彼女の願い

(前回までの話)

饗庭からカードキーをもらい受け、ブラックVIPルームに潜入した辰実は、一足先に支倉と日下部の取引現場に到着し、"人身売買"を阻止した。

一方、栗原アキナを尾行中に黒スーツの男達の妨害に遭った知詠子と駒田も、これを難なく片付け、辰実の中からの手引きにより入室し支倉を確保。


…残された日下部は、悲痛な叫びをあげるのだが。



 *


「お前の所為だ、黒沢!詫びろ、詫びろ!会社にいた時もお前は目障りで仕方なかったんだ、いなくなったと思ったら今更!今更邪魔しに来やがって!」


怒りと悔しさと涙にまみれていて、眼鏡もずれた日下部の汚い顔を辰実は一切の感情を排した冷たい目で見下ろしている。


「…詫びるのは誰にですか?日下部さんが、今までこういう風に差し出してきた女の子達にでしょう?そこを絶対に間違えるんじゃない。」



日登美だけではない、多くのモデルやグラビアアイドルが日下部のエゴで被害に遭ってきたのだ。報告によれば人知れず自殺をした女性だっている。本当ならこの場で日下部も支倉も殺してやりたいぐらいの怒りを両の眼に辰実は抑え込んでいた。


怒ってはならない。


辰実も結局は日登美を"見殺しにしてしまった"という形で離れて行ってしまったのだ。それを償わなければいけない者が、彼女達の代わりに怒る事などできない。


(貴女が何を願っているのかは分からない。これが俺だけの妄想だとしても、傲慢だとしても、償わなければならないのです…)



「間違えるなだと?あの子達がいる事で今まで上手く回って来たんだ、俺は感謝してる!こうやって生きていくにはこうするしか無かったんだ!」

「だから彼女達も、日下部さんに感謝しろと?支倉やその裏にいる奴らにもですか!?そんな馬鹿な事無いでしょう。」


何を言っても辰実に言い返され、苛立つ日下部。うずくまりながら悔しそうに懐に手を入れ、何かを取り出して起き上がった。



「黒沢!俺の邪魔をしやがって!…饗庭まで裏切りやがった!どうしてくれるんだよぉお前は!!!」


日下部の手に、鈍く光る金属の線が見えた。"メリケンサック"だろう、殴りかかる日下部に対し、辰実はそれを直立不動で迎え入れようとする。饗庭との戦いで辰実が"かなり疲弊している様子"は知詠子にも分かったからこそ、彼女は身を乗り出す。



「来るな!!!」



声を張り上げた辰実。その迫力と、喉の奥に隠れた何らかの感情に"止まれ"と言われた気がした知詠子はその場で立ち尽くす事しかできなかった。


「俺はな!あの生意気な女だって…!


偉そうなモデルだって、会社のために始末してきたんだぞ!


そうしないと生きていけないんだ!


会社は俺を勝手に職に押し上げては無能だと抜かして!人がどういう思いで生きてると思ってるんだよ、どいつもこいつもふざけやがって!!!


"恩田を嫁にしたい"なんて言われて、恋人がいる女を無理矢理に差し出せと言われたんだぞ!?俺の気持ちがお前に分かるか?


俺はな、"できなければ会社から追い出してやる"って脅されたんだぞ!?」


許せる事では無い、しかし悪党なりに悲痛な叫びの節々で打たれるメリケンサック付きの拳を、辰実は腹に胸に、時には顔に受け続けた。硬い金属をぶつけられる痛みを、日下部が息切れし、もう一度その場にうなだれるまで耐え続けた。


日下部がやったように、辰実も日下部を気の済むまで殴りつけたかった。


"そんな事をしても、日登美といた時間に戻れる事はない、彼女が笑ってまた帰ってきてくれる訳じゃない"と、過ぎ去った時にもう何もする事の出来ない絶望感が、彼に拳を握らせず、ただ耐えうる選択肢をさせてしまったのだ。


時を同じくして、鷹宮と片桐が入室する。恐らく駒田の手引きだろう、うなだれる日下部に駆け寄る片桐、事の状況を察してか鷹宮は辰実を一瞥。



「見込みがある奴だな、君は。」


それだけ言って笑った顔を見せた後、片桐と共に日下部を拘束し始めた。"ひとまず終わった"という事実が、その傍らで辰実に膝を着かせる。状況を察した知詠子は栗原の隣を離れ、辰実に肩を貸した。


「馬鹿じゃないの?」

「馬鹿で結構」


「本当に危なっかしいのよ、少しは人の事を考えて」



 *


アイランドヒルズ入口前


「おー、黒沢から言われて来たんだが、警察官の人か?」


エレベーターを乗り継ぎ、広々としたエントランスに停められていた灰色のセダンの前で、立っていた団子頭の女の子に声を掛ける。


「お待ちしてました。黒沢さんから話は聞いております。」


後部座席のドアを開けた彼女に促されるように、饗庭は覆面パトカーに乗車する。隣には背は低いがガタイの良い20代ぐらいの男が座ってこちらを見ている。


先程の団子頭の女の子が運転席に座り、車のエンジンをかける。ギアがDの位置に来て発車し出した辺りで、饗庭は男の視線を逸らすように窓枠に肘をついて外を見始めた。



「兄ちゃんも、黒沢の部下か?」

「直属ではないっすけど、一応は部下かと。」

「そうかい、アイツも部下を持つぐらい出世したかー」


饗庭の隣に座っている男と言うのは、防犯対策係の重衛である。ここまで辰実の前に立ちはだかり、幾度も見えない衝突をしてきた"宿敵"とも言える強大な男が思いの外気さくだった事に対し、重衛は少しだけ面食らった。


「直属の部下はいねえのか?」

「私です」


運転をしている団子頭の女の子。勿論の事、彼女が梓だ。


「いい部下を貰ってんなー、俺もこんな可愛い子が部下になって欲しいモンだぜ。」

「空気の読めない人ですね。…ちょっと嬉しいですけど。」


刺さるような重衛からの視線を感じたが、何事も無かったかのように饗庭は振舞う。それに恥ずかしがっている様子の梓も加わって、先程敗北を認めやってきたハズの男にここまでかき乱されている事を意識させる。


「…どうした?こういう冗談は嫌いか?」


饗庭は、重衛を一瞥しニヤリとした。


ここで、吠えたり相手を威嚇してはならない。…自分が今ここで弱い動物にみられるのを避けようとして重衛は少しだけ眉をしかめた。恐らく、自分の度量など既に見抜かれているのだろうが、それでも精一杯"そうあるべき"だと自分に言い聞かせる。


「そんな事は無いっす。」

「…アレだ、連れて行かれる奴の態度じゃないと思ったろ?」


「…パトカーに連れ込まれても、まだ警察官を友達か何かと思ってる輩はいましたけど饗庭さんみたいなのは初めてっすよ。」

「何だそうなのか?俺は初めて乗るから分からんが、何故か今は清々しい気分なんだ。負けたのにだぜ?しかも黒沢にだ、ああいう奴には負けたくなかったんだよ!」


顔に痣までついた男がご機嫌な様子に、重衛は再度眉をしかめた。


「…嬢ちゃんは、黒沢の事をどう思ってんだ?」

「いい上司ですよ、黒沢さんは。」

「それでもって、アイツは放っとけないんだよな?」


「まあ、そうですが。…"危なっかしいんですよ"あの人は。」


絡み酒のように、梓にもちょっかいをかける饗庭だったが、"危なっかしい"と聞いてふざけた様子から一転し、真剣な顔になる。



「黒沢を"危なっかしい"から放っておけない女ってのはな、全員が同じ気持ちをアイツに対して持ってる。」


別に聞きたくも無いのか、本心を探られるのが嫌なのか分からなかったが、この場に長くいたくないという感情が、梓にアクセルを踏み込ませた。



 *


"…ようやった。ここで饗庭を連れて来させ、日下部と支倉は捕まえた"


帰署するなり、宮内に手放しで褒められた喜びも束の間、必要な書類作業を終えて帰ってきた頃にはもう、時計は1時を示すかという所だった。


"この時間帯になってもお迎えをしてくれるのか"と、疲れた顔で綻んだ辰実は、玄関で香箱座りをしている猫のさくらの頭を撫でてやり、抱き上げて頬を寄せる。ラグドールの長毛がくれるふわふわした感触があたたかい。



「さくらも、遅いからもう寝るんだぞ」


リビングに置いているキャットタワーの上層に置かれた、ふかふかのベッドにさくらを置いて、豆電球だけが付いているリビングを見渡していた。


愛結が、ソファーで眠っている。


遅くなると分かっていても、ずっと待ってくれているのだ。彼女がこれほど献身的な妻であるからこそ、自分は警察官としてやっていけている。ソファーを占領するように仰向けで、足をだらんとして寝息を立てていた。寝間着のシャツ1枚は寝相のせいか尻を何とか隠しただけの状態で、太腿を余す事無くさらけ出していた。


寝相の感じからして、座ったまま寝てしまったのだろう。太腿とシャツの裾が作る三角地帯を隠すように、彼女が読んでいただろう雑誌に辰実は目をやる。



(結婚情報誌…)



手に取って中を読んでみると、市内やその周辺の結婚式場とプラン、そしてその費用やらが事細かく記載されていた。


先程まで雑誌を抑えていた愛結の、左手の薬指にはめられた指輪が繊細な輝きを見せる。"結婚しよう"と言って愛結に贈った指輪で、同じデザインのものが辰実の左手の薬指にもはめられているのだ。


辰実と愛結は、結婚式を挙げていない。


2人が結婚したのは2018年の事であった。それから式を考えてはいたのだが、"とある事情により"挙げる事ができていない。そんな事があったからか、愛結はいつか結婚式を挙げたいと思い続けていたのだろう。


気付いてやれなかった事を悔しく思うが、双子に加え養子をとった今の状況で中々言い出せなかったのだろう。それに偶然にも気づけた事は良かった。



(綺麗な、花嫁姿なんだろうな…)



白桃色の花びらが舞うように、祝福に満たされたチャペルで、純白の花嫁衣裳を着て淡く光る髪飾りで嬉しそうな顔をしている愛結は、いつどの時も美しいと思い続けてきた彼女よりも、もっと美しいのだろう。


そんな妄想も、"愛結だったハズの"花嫁姿にかき消される。


思い描いていた愛結の花嫁姿は、いつの間にか日登美の花嫁姿に変わっていた。これも辰実の妄想なのだろう、"もしその未来が歩めていたならば"と触れる事も見る事も無いただの幻想に焦がれる事など浅ましいと思いたくもなるが、受け入れて生きていかなければならない。


(貴女に誓わなければいけないのは、"償う"という事なんだから…)


"真実を知りたい"とただ茫然と心のどこかで願っていたハズなのに、気が付けばもう"一端"に足を踏み入れ饗庭と戦い、もう逃げられない所まで来てしまった。



辰実を動かすのは、愛結への愛。

その動かす先は、日登美への愛。



やり直したいと願う訳でもない、真実を知り二度とこのような惨劇が起きないように"妄想であった"かのように全てを自分の中で決していきたいのだ。…そんな考え事が頭をよぎった所で、辰実は愛結を抱え上げ寝室へと運ぶ。




―――紡いだ真実が、彼を彼女を引き裂こうとしても、真実の気持ちを誓う事ができた時のように、2人は2人でいられますか?


―――焦がれ続けた妄想が枷となり、膨れ上がった憎悪と後悔が彼を優しく抱きしめても、彼は彼女と歩みますか?


―――貴女を愛する彼が、貴女をかりそめの伴侶とした彼女を心の底で愛していたとしても、彼の手をとりますか?



"誓う"という事は、それを受け入れる事なのです。


妄言も怒りも、悲しみも後悔も、それに薄い膜を張ってごまかしたように繊細な"歓び"も、全てを2人で受け止め目を瞑る事なのです。



…それでも、あなたは誓いますか?


真実と向き合い、それを飲み込んで生きる事ができますか?

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