仮面家族

(前回までの話)

松浦をはじめ、その協力者が"舘島事件"の場に集められ殺害された事と、槙村が饗庭の実家である工場を奪い、銃の製造をしている事を知った辰実と梓。更に、鵜川が"枕営業"を受けた事も知り頭の整理が追いつかないまま、その日の取調を終了する辰実であった。



 *


別室


「…なるほどな、鵜川が」

署の使用していない備品を置いている、小さな倉庫のような部屋で宮内は辰実と梓の報告を聞いていた。仕組まれた可能性のある"舘島事件"に加え、"銃の製造"、更には鵜川が賄賂を受けていた話と、有力な情報のオンパレードに興味を示したか、珍しく真剣な様子で話を聞いていた。


「しかし、その証拠が無い」


饗庭の証言は信用できるが、客観的な視点からその事を"立証"できる要素が何もない。鵜川に問いただした所で、"そんな事知るか"と言われる事だろう。


「証拠があるとすれば、饗庭が何か言うでしょう。」

「その通りや、…となると槙村が証拠を握ってそうな気もするんやけど」


梓も、考えたくも無いが槙村の立場から考えていた。


もし饗庭の言っている事が事実だとすれば、鵜川は槙村の犯罪を知っている生き証人となる。…が、それは逆に鵜川が意識せずとも"弱み"を握られている事だと言っていい。となれば、槙村は事態が来ればあっさりと鵜川を切り捨てられる立場にある事だろう。鵜川が声を上げれば"証拠はあるのか"としらばっくれ(自分の不祥事が明るみになるリスクを考えれば、鵜川が自分で証拠を残しているとは考えにくい)、逆に必要が無くなれば"証拠"を使って槙村は鵜川を始末するだろう。


「今の時点で槙村に接触して、鵜川の弱みを握るのは難しいか」

宮内は煙草を吸おうとしたが、思いとどまったように煙草をポケットにしまった。


「…現状、"舘島事件"で殺された6人が何か残してないかを探るんと、饗庭の実家で銃が作られとるんを突き止めるぐらいしかできる事が無いか。悲しいけど、一枚噛ませてしまったからには捜査二課にも出て来てもらわないかん。」


政治犯と性犯罪、他様々な犯罪が混じり合っている状況で、防犯対策係の5人だけでは難しい現状は誰にも理解できた。生活安全課の他の警察官は、所轄の仕事で手一杯である。それを思った宮内は、頭の中である人物の事を浮かべた。



「黒沢、お前は鷹宮の事は信用できると思うか?」

「鷹宮さんの事自体は信用できると思いますが、後ろにいる男が信用できません。」


「"鷹宮は"か。…水篠はどうなんや?場合によってはあの女狐は鵜川以上に厄介な奴かもしれんぞ?」

「少なくとも女狐ではありません」


傍から見ても"犬猿の仲"に見えた2人だが、辰実が知詠子の事を擁護した事に宮内も梓も驚く。


「完全に仲が悪いモンかと思うとったぞ?」

「互いに良く知ってる相手だから、癖や何やらを知ってます。俺の考え方や行動の先を一番読まれる可能性があるから、防犯対策係が水篠を信用しない限りはなるべく接触しないよう努めているだけです。」


(同期とも言えん、もっと何かある関係やな)

状況が許せば問い詰めてみよう気持ちにもなるのかもしれないが、今の辰実の様子からは宮内もそんな気にもならなかった。


(コイツの男女関係って言うんは意外と繊細やからな)


その脇で、梓が何かを推し量るような視線を辰実に向けていた。



 *


宮内に"もう今日は早う帰れ"と、半ば強制的に定時での帰宅をさせられた辰実は、珍しく寄り道もせず(基本的に双子のお迎えは交代でやっている)帰宅した。


「ただいまー」


取調だけで1日を潰し、こんなに疲れたのは初めてだった。…饗庭との激戦に日下部の殴打を全て受け切ったのが答えてはいるが、大きいのは精神的な疲れだろう。7年もの間、無意識に心の隅っこに置いていた事を、今更ほじくり返そうとしているのだ。目を背けてきた事実と向き合うのは、いつだって苦痛が伴う。


リビングに入ると、ソファーの近くに座って洗濯物を畳んでいる燈がいた。養護施設でもやっていたのか、子供の時の辰実がやらされた時より綺麗に畳まれている。


その近くでソファーで寝ころんでいるさくらが、尻尾をぶんぶん振りながらその様子を眺めていた。


「やってくれてるんだな、ありがとう」


辰実と目が合った燈は、もじもじと目を逸らして洗濯物を畳み始めた。


(…嫌われているのかな)

年の離れた妹の面倒を見ていたが、妹では無いのだ。おまけに妹2人と性格も違っている。やはりまだ"父親"と言えば松浦なのだろうかと疑問に思いながらも、考える余裕も無く辰実は2階に上がって着替えを済ませた。



「ご飯、何が食べたい?」

こういう風にしか、娘と話す事ができないというのも不器用な気持ちはするが、ならせめて何も思いつかない時には燈が食べたい物を作ってあげようと辰実は思った。


辰実の方を向いた後、すぐに目を逸らしてシャツを畳んでいた燈は、また辰実の方を向いて"パスタがいい"と言うのを確認し、キッチンの棚からパスタを数束取り出す。


更に、大きな鍋と中ぐらいの鍋を用意し、水を入れた後にクッキングヒーターの電源を入れた。次に冷蔵庫から豆乳、卵、チーズ、ベーコンを取り出すと、野菜入れからは袋詰めにされているカット野菜を出した。


時計は、6時を少し過ぎた所である。


「ただいま」

帰ってきた愛結にくっつくように、希実と愛菜が歩いている光景。"お帰り"と愛結の目を見て言っていた燈の様子は、辰実に見せていた様子と違った。


「ご飯、何するの?」

「カルボナーラと野菜のスープだな。」

「お店みたい」


燈に喜んで欲しいのだが、愛結が喜んでくれた事は素直に嬉しい辰実である。


鍋に注いでいたお湯が沸騰し、パスタの束を開きながら、回すように入れていく。キッチンタイマーを設定し、スタートする傍らでもう1つの作業をこなす。


ブロックのベーコンを拍子木切りにした後、ボウルに卵を割って入れ、豆乳を注ぐ。泡だて器でよくかき混ぜると、それを先に炒めたベーコンごとフライパンに注ぎ、チーズを加える。…更にチーズを加え、濃厚な黄色が出てくるまでよくかき混ぜる。


ここで、また隠し味。


麺つゆと醤油を大さじ1杯ずつ、砂糖を2つまみしたものをお椀で混ぜ、フライパンに入れる。これをしておくと普通のカルボナーラに味わいが出るのだ。


フライパンの中身をとろ火でゆっくりかき混ぜながら、パスタが茹で上がるのを待つ。更に時間を利用し、中ぐらいの鍋で沸騰させていた湯の中に、カット野菜を全部入れる。キャベツともやし、舞茸と人参があれば十分な具材だろう、そこにコンソメと麺つゆで味を調え、野菜が軟らかくなるまで煮込めばスープの完成である。


続いて、パスタの茹で上がりをキッチンタイマーが知らせれば、茹で上がったパスタをざるに揚げ手早く水を切り、流れるようにフライパンに入れれば瞬く間にカルボナーラの完成であった。



程なくして、野菜スープも完成する。今朝方に焼いたバターロールを添えればあっという間に1食が完成。それを知った双子は"待ってました"と食卓に駆け寄ってくるのだ。これはいつも通りの光景なのだが。


「いただきます」


燈との会話は無いが、美味しそうに食べているのを見れただけでも辰実は充分であった。件のカルボナーラは乳製品のまろやかさと塩味に卵の風味が合わさって幾重にも濃厚な味わいが広がっている。そこに隠し味の"コク"が加わると、更にランクアップした味わいを感じる事ができた。


卵の風味を、隠し味がランクアップさせている。


この日の食卓は、殆ど会話も無く終わり、その後に辰実はさくらのブラッシングをしていたり、燈は双子の相手をしていたり、愛結はリビングで雑誌を読んで過ごしていた。黒沢家にとっては特筆すべき事も何もなく一日が終わり、朝が来ればまた饗庭との取調を再開する。



 *


「…何だよ、親子になったと言うのに嫌われてるのか?」

「嫌われているならそうで構わないが、どちらとも分からない状況が困るんだ。」


留置所に連日ぶちこまれていた饗庭は、何故かご機嫌であった。先程から梓もそれを察してか"本当に気の抜けない人だ"という目で彼を見つめている。


「余程、松浦さんの影響は大きかったと見える。」

「俺もそう思っている所だが、本当の所は分からないな。」


昨日にずっと胃の痛くなるような気持ちでいたからか、2日目になってしまえばかなり楽に構えられる。それでも、油断のならない話は続くのだろう。



「…燈ちゃんがお前に懐かない理由を、教えてやろうか?」


途端にそんな事を言い出すのだ、饗庭は本当に油断ならない。"その話が何と関係がある?"と突っぱねたくもなるが、それがもしかすると"真理と繋がっているかもしれない"と思ってしまうからこそ饗庭は油断がならない男であるのだ。


(でなければ、殴り合いで解決などしていない)



「分からないな、面倒だからさっさと結論を教えてくれ」

「まあそう焦るな。…まずは俺の質問に答えてくれよ?」


"お前は何で、あの子を引き取ろうと思ったんだ?"と、そんな事を質問される辺りに"自分が言ってくる事を分かっているのだろう"と辰実は推測してしまう。


「松浦さんの遺した子だったんだ。…それに分かっていただろうが、養護施設の状況を見てもあの子を引き取るべきだっただろう?」

「100点だ、俺の思った通りの回答をしやがった。」


"引っ掛かった"とイタズラの成功を喜ぶ児童のような台詞を吐いた饗庭の表情は全く笑っていない。寧ろその回答をした辰実を責める方が正しかった。



「ごまかした所で、親が死んだ事ぐらいもう分かっているだろう。」

「いいや、ごまかしてる。お前が"松浦さんの子だから"って言ってあの子を引き取った事を、言い換えればお前は"子供に対する愛情"で引き取っちゃいねえんだ。」


"子供は、大人が考えている以上に大人の事を理解している"


意外にもこの事実は、大人になって分からなくなる。自分が子供の時に感じた"言葉にできない感情"が言葉にできないからこそ、形にならないからこそ忘れてしまうという事実を指摘された事は、先日受けた右ストレートよりも辰実に打撃を与えた。



「あの子にとっての松浦さんは、もう死んだあの人でしかねえ。…それなのにお前、死んだ人間になろうとしてどうすんだよ?」


死んだ松浦と、自分を比べていた。その上で"松浦さんに敵わないから"と意味の分からない理由を並べて、燈と本音で接する事を無意識に避けていたのだろう。


「…もうこれを機に"仮面家族"とはオサラバするんだな。でないと、もっとマズい事になっちまうぜ?」


饗庭の言う"仮面家族"のマズい事はこれから話されるのだが、その内容は言うまでも無く辰実にとって"最悪の事態"であったのだ。

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