突き付けた時は止めさせてもらったよ。」


「あの男に襲われた時に"恨むなら支倉を恨め"と言われたんです。」

「全く、アレは驚いたぜ。…正直、黒沢が止めなかったらどうなった事か。」


辰実にも見せない、"真剣な"顔をして饗庭は美之に話を続ける。


「…もうすんじゃねえぞ、俺はお前のそんな様子は二度と見たくねえ」


泣きそうな顔をこらえて笑顔を作った美之の傍らで、"気まずそうに"辰実はヘリウムガスのボンベを口にし電話を掛けた。



 *


時計は、夜の8時を過ぎている。


セピアの照明が、落ち着いたディナーの雰囲気を醸し出す個室。愛結は1人で槙村を待っている…という事も無かった。"待たされている"と言った方が正しいのかもしれない。


"槙村の傀儡となる"と決断した愛結の、海底のような青い瞳、その奥に佇む瑠璃色が揺れていた。まどろみと優しさで誰もを迎える色とハイライトの加減の揺れ具合に、押し殺そうとしても押し殺せない彼女の本音が露わになっていた。



"街頭演説を頼まれて、8時を過ぎるから先に食べていて欲しい"


いつか"当たり前"だと思っていたやり取りを、ここでされても嬉しくは無い。



そんな風に佇む愛結の、感情の不規則な波形を映すようにセピアの光が部屋に散らばっている。部屋をノックした男に振り向いた彼女の、目の奥の瑠璃色が淡い光を放って美しかった。



遡る事数分前。


「では、お部屋に運んでまいります」


と言って、2人分の"メインディッシュ"らしいステーキを台に乗せ、スタッフの1人が厨房から部屋へと向かう。身長は普通ぐらいに、暗い茶色の無造作な短髪にぶっきらぼうな表情をくっつけた眼鏡の男は体格のためか、ウエイター姿が似合っていた。


台車を、ガラガラと押していくウエイター。エレベーターの前で立ち止まった時に、スーツ姿の荒くれ風の男に声を掛けられる。


「よく似合ってるじゃねえか、黒沢」

「羨ましがっても服は交換してやらんぞ?」


辰実がウエイターに扮する事が出来たのも、饗庭の手引きである。…本来は"しらみ潰し"に愛結のいる場所を探すというやり方(早瀬から部屋番号だけは聞いていたが)だった。


しかし嬉しい誤算で"辰実と背格好がよく似ている"ウエイターがいたため、隙を狙い饗庭がトイレに連れ込んで気絶させ、辰実がその服を着て入り込むという"映画でしか見た事ないような"やり方に変更となったのだ。



…そして、元から持っていた伊達メガネ(偶然ながらこれも似通っていた)を着用し愛結のいる部屋へ行くのである。



ここまで話せば、愛結のいる部屋をノックしステーキを運んできたのが辰実だと分かるだろう。…そして、愛結に気づかれる事無く接近できた。



「ご気分が、優れなさそうですが?」

あくまで、ウエイターに徹した発言で愛結の様子を聞き出す。


グラスに注いだワインを、愛結は一口流し込んだ。その顔に流れていなくても、抑えきれない涙の様子が辰実にも見て分かった。


「…少し、思い出した事がありました。」

「何でしょう?」


本当は、今一度愛結に触れ"生きている"事を知らせたい。そんな葛藤の中で、"最後まで役割を演じ切る"と誓った辰実は欲望に打ち勝つ。



「死んだ夫の事です。貴方とどこか似ている気がしましたので。」


"死んだ"と思っているからこそ辰実と判断できないのだろう。悲しくも、そう思っている方が好都合な状況ではあった。



「市長になった彼の"妻となる"事を決めた時に、私は自分の母も子供達も、また死んだ夫の家族すらも"無かった事"にしなければなりませんでした。」


燈も、希実も愛菜もさくらも、また実母のマドリーヌ、黒沢家の面々も、今まで大切にしてきた人とは関わる事が出来なくなる。詳しい事情は分からなくても、それが"愛結の決意した事"だとは辰実にも分かった。



「…私は、明日の四十九日を終えた次の日に"花嫁"となります。今までの"黒沢愛結"を捨て、市長の花嫁となる。」


「貴女は、それで良かったのですか?」

「私が決めた事ですから」


「私は、貴女が"それでいい"と思っているようには見えません。」


瑠璃色の海を覗き込んだ、黒い瞳の力強さが愛結を揺さぶる。"本当は"と揺さぶられ


「本当は、彼に帰ってきて欲しい。」


照明の加減で、愛結が着ているドレスの青が見える。同じ色の手袋で涙を拭くと、俯いた彼女は悲しく笑みを浮かべ"願い事"をするように零すと、ようやくその言葉を辰実は聞く事ができた。



「そしてまた、私を奪って欲しいのです。私が彼を"好きになった"時のように。」



愛結が顔を上げた時には、もうウエイターの男は居なくなっていた。"もう二度とない"と思っていた気持ちを、また感じる事が出来た事に"最後の"幸せを噛み締める。


…しかし、それが"最後"だとは辰実も考えてはいないだろう。そして愛結もどこかで"考えたくない"と思っているのだろう。



それから"結婚式"までの時間は何事も無く過ぎていった。

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