離れてもくろばば

(前回までの話)

支倉を攫い、松浦の遺した"リスト"を突きつけ、槙村が所有する"現在の"賄賂リストの場所を聞き出し、データを内蔵する槙村のパスワードを更に聞き出す事に成功した辰実と饗庭。


そして、そのパスワードの内容で"全てを"推理した辰実は、燈を養子に迎え槙村と対峙するまでの"過程"が松浦によってでは無く"別の者"により仕組まれた事だという推理を饗庭に叩きつけるのであった。



 *


拳銃の数の違い、工程表の不在と"頭を悩ませる"事が増えて"次の手"を考えていた所に饗庭からの連絡が来た。皆に促されるままに知詠子は電話に出る。


『よお、饗庭だぜ?』

「用件があるなら手短に話して欲しいんだけど。」

『…じゃあ、別の機会にしようか?話したい事があるから、今から出頭しようと思ってたけど。』


陽気な饗庭の声から耳を遠ざけ、"話があるとか言ってます"と片桐に説明する知詠子。"大事な話かもしれないわね、そっちを優先して"と指示を受けたので饗庭の用件を済ませる事にした。


「分かったわ、署で待ってる。」


饗庭が来たのは30分後であった。



「槙村の尻尾を掴んだ。」

「早いのね、生憎こちらは拳銃とその工程表が見つからなくて頭を抱えてるわよ。」


相変わらず、知詠子の饗庭に対する印象は悪い。相手の腹の内を分かっていて"敢えて"痛い方を選ぶ物言いを普通は快く思わない。


"友人"と言っていた辰実ですら良い印象を持っていなかった。



「槙村だろう。支倉をとっ捕まえて色々と質問したが、反応で分かった。」

「そこは、ちゃんと証言させなさいよ?」

「知らねえんだから証言も何も無えだろ。…あの工場が"トカゲの尻尾"だって事に支倉もやっと気づいたんだから。」


「"トカゲの尻尾"だと言うのに、槙村の尻尾を掴んだ。まさか胴体から離れた尻尾の事を言ってるんじゃないでしょうね?」


"当たり前だ"と言う饗庭。まともな様子で会話をしている事が梓には珍しく思えた。



「槙村が売った女の値段、買い手。そのリストが何処にあるか分かった。そう言えば解除パスワードも教えてくれたな。」

「パスワードを変えられたら、そんなモノ一瞬で終わりよ。」


「…どうだろうか?俺は"分かる"と思ってる。」


"楽天的すぎるわ"と知詠子は否定する。リスト、と言われれば帳簿かデータの形で保管されている事だろうと考えた知詠子は、ファイルもしくはPCごと持って行けば良いと考えていたからこその発言である。


…犯罪行為さえ立証できれば可能な事だと頭に浮かんだのは、"警察官"ならではの考え方だろう。そして、また違う点から槙村の外堀を崩しにかかっている饗庭は、好きでは無いが頼もしい存在ではあった。



「"アイツ"が、全ての真実を看破しやがった。」


"黒沢さんの事ですね?"と口を挟む梓に、逃げ場の無い苦しさが饗庭の表情にはあった。まどろっこしい事を"先を読んで"避けるという小狡さも彼にはある。



「そもそも、"死んでいません"よね?」


余りにも早いために不自然に感じた"観念で"あったが、それでも攻め手を止めない"女傑"の如く心の強さで饗庭に斬り込んでいく。


「どうしてそう思う?」

「事故の状況。あと饗庭さんも松浦さんもそうですが、"誰かが槙村を打ち倒す"ために動いてるように見えるんです。」


背もたれに体を預け、腕を組んで険しい顔をして梓の話を聞いている饗庭。分かりやすい"図星"の反応であった。もう1人の"女傑"は、更に斬り込んでいく。


「…私は、それが"黒沢さん"だと思ってました。でも黒沢さんが死んだならもう託す事なんてできない、自分が槙村をやっつけるしかないのに饗庭さんの姿勢は変わってやいない。」



辰実が"槙村と戦うように仕組まれている"と疑ったのは、大路晶の盗撮や坂村の爆弾設置をはじめとする"恩田ひかり"を根とする事件が連発した後、"当事者だった"辰実の潔白を証明するために防犯対策係が宮内に呼ばれた時であった。


その時に潔白を証明した辰実に、宮内と片桐は"槙村の犯行"を説明した。その次に"饗庭が話に応じた事"で、もし饗庭が殴り合いに応じず"話をはぐらかし続けていれば"逃げ切る事ができたにも関わらず、最終的に交渉に応じていたのである。


饗庭については、更に疑うべき点もある。


槙村の手先であったにも関わらず、松浦の部下であった早瀬と連絡を取っている事であった。これは盆暗でも"間者"である事を疑うしかない。


饗庭の目的を考えれば、松浦や早瀬も"同じ目的"である事も間違いないだろう。



「あと、ここまでの流れを"考えたのは"松浦さんでは無いですよね?」

「驚いたな、考え方と進み方は違うのに行先は"黒沢と同じ所"に行ってやがる。」


嘘は無いだろう、ここに来て真剣に話を聞く事に徹している饗庭を梓は信じていた。


「槙村の犯行について、"恩田ひかり"が弄ばれていた事以外は黒沢さんの知る所ではありませんでした。…当事者ではない松浦さんが"槙村を捕まえるべく"動くなら、切黒沢さんが"蚊帳の外"と言うのは考えにくいですし。」


当事者は最も有効な駒であるのに、それを使わないという辺りに"意図的な"ものを感じた。…ここまで話したら、そろそろ答え合わせである。



「私も、黒沢さんのように"フィクサー"の名前を当てて良いですか?」

「…正解なら正直にそう言ってやるよ。」


事の行く末を見守っている様子であった知詠子にも、真実をひた隠しにしていた饗庭にも緊張が走っている。正解を待つ饗庭と、正解を待ちながらも正解を"期待したくなかった"知詠子にとって、少しだけこの緊張は長く感じた。



「"織部日登美"。モデルの"恩田ひかり"ですよね?」



「分かってた節はあるが、いざ口にされると驚くモンだな。…ここに来て黒沢と一緒の真実に辿り着くとは、本当に"いいコンビ"だぜお前等は!」


声をあげて笑い出す饗庭。前にも同じやり取りをしたのに、それを別の人が繰り返している事に驚かず、笑わずにはいられなかった。



 *



「織部日登美」


フィクサーの名前を言い当てられた饗庭は、驚かずに少し唇を笑わせただけであった。遅かれ早かれ、槙村と戦うために知らなければいけない真実であったが、自ずと辿り着いた事に饗庭は心の中で拍手を贈る。



「燈の所は松浦さんのテコ入れだろうが、もし別の形で知っていたとしても俺は"養子に迎える"選択をしていたからな。」


真実に辿り着いたにも関わらず、辰実には"1つだけ"疑問があった。


"早瀬真啓の役割"である。"辰実に向けて"手がかりを遺した松浦と、そこまでの"案内人"を担った饗庭とは違い、早瀬の行動は定まってなさすぎる。


槙村を一時的に足止めし、愛結に危険信号を送ったのは"早瀬の機転"であって本来の役割では無いだろう。最も始末の危険性が高いポジションを任せるとは思えない。


「ただ、早瀬さんの役割だけは分からない。」

「…それぐらいは教えてやるよ?」


と言って、饗庭はどこかに電話を掛けた。


「織部日登美の"居場所"を知ってるのは、早瀬さんだけでな。」


"全部、看破されちまったぜ"と話をする饗庭のスマホからは、早瀬の声が聞こえる。"分かったわ"とだけ淡々と返事をする様子は、7年前に知り合った早瀬そのものだった。



「フィクサーが、お前と話をしたいってよ。」



 *


半年続けられていたトレーニングも、"辰実が生きていた"と分かればやる気になった。3週間分のブランクを埋めるべく、梓はプランクで体を引き締め始める。


20秒間、両肘だけで自重を支え、10秒間のインターバルをとる。両足は宙づりにされた紐の輪っかに足首を引っ掛けて支えている。"TRX"と呼ばれるトレーニングマシンで、これ1つで全身のトレーニングができる優れモノだそうだが、梓は基本的に体幹トレーニングにのみ使用していた。


プランクを20秒5セット、サイドプランクも左右20秒5セットずつ。両脚を揃え、膝を曲げて左右に体を捻るのを各10回5セット、肘に向けて交互に膝を近づけていく運動を各10回5セット。無理のないようにインターバルと水分をしっかり摂りながらやっていく事にする。


仰向けの状態でフットクレードルにつま先を差し込み、半回転すれば準備完了。スマホのタイマーを動かし始めた瞬間から、プランクを開始。


…少しずつ、自重で体が悲鳴を上げ始める。20秒経って解放されるインターバルの10秒も情け程度の回復。"追い込みと息継ぎの緩急"が強靭な体力を作るのだと、警察学校で教官に教わった梓は、バランスよく20秒と10秒を繰り返す。



1セット目、まだこれは根性で耐えられる。

2セット目、まだまだこれから。

3セット目、個人的にはこの辺りが精神的にキツイ。

4セット目、体が悲鳴を上げ20秒が倍以上に感じる。

5セット目、意外と気が楽。


プランクの最中に、頭上に"誰か"の影が差したのは下を向いて集中していた梓にも分かった。5セットを終え息も上がった梓が仰向けになって息を整えようとした時に、梓を見下ろしている知詠子の姿がそこにはあった。


体にフィットしているメッシュ生地の黒シャツに、黒のレギンス。スーツ姿でも分かっていたけど、スタイルの良さが分かる。長い黒髪は後ろでまとめていた。



「水篠さん、お疲れ様です」

「知詠子で良いわよ馬場ちゃん」


最初の"お芋ちゃん"が余程ショックだった(辰実と距離を置くための演技だったそうだが)ためか、"馬場ちゃん"と呼ばれる度に梓はキョトンとする。


「下の名前で呼んだ方がいい?」

「そうなるとフェアですね」


警察官では少ない女性どうし、そういう距離感であってもいい。



梓の隣に座って、フットクレードルに足を引っ掛けた知詠子は、梓が用意しているサイドプランクに合わせて、右肘で自重を支え始める。


3セット目で"限界"を垣間見た梓とは対象に、知詠子はまだ余裕を見せている。"大柄の男を単独で制圧した"話を駒田から聞いていたが、体力は人一倍あるのだろう。茶道部出身で運動はからっきしの自分とは大違いだと梓は思ってしまう。



各行程ごとの空き時間は、早く過ぎる。



次のトレーニングの行程も、黙々と梓は終わらせた。知詠子は涼しい顔に汗を浮かべてこなしている程度だが、そんな余裕が無い梓は5セット目が終わった後には完全にスイッチが切れた状態になっていた。


梓の近くに来た時には、汗をかいてはいたので自分の分のトレーニングは済ませているのだろう。梓の予定にあった体幹トレーニングを終えた後、ストレッチをしている。体を伸ばした時に時折見えるへそが綺麗だった。



「暑くないの、そんなに着込んで?」

「さすがに恥ずかしいですよ、シャツとレギンス1枚では。」


フード付きの薄いウインドブレーカーに、メッシュ生地のシャツと長袖のアンダーを着ている。下はレギンスの上にハーフパンツを穿いているのだが、お尻の形が良く分かるというのは中々に恥ずかしかった。




休憩スペースでドリンクを飲みながら、知詠子と少し雑談をする。


「さすがにブラとレギンスだけは私も無いけど、そこまで着込んだら動きにくくない?…どうせ貴女の事だから敷居が高いとでも思ってるんでしょうけど。」


SNSを見ればモデルやグラビアの女性がブラとレギンス姿で筋トレをしている写真を多く見つける事ができるのだが、実際にそんな恰好でトレーニングをしている人を見かけたら、"かなり目のやり場に困る"と言うのが事実(もし目に入って"見た"という事で怒られても困る)。


実際、SNSに載せる写真を撮影する時にだけその姿で、普段は上にシャツを着ているグラビアアイドルだっているのだから、色々と人と人との事は一概に言えない事だらけで面倒なのだ。


人が開放的になれる場所は、中々に少ないのである。



「え、そういうヤツ穿いてないの?レギンスの下に穿く用のヤツ。」

「穿いてますけど、私は知詠子さん程スタイルは良くありませんので。」


モデルの日登美にグラビアの愛結、そして知詠子と"辰実と親密な関係"な人はどうしてこうもスタイルが良くて顔も良い女性ばかりなのだろうか?と梓は疑問に思ってしまう。


…何故、知詠子をそこに加えたのかと言われれば"黒沢さんは基本、そういう関係になった人の話をしたがりませんので"と梓は答える予定であった。



「梓ちゃんは、黒沢の事好きなの?」


そんな事を考えて、少し構えてはみたものの"別角度から"の質問が来た。



「………………」

「答えたくないなら、それでいいわ。もし"イエス"なら、貴女もこちら側よ。」


そうやって聞かれればそうなのだが、色んな事を考えれば今の関係性が一番いいと思っているのだ。"こちら側"と言われ梓は、辰実と知詠子の関係を理解する。


「高校も一緒なんだけど、大学の新歓で知り合ったんだけどね。」


"別にそれはいいんだけど"と知詠子は本題を切り出す。


「ヒルズで黒沢に、"自分の底が見えそうだと思った瞬間が一番面白い"って言われたけど、今ここでやっとその意味が分かったわ。」



鷹宮が辰実を"見込みがある"と言った理由も分かる。


底が見えそうになった時に、初めて自分のできる事がよく分かってくる。"役割"が分かれば、何をするべきかもよく分かる。自分の天分を理解できれば、その中で"自分にできる事"に徹する事ができれば、後はそれぞれが上手い事やってくれるのだと気楽な感じがした。


…だからこそ、今は"黒沢辰実"の代わりで居続けるのだ。


辰実がそこまで分かっていて"死亡する"という選択を取った時に、自分の今の役割が"任された"ものだと気づく。


それが分かった嬉しさ以上に、この事に意味はない。



何故かそれを、梓にだけは話したくなったのだ。


「私にも、そういうのはあるでしょうか?」

「槙村と戦う時に、"辰ちゃん"は貴女が傍にいて欲しいと思うでしょうね。」


あくまで知詠子は"辰実の代役"であって、パートナーではない。それ以上に信頼を置き、離れた所でもお互いに同じ真実に到達した2人だからこそ、この事件の幕引きを任せて良いのだ。



「野暮だと思って聞き流してくれればいいわ。…私は"たまには突き放したりして欲しい"タイプなんだけど、辰ちゃんは"それでも相手の全部を受け止めようとする"タイプなのよね。」


物事の本質は、野暮な部分にこそあったりする。知詠子の気持ちは、そっとしておかなければと梓は思ったのであった。



汗だくのシャツを脱いでスポーツ用の黒いブラとレギンスだけの姿になった知詠子は、"女傑"の緊張感を捨ててより綺麗に見えた。


「知詠子さんは、ムスッとした感じじゃなくてニコニコしていて欲しいです。」

「余計なお世話よ」

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