蝮の奸計

(前回までの話)

偽プリンに関する事件を片付け終わり、一息ついた辰実であるが"これまで接点のあったハズの饗庭から自分たちは殆ど尻尾を掴めていないのに捜査二課はどうやって掴んだのか?"という疑問を抱いていた。


丁度、辰実のスマホに饗庭からの電話が届く。"疑問"を解決するため、宮内はとある提案を辰実にするのだが…。



 *


「黒沢、昼前にワシに渡してくれた音声データは持っとるか?」

「持ってます」


「それ、饗庭に聞かせるんや。」


皆が驚いた表情を見せる中、辰実はいつものぶっきらぼうな表情で宮内を見つめていた。彼だけが、曲者を曲者たらしめんとする奸計を嗅ぎ取っている。



「今からワシが提案する事は、逮捕云々の話では無くて、あくまで饗庭を"防犯対策係が"先に確保するという前提や。」

「課長、それでは結局、十分な証拠があるか無いか分からないまま饗庭を逮捕させてしまうのでは…?」


片桐の質問も、予想していた話だと言わんばかりに宮内は説明を続ける。


「饗庭の方から黒沢に連絡が来たんや。餌を出してやれば多少の事は"正直に"話すやろ、それで"人身売買"の事を吐いてくれたらええ。」


"人身売買"であれば生活安全課の畑になる。宮内の理想としては、饗庭が"人身売買"に関わっており、防犯対策係が先に逮捕する事であった。…と言っても現実はそう上手くいかない。捜査二課が握っているハズの"証拠"を曖昧にさせる事が関の山だろう。



「確保は黒沢、お前がやれ」


いつも指示をしても、愛想も無い表情で"分かりました"と言うだけの辰実であったが、この時は口元を歪めて笑っている。黒沢辰実という男も中々に"負けず嫌い"であって、そんな男に散々に逃げる事を許してしまい続けた相手と"再戦できる"機会が与えられたとなれば喜ぶ事も当然であった。



「現状、饗庭を証言させる"餌"を持っとる奴はお前しかおらん」



この短時間でそこまで知恵が回っている事が、宮内が所轄の課長として署員を取りまとめている所以なのだろう。一見おちゃらけた様に見えていても、目の奥は蝮が獲物を狙うように人の"何か"を見据えている。…しかし、あらゆる手段を講じる知恵も持ち合わせている分、ただの蝮よりももっと恐ろしい。



「"舘島事件"ですか?」

「そうやな。…音声データにもあった通り、黒幕にとって都合の悪い事件を饗庭は嗅ぎ回っとる。そこで"舘島事件"の話をすれば確実に食いつくやろう。…その"餌"で確実に証言させるんや。」


"分かりました"


いつにも増して真剣な辰実の様子が、"事件"の門を崩しにかかる瞬間。まさに"決戦の火蓋が切られる"瞬間をこれでもかと物語っていた。



「…すいません、そろそろ」


"気を付けて"と、労うように片桐は微笑んだ。信頼する部下とは言え、この作戦の成否がかかっている瞬間をたった1人に任せる事は申し訳なかった。


…そんな事を、黒沢辰実は気にも留めないのだろう。それがまた、片桐の心配を増幅させている事となる。



「黒沢が行ったところで、ワシはちょっと"用事"をするから皆は帰ってくれ」

「用事、ですか?私達にできる事でしたら何か手伝いますが?」



「…電話一本あったらすぐ済む話や。"捜査二課の出鼻を挫く"ぐらいやし。」



 *


商店街の一角にあるホテル。平たい長屋の集まりから生えて抜き出てきたかのように、24階建てのビルは建っている。その24階にあるレストランを、饗庭は指定していた。


エレベーターで24階に着くなり、綺麗な身なりをしたホテルマンに頭を下げられる。"いらっしゃいませ"と低く通った声と、洗練されたもてなしに対して、辰実の"いつもの"黒スーツに青いカッターシャツというごく一般平民のような恰好は似つかわしくなく感じていた所であった。


レストラン内は、席に置かれている間接照明を除いて、天井に何か所かぼんやりとした照明が設置されているだけで全体的に暗い。円筒形の建物の理を活かすためか、ホールは円の縁を描くように設計されており、食事をする席は全て窓側に設置されている。



暗がりで形の分からない窓枠の中に、藍色にラメが散りばめられた星の海が広がっていた。"宇宙か、ここは?"と今まで見た事の無い景色に辰実は声を出してしまう。



「お客様、お名前は?」

「黒沢です、饗庭という男の連れですが」


辰実は自分の名前と、饗庭に呼ばれて来た事を説明する。


「饗庭様のお連れ様ですね、お待ちしておりました。」


案内されるままに、フォグランプのように足元を照らしている、壁の下の照明で辛うじて見えるか見えないかの絨毯張りを歩いて行った先には、ぎらついた猛犬のような男が座っていた。


…勿論、その男が饗庭である。



「すまない、遅くなった」

「いいんだ、俺もいきなり呼びつけたんだし。」


とても明日に"逮捕される"と分かっている男の様子ではなかった。友人が夜に会って食事をするような、そんな気の置けない雰囲気が出ている。"お食事をお持ちします"と言って案内の男は立ち去り、テーブルに置かれた間接照明の下、2人だけの場所となる。



「逮捕される前に、お前の顔が見たいと思ってな」


いつもの愛想の欠片も無い表情に、険しさを浮かべて饗庭の言う事を聞き流していた。そんな白々しい事を聞くために辰実も来た訳では無い。


「"俺の顔が"見たい、なんて楽観的な事を言える状況でも無いだろう」


他のテーブルも話はしているようだが、その内容までは聞こえてこない。気兼ねなく話はできそうだが、幸先の見えない状況と足元の分からない不安を表すように暗い店内と、星の海と底に並べられた箱の群れを眺めて辰実は警戒を緩めずにいた。


「まあ、そうだな。逮捕される訳だし。」


辰実はスーツの上着に手を入れ、裏ポケットからスマホを取り出しテーブルの上に置いた。


「捜査二課は"知らない"だろう、日下部が支倉という男と何らかのやり取りをした証拠が残っている。」

「何だ、またモデルを"あの方"に差し出すのか?」


(堂々と言ってくれる)

悪びれも無さそうに言った饗庭に、辰実は軽蔑と怒りの目を向けた。


「分かっててそんな事を言っているのか?俺が君を逮捕しても良いんだぞ?」

「やってみろ、証拠があるんならな?」


挑発に乗ってはいけない。…あくまで"交渉"をしに来たのだと自分に言い聞かせる。言葉を紡ぐ前に挟んだ一呼吸が、辰実自身を元の冷静な状態に戻す。


「…証拠があるなら俺が逮捕してやりたいぐらいだ。」

「は?どういう意味だよ?」


「言葉の通りだ」


辰実はスマホを饗庭に差し出し、"いいから話はこれを聞いてからだ"とだけ言う。その様子を察してか、おそるおそる饗庭はイヤホンを取り出し辰実のスマホに装着し、録音の内容を聞き始めた。


…饗庭の顔色が変わって冷や汗をかいていくのを見て、すこしだけ辰実はニヤつく。"他人事と思って笑いやがって"とわざとらしく不機嫌そうな顔をしている。


"舘島事件"を調べている饗庭は、日下部にとっては味方であっても支倉にとっては"厄介"である。その支倉に日下部が頼み事をしており、見返りに饗庭への注意等を求めているのだ。そして饗庭がそれに応じなければ"消される"事となる。話の内容が嘘"では無い"事を理解しているから、饗庭も先程までの斜に構えた様子とは打って変わって緊張感を醸し出していると言っても良い。



「俺の言った話の意味が分かっただろう?」

「…こんなモン聞かされたら嫌でも分かる。」


「証拠があるかどうか分からないから逮捕は置いといて、俺と話す気にはなったか?」


地球から切り取られて、放り出されたかのような夜の空間に、饗庭の舌打ちが聞こえた。…苛立つ気持ちも辰実は分からなくも無かったが、"まず話を聞いてもらうためであれば致し方ない"と割り切る。


蝮の毒も、相手を噛めない事に効果を発揮しないのだ。


"お待たせしました"と落ち着いた声と共に、テーブルに置かれたステーキは鉄板の上で焼ける音を響かせ、"肉"としての存在感をこれでもかという程に表現していた。その横に小さなパンが置かれる。


話を続けながらも、その野性に理性で蓋をし、更にスーツで覆った男2人は丁寧な手つきでステーキを切り分け、熱と鮮度のこもった一口目を平らげる。酸味と甘みを中心に一丸となった野菜のソースの味、そして堰を切ったように流れ出した肉汁の味わいを"至福"より他に表現する事が出来ただろうか?


「お前、結構フォークとナイフ、綺麗に使うのな」

「失礼だな、行儀が悪い男だとでも思ったか?」


冗談を言い合えるぐらいに、2人は"話し合う"気持ちができていた。


殆ど7年越しに会った男だと言うのに、それまで殆ど直接会わず"事件"を通して遠回しに関わってきただけなのに、奇妙な友情を感じていた。何かを違える"7年前"の出来事の、その前に戻ってきたような感覚であった。



「…で、話って何だ?」

「捜査二課が饗庭を逮捕するにあたって、"疑問"が出たんだ。…俺が4月に新東署に異動になってから、遭遇した事件は常に"饗庭"の影か"てぃーまが"の影があった。情けなくも俺達はカフェの爆破事件で"偽物"を見抜いた以外、全く証拠は掴めていない。」

「証拠を残すのは、間抜けのやる事だ」


ステーキを切り分け、大きな一口を咀嚼した饗庭には"余裕"が見えた。だからと言って大人しく料理されるばかりの辰実でもない。


「こればかりは"残っていない"事が証拠なんだよ。」

「屁理屈だな」

「物事の心理は、屁理屈にあったりするものだ」


そう言って辰実はパンをちぎって口に運ぶ。バターを塗り忘れてはいたが、それで口の中に残ったステーキの味を喉に流し込む事ができた。


「屁理屈か、面白そうだから聞いてやるよ」


次の切り分けを口にした所で、辰実はナプキンで口を拭く。


「…捜査二課の裏を取る。その上で君が"見返りに女を渡す"日下部に加担していると言うなら逮捕、していないなら捜査二課の"誤認逮捕"を免れ自由。…だな。」


「そんな美味い話が、タダとは思えねえなあ。」


「ああ。代わりに日下部が"あの方"と言っている奴の事、それに"恩田ひかり"がされたように、今まで"てぃーまが"で日下部がモデルやグラビアにやらせていた"体"の方の接待の事も、知っている限り白状してもらう。」


どちらにせよ、饗庭にとっては苦しい選択肢であった。


「…白状してもいいんだが、そうなると支倉が言ってたみたいに"あの方"に俺は始末されてしまう。」

「そんなに怖いのか、"あの方"は?」

「知る事はねえだろうが、俺達は全員がタマを握られていると言っていい。」


"そんなモノは考え方次第だ"と呆れた顔を辰実はするが、自分の置かれている状況を考えれば他人事ではない。饗庭は二択を間違えれば"終わり"だし、辰実はここで話を成立させなければ"終わり"である。


"終わり"を背に感じていながらも、辰実の視る先には一筋の光明があった。二択で揺れている饗庭の様子を考えれば、まだ"白状"という選択肢に落とし込む事はできる。更に言えばまだ辰実は"餌"を使っていない。



「…君が探っている"舘島事件"の事について話すと言ってもか?」



切り札、いわゆる"ジョーカー"は、使いどころを考えてこそ効果を発揮する。饗庭を"白状"に倒し込む手段として辰実は"餌"を使う。…逃げられそうな所で負け惜しみのように使っても、そのまま饗庭に逃げられるなら押しの一手を打った方がいい。


「少なくとも俺は、あの事件で犯人を射殺した"警察官"の事なら知っている。」

「…お前それを、タダで教える訳じゃないんだろう?」


「当たり前だ。俺が持っている情報によっては、饗庭がタマを握られている"だけの"状況から、逆に相手のタマを"握っている"状況に持って行けるかもしれない。」


そう断言できるのは、犯人を射殺した警察官が辰実だからだ。


「その警察官だが、日本刀を持った犯人に"左の脇腹あたりを"斬られて負傷している。…事件の後は近くの病院に搬送され、入院したそうだ。」

「成程。黒沢はその警察官の事をよく知っているんだな。」


辰実は頷く。


食べ終わった2人の食器は、もう既に冷めきっていた。最初の熱がどこへ行ったかと思うぐらい、その手触りは死んだように冷たくなっている。


一方、死んではいないが辰実も嫌という程冷静であった。なのに上手く餌で話を聞かせる事に成功した次の"トドメ"が思いつかない。


ギリギリの状況は、2人ともが一緒であった。



「お前と、こういう押し問答を何回やってきたと思ってんだ?俺だっていい加減飽きてきたぜ?」

(ああ…、ギリギリの状況でそんな本音を漏らすのか)


生来、饗庭はそういう性格なのだ。ボクシングに身を削ってきた彼は、得意の右ストレートのように"ハッキリしたがる"男だったという事を辰実は今更になって思い出す。そして話の基本は"相手の性格に合わせる"という事に戻ってきた。


(相手の性格を見抜いてやり方を考えるのは、話の基本。勿論、空手もそうだな。と言ったら"勝負の世界"は常にそうなるか。…ん、待てよ?)


勝負の世界、いわゆる"戦い"である。勝ち負けのハッキリした行い、勝てば得られ、負ければ失うという至極分かりやすい二択。



「俺もそろそろ、殴り合いで決着をつけても良い気がしてきた。負けた方が洗いざらい白状する、そっちの方がまどろっこしいカマの掛け合いをしなくて済むからいい気がしてきたぞ?」



突飛な発言に、饗庭は言葉を失う。話が聞けるなら別に殴り合いでもいい気はするのだが、それをまさか言われるとは思ってもみなかった訳である。"お前も、変な事を言う奴だな"と饗庭は呆れ半分で言ってしまった。


「正直、もう殴り合いで解決した方が早い気がするのは、俺も君も一緒だろう。…君が勝てば"舘島事件"の事で"あの方"のタマは握れるし、あの日下部にも支倉にも始末されなくて済む。あの下衆と評するのも下衆に失礼な連中が吸っている美味い汁も、ぜ~~~~~んぶ、手に入れられるかもしれない。」


「…………」


「………………」


饗庭も、そろそろ二択のどちらかを選ばなければならないといけない事が分かっているのだろう。双方とも危険を伴う選択を、その場で決断しなければいけないとは言え安易に回答できない。



「黒沢、お前は俺の事をどう思ってる?」

「まともに女子と付き合った事の無い男子中学生みたいな事を言うんだな」

「馬鹿言え、俺はその回答で二択を決めたいんだよ。」


「信じられないかもしれないが、俺は君が"無罪"であって欲しいと思っている。」

「警察の言う事じゃねえぞ」

「…何とでも言ってくれ。"偽物がいる"って事以外はここまで証拠が出ずにいたんだ。捜査二課も"あの方"とやらの息がかかってるだろうし、そんな連中が証拠を持っている事を未だに信じたくないんだ。」



"連中には俺の人生を狂わせた報いを受けて貰わなければ"



その一言で、饗庭はつっかえていた物が落ちたような顔をしていた。選択をした事を暗に伝えている様子で、勿論の事彼が選んだ選択は…



「殴り合いったって、お前は俺に勝てるのか?」

「やってみなければ分からないだろう?」



「…これ以上話し合うよりはマシか。分かった、明日のサロンの事だけ説明しておくから、俺が言った場所にお前は"1人で"来い。1人で来たなら決着でも何でもつけてやる。」

"話の分かる男で良かった"と辰実は笑った。


「明日の20時、場所は"若松島"の真ん中、アイランドヒルズ。そこの48階にある"ガーデンVIPルーム"という所に来るんだ、分かったな?」


辰実は、静かに頷く。



"若松島"とは聞いた事はあるが、若松の端に建設中の人工島で、50階建ての"アイランドヒルズ"を中心に結婚式場をはじめ各種商業施設や郷土資料等を設置する"観光島"である。商店街ですらそこまで詳しくない辰実は名前ぐらいしか知らなかった。


…建設中で未だ運営は始まっていないが、建物は殆ど出来上がっているという。現在は一般市民の立ち入りが禁止されている事を考えれば"サロン"に来る人間は"特別"なのだろう。



半ば無理矢理という形を取ったが、これで"やっと"饗庭との決着をつけられる事に辰実は安堵していた。…だが、饗庭を倒して全てが終わる訳では無い。そう分かっていても、この決着は辰実にとって大きな意味を持っているものでしかなかった。

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