青年ヨ絶望ヲ抱ケ

(前回までの話)

日下部の尾行が始まり、不安に思う梓。しかし辰実の奇行により、彼の心中を理解する事で改めて尾行に集中する事を心に決めた。



 *



「饗庭ほど、怖くは無いだろう?」


商店街の駐車場に車を停め、歩き出した日下部に気づかれないよう、離れた場所に駐車して様子を伺っていた所で辰実が言ったのがそれだった。


猫背で眼鏡をかけている、田舎の雑種猫のような男には確かに"怖さ"を感じない。それでも人身売買に関わっている男であるからには油断をしてはならないと梓は気を引き締める。



「役職はあったけど、コネ入社の日下部は饗庭より小物だったよ」



距離を置いて、日下部を尾行し始める。


「…確かに雰囲気は怖くないですけど、それでも上司だったのでしょう?」

「まあ、上司だったな。自分が間違った時間指定を撮影先にしていたのに、それで撮影先に怒られたら俺のせいと来たもんだ。」


「最低」

「どこに居たってそんな奴はいるよ」


"嫌だなー"とあからさまに言いたげな顔で梓は辰実を見ていた。"黒沢さんがそんな人じゃなくて良かったです"と言ったのは渦中にあり、しかも"てぃーまが"側の1人ではあったものの辰実は"悪党では無い"と断言する事で気持ちを沈ませてほしく無かったというせめてもの心配りであった。



「俺だって、いつ日下部のようになるか分からないぞ?」

「そんな事…、ないと思います。奥さんにもお子さん達にもあんなに好かれて、課長だって防犯対策係だって、黒沢さんの仕事じゃなくて"人柄"を見ています。」


"そんな男が、自分から養子に貰った娘と難儀な事になっているとは滑稽だ"


燈と上手く話ができていない事だろう、梓は先日そんな事を聞いた気がしていたが、年頃の問題だと思っていた割に辰実の表情からは予想以上に深刻な問題だと知らされる。



「燈の父親は、今でも松浦さんだよ」



"舘島事件"で殺害されていながらも、松浦という男が"恩田ひかり(本名:織部日登美)"に関わる一連の人身売買事件に関わっている事は防犯対策係の誰もが分かっていた。…しかも、事件の"解決"に関わってくるというポジションである。


「事件を追う事が、松浦さんを追う事になっているような気がするんだ」

「…何もかもが黒沢さんをこの場に立たせるために動いていたと考えれば、今黒沢さんが言ったもまた私にとっては嫌な事実でしかありません」


話をしながらも、辰実は日下部の動向を見逃す事無く目を凝らしていた。


「7年前に戻って事件の真実を追う事で、日登美さんの気持ちを知る事ができたなら、松浦さんの事を知って初めて燈と向き合って親だと分かってもらう事ができるかもしれない。…でもそれには大きな痛みを伴う。俺はどうしたらいいのだろうな。」


結果として松浦も、事件を解決してはいないのだ。もしそれを解決したなら、初めて彼の遺した娘と向き合えるような気がする。…現状を娘のせいにしない、優しすぎる父親の姿を垣間見た梓も、こればかりはしっかりした話の"ような"気がした。


"馬場ちゃんは、俺がどれを取ると思う?"


日登美への思いを取るのか、松浦との対峙を取るのか?それとも一心に事件の解決を望んでいるのか?…梓には分かっていたがそれが"答えにならない"可能性を思っていまい言うのをやめた所で、日下部が喫茶店に入るのを見てしまった。



 *


「すいません、ご足労頂いて」


自分より強い獣に腹を見せて命乞いをする小動物のように、媚びた様子で日下部は喫茶店の2人用テーブル、対面に座っているスーツ姿でオールバックの中年の男に挨拶をした。


「いえいえ、いいのですよ。」

"ここのコーヒーは美味しいですからね"と笑った男の眼の奥は、切れ味の鋭い刃を思わせるような、危険なにおいがしていたから日下部も媚びるのである。


…そもそも、日下部和義(くさかべかずよし)という男は媚びるのが上手かった。コネ入社であり、最初に与えられた役職に見合わない事を知りながら生きてきた彼が、野生の世界を理性で整えた"社会"という枠組みで生き残るには"強い者に媚びる"しか無かったのである。


能力に見合わないのであれば、能力をつければ良いのではないか?と疑問になるのだが、社会は冷たい。ひとたび日下部に"能力が無い"と分かればそれが成長の芽を摘む事になっても、周りは日下部に成長してもらおうと思わない訳である。


自然界でも"役に立たない別の生物に餌をやる"生物は基本的に見当たらないのだから、それをベースにした社会でもそうなのだろう。…だから、ロクな記事が書けなくても取材が上手くできなくても日下部は"媚びる"という手段で生き残ってきた。


本音を言えば饗庭も"上司"と言っておきながら日下部の事は先述の事から嫌悪している。理由は明白、饗庭が"強い生物"だからに他ならない。そして、それが運命だったかもしれないとしても絶望の淵から幸せな日常を勝ち取った辰実も"強い生物"と言っていい。



「それで今日は、何の御用でしょうか?」

「…ええ、これは支倉(はぜくら)さんにしかお願いできない話でして」


"大体の事は分かっていますよ"と支倉は鼻を鳴らしながら答えた。昼前にも関わらず、客はそれなりに入っている喫茶店で、人通りを気にしてか間を置いている。


現に支倉の隣を、グレーのスーツ姿をした黒髪団子頭の女性が通る。タイトスカート姿でヒールの音をさせながら歩いていた彼女の首元からは、紫色のカッターシャツが見えた。…落とし物か何かをしたようで、前に屈んで拾っていた様子が目に映った。


拾った何かを、その女性は肩にかけていた鞄に入れる。その場所では観葉植物が育てられていて、客の目を惹く緑が、喫茶店の雰囲気をより上品に感じさせた。そして離れた席に座った女性に、店員の男性が水とおしぼりを運んでいるのを見届けた所で、話が再開される。


「その…、県警の捜査二課に私が目をつけられてるのはご存じでしょうか?」

「…ええ、まあ。私は立場上、知らない事は無いです。」


"でしたら…"と、日下部は平身低頭で支倉へと本題を切り出す。


「"私の"逮捕を、何とかしてもらえないでしょうかと思いまして」

「でしたらちゃんと、"対価"を払って貰えれば口利きしますよ。」


"対価"と日下部は狼狽えるように呟く。


「今回は、"売り出し"のフレッシュな子がいいですね。」

「さすがに、会社的にもその子だけは…」


支倉はスマホを取り出し、探して日下部に見せた写真は"20に差し掛かったぐらいの若い女性"であった。大人びた雰囲気に長い黒髪の彼女は、かつてトップモデルだった"恩田ひかり"を思い出させるような表情で写真に写っていた。


「日下部さん、今までこちらも何年も口利いてますのに、"対価"の質は落ちてくるばかり。…そろそろ、ちゃんと要求に応えてもらいたいんですよね。」


遠目に様子を伺っていた梓も、"ヤクザのやり口よ"と言いたいぐらいに支倉が紳士的な姿勢から威圧的な姿勢になる温度差が見て取れた。



「あと日下部さん、おたくの饗庭が"あの事"を嗅ぎ回ってるみたいですけど…。それも何とかしてもらえないですか?」

「饗庭が…!分かりました、言ってみるだけやってみましょう。」

「言い聞かせられなければ、あんたの部下を始末してやる」


"あの事"、言い換えればそれは3年前にあった"事件"なのだが、支倉や日下部をはじめ、"人身売買"に関わっている者は全て"事件の内容に触れてはならない"


「…何とか、します」

「あの事、いや"あの事件"は、間抜けな事に警察が自分で手掛かりを"始末"してしまったから結果的にまぐれで何とかなってんだ。それが少しでも嗅ぎ回られてみろ!誰もがタダじゃ済まないんだ!」


威嚇するように、無理矢理に服従させるように、支倉は日下部に弁舌を叩きつける。まるで言う事を聞かない子供を恐れたために暴力で大人しくさせようと狂った父親のように、それが理性を捨てた生物であるかのように、その根底には"恐怖"があった。


"その事件"への関与が分かれば、居場所を失わざるを得ないのだ。


「分かってるんでしょうね、日下部さん」

「それは、まあ」

「貴方なら分かってくれると思いましたよ。コネで入ったために実力が無く、更に同僚はその実力を身に着ける機会を奪っていった。貴方の生き方はその時から、私たちに"対価"を捧げ続ける事しか無いんですよ、それを改めてよく理解して下さいね?」


紳士の顔をしたと思えば人狼の如く、日下部に牙を向ける支倉はやっとの事で紳士の顔に戻る。それを確認して若干ほっとした日下部に紳士の顔で支倉は、"対価として、2つ程お願いしたいんですよ"と話題を切り替える。




「"あの方"が、そろそろ"花嫁"を迎えたいと」



「花嫁、ですか…」


日下部も人であった。自分が生き残るために"人身売買"と言って自社のモデルやグラビアを生贄にする事に対し微塵の情も無かった訳ではない。そしてその点に情を挟み込んでしまった事が彼を"小物"とする所以であると言っても良かった。


思えば、支倉の言う"あの方"の為に何人ものモデルやグラビアを、華やかな世界への夢を、日下部は手前勝手な気持ちで差し出してきたのだ。"花嫁"を迎える事で"あの方"と言うのがそれを機に女を生贄に出させるような真似を止めてくれるのであれば、本当に"手前勝手"ながらそれもいいと思ってしまう。それには、漏れ出したように罪悪感が伴っていたのだが。


「"あの方"は、7年前からずっと"てぃーまが"にいるのでしょう?…でも"花嫁"は"てぃーまが"じゃなくて"わわわ"にいると仰ってる。」

「"わわわ"には、私のような者はいないのですか?」


"それがおらんのですよ"と、支倉は困ったような演技をして答えた。


「日下部さんから、"わわわ"の方に"あの方"をヘッドハンティングしてもらえるよう動いてもらえませんかね?」

「それは、できると思いますが」

「でしたら、やってもらいたいのですよ。"恩田ひかり"をはじめ、様々なモデル、グラビアを相手にマネージャーを"あの方"は努めて来られたのです。…グラビアの人気で人手不足がある今、"わわわ"には嬉しい戦力になられるでしょう。」



「"あの方"が"対価"として新人を求めているのでなければ、この子は…?」


罪悪感に駆られながら、それでも"対価"を出さなければと泣く泣く悪に走る。その理由が"自分が会社で生きるため"という執着である事が、正当な理由であるかと言われればそうではない。そんな"小物"であるからこそ、日下部は物事に対する"違和感"を見逃さない観察力があった。


「私の好みですので」

「支倉さん、それはいくら何でも…。モデルもグラビアも、会社の"商品"なんです。こういう関係にはなっていれど、簡単に渡したりはできない事を分かっていただけませんでしょうか?特に支倉さんのお気に召した"対価"は、二度と使い物にならなくなってしまう。」


日下部がそう言ったのは、勿論の事"立場上"であった。それを見逃さない支倉でもない。



「口を利いてやっているのが誰か、ご理解頂きたいですね」



低いトーンで、それながら日下部の心臓を握り、ゆっくりと爪を立てるように支倉は重みをかけていく。心を圧される痛みで息苦しくなった日下部が無理矢理に要求を圧し通されるまでに時間は然程要さなかった。


「"恩田ひかり"以来なんですよ、こんなに気持ちが高揚しているのは。…家族の環境をダシに、仕事を質に取ってやれば、簡単に"あの方"の手に落ちた。その時に必死に抵抗しようとしたあの目は、今も憶えています。」


まるで酔いしれるように、支倉は"恩田ひかり"の話をする。


こんな話を、彼女のマネージャーをしていた"黒沢辰実"が聞いていれば怒り狂って自身を殺してしまいそうになるような内容の話でも、臆さず支倉はするのである。しかし日下部が感じるのは"恩田ひかり"の苦しみや痛みではなく、自分が脅かされる事への恐怖であった。


「ああ、あの子を裸にひん剥いて、その首をこう…、鷲掴みにした時の感触もたまらなかった。"この事を会社が知ったらどうなるんでしょうね?"と逆に脅しをかけようとしてきたから、"あの方"も私も無理矢理に脱がせて抱いてやった。その時だよ日下部さん、裸にして仰向けにベッドに倒した彼女の首を掴んで、人差し指は首の真ん中に押し込むようにしていくんだ。」


"ただでさえ屈辱で涙がにじんでいるのに、そこに苦しみと痛みを与えた時に、何とも言えない快楽があったんだよ"と雄弁に語る支倉に、日下部は何も言えずにいたのであった…。




 *


「絶対に許さんぞ、外道が」


"ある方法"を使って録音していた日下部と支倉とのやり取りを聞いて、"殺してやるぞ"とも言いかねないぐらいの、重厚な怒りを腹に収めた様子で辰実は呟いた。


2人のやり取りが終わった後、辰実は梓と共に駐車場に戻ってきていた。外に漏れないよう細心の注意を払いながらも"再生した"音声の内容を聞いて本来は"当事者ではない"梓だって怒りを覚える程の内容であったに違いない。



「黒沢さん、この話だと饗庭は"敵じゃない"感じになりそうですが…」

「そう判断したいが、これは少し整理する時間をくれないか?」


(日下部と…、支倉と言ったか?確実に俺の手で逮捕してやる)


怒りで冷静さを失いかけていた辰実であったが、一呼吸置いて"まずはこの内容を課長に報告しよう"と梓に指示をするのであった。

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