#11「最後の恋はコーラの味」
(前回のあらすじ)
辰実が饗庭との激戦を制し、更に日下部と支倉の取引を阻止した翌日。饗庭の取調を担当した辰実は饗庭から以下の内容を聴取した。
・日登美を辱めた槙村の存在
・"舘島事件"が仕組まれた可能性
・饗庭の実家で銃が作られている事
・それらの黒幕が槙村である可能性
最後に、"恩田ひかり"への執着を失わず、あまつさえ次は愛結に手を出そうとしている事に辰実は恐怖を覚えてしまう。この状況と辰実の性格を察した知詠子に背中を押され、梓は辰実の心を持ち直す事に成功した。
*
「…私と、主人の出会いが知りたい?」
商店街に散在する喫茶店のうち、梓の中では"一番"目立たなさそうな店に来ていた。窓の向こうには中華風の枠で彩られた窓や赤色に塗られた木製の壁が見える事から、ここが商店街のアジア通りだという事を教えてくれる。
窓で和らいだ昼前の陽光が、目の前にいる彼女の、長い栗色の髪を照らしている。まるで海底のまどろみに包まれたように青く憂う目の色が"大人の"落ち着きを感じさせてくれていた。
愛結と梓が偶然会ったのは、数分前の話。
この日、辰実は義母(マドリーヌ)の家にパン作りを教えてもらいに、燈とチビ達を連れて行って訪問しているという事で、1人の時間を頂いた愛結はやる事も無く商店街で買い物でもしようかと歩いていた所、梓と遭遇した訳である。
"ならばお茶でもしましょう"という話になり、喫茶店に入った所で梓は気になっていた"辰実と愛結が出会うきっかけ"について質問した。
先日の件から、梓には辰実の事で気になっている事があった。簡潔に言えば"恋人関係"である。"恩田ひかり"をはじめ、"蔵田まゆ"と、黒沢辰実の7年間を語る上で欠かす事の出来ない女性達が、どういう風に人生に食い込んできたのか?それが疑問であった。
いつも仕事で梓に見せていた表情が"建前"で、本当のところは先日の"弱さ"にあった所なんじゃないかと。それを知ってしまった梓は、辰実の事をもっと知りたいと思ってしまっている。
…水篠知詠子も、"おそらく"恋人ではなかったのか?と梓は勘ぐっていたがこれを辰実にも知詠子にも問い詰めた所で、2人ともが絶対に白状しない事もあって現段階で一番彼に近い人物に訊いてみたくなったのだ。
「今、私どんな顔してる?」
愛結が頬を抑えて恥ずかしそうにしている様子が、梓の眼に映っている。自分よりもずっと大人だと思っていた女性が、急にそんな一面を見せるから梓の方が驚かされてしまった。
…年月が経った今でも、思い出してそんな表情ができるなんて、"なんて幸せな恋をしたんだろう"と羨ましく感じてしまう。分かっていたけど、本当に素敵な夫婦だ。
「女の子の顔ですよ?」
「この歳でまた女の子になれると思ってなかったわ」
くすくすと笑う愛結を見て、子供を授かっても夫婦関係を新鮮なままで続けられている理由が梓にも良く分かった。
「…でも、秘密にしてちゃダメかしら?」
青い瞳が"申し訳なさ"を訴えるも、そもそも"気になる"からこの話をした訳なので梓も"でも聞きたいです、絶対に内緒にしますから"と何とか食い下がる。
光の加減で淡い紫色を覗かせる目や、団子頭をほどいて下ろしっ放しの長い黒髪とモスグリーンのブルゾンが、対面する彼女の姿とは驚くほどに不釣り合いでしかなかった。首元の大きく空いた薄紫のリブニットセーターに、銀色のネックレスが陽光で刺すような光を発している。アップでまとめられていて波がかった栗色の長い髪まで、行き届いて彼女は綺麗でしか無かった。
考える暇をくれるように、注文したアイスの中国茶が運ばれる。
自分の"気になる"が相手にとっては重く感じたのだろうか?もしかすれば"人前でいきなり裸になれ"と言ったぐらい無粋な事を言ってしまったような恥ずかしさが頭をよぎった所で愛結の返答がやって来る。
「馬場さんは、いきなり心も全部奪われるのと、じっくり気持ちを深めてから奪われるのと、どちらが好き?」
「じっくり深めてからの方が好きです」
"いきなり"なんて、そんな事されたら心の準備ができない。
「…秘密にしてくれるのかしら?」
「約束は、絶対に守ります」
愛結も、辰実から梓の事はある程度聞いてはいたから、人となりについては概ね知っているつもりであった。…彼女は、約束を守ってくれるだろう。
「こういう話って、あんまり人に話をしてしまうとその価値が下がってしまいそうな気がするから…。話したくなかったのは、私がそれだけ辰実の事を好きでいると思ってくれたら嬉しいかな。」
恥ずかしそうにながらも、愛結はゆっくりと2人の時計を"5年前"に戻し始めた。
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