牛丼と煙草
(前回までの話)
日下部の尾行をしていた辰実と梓は、日下部が"支倉"と名乗る男に遭遇したところを目撃する。"とある方法"で会話の内容を録音する事に成功した2人は、日下部の"人身売買"の証拠を入手できたのだが、その凄惨極まる内容に辰実は怒りを覚えていた。
*
T島県警察本部の"科学捜査研究所"、いわゆる科捜研という所に駒田と重衛が来ていた。プリンを鑑定に出した所で、本部12階のだだっ広い廊下を抜け、エレベーターで地下1階の売店に来ていた所であった。
「新東署にも、売店はあったらええんじゃが」
「食堂はあるんすけどね、できたら売店も欲しいっすね」
地下1階の売店で時間を潰すために菓子パンと飲み物を見ながら駒重コンビは雑談をこいていた。…待つしかない、というのも仕事と言われれば我慢するが、この2人にとってはそれも結構な苦痛なのである。
「しかし、早う結果はでんのか」
割と駒田にはせっかちな所があった。本人の持論によると"楽できる時に楽できるけえ、出来る事は出来るうちに早うせないかんのじゃ"と言う事らしく、至極真っ当なご意見であると重衛は思っていた訳である。
「こればっかりは俺も素人なんで分かんないっすね」
「わし等がこうやって売店でパンを漁っとる間にも、黒さんと馬場ちゃんは人身売買の証拠を集めとるかもしれんのじゃ。じゃけどこうやってパンを漁って待っとる状況と言うのが申し訳なくてたまらん。」
…と、言いつつも駒田は"重、わしはそれにする"と売店のパンコーナーに並んでいた"ちぎれるもちもちチョコパン"を指さし、重衛が持っている籠に入れさせる。
「俺達も動けるようになったらしっかり動かないといけないですし。」
「そうじゃ、待つだけと言うんも無駄に消費するけえ、補給は必要じゃ。待ちすぎて何も補給しとらんのに手伝っても足手まといじゃけえのお。」
"休憩と食事、あとおやつはしっかり摂るべき"というのが駒田の持論である。その時間を確保できない人間は現場で体力切れになってしまうという話は、駒田が消防士時代にレスキュー活動をしていて感じた事らしかった。
「重、お前は何にしたんじゃ?」
「あんパンとコーヒー牛乳っす」
張り込みか、と突っ込みたくなる気持ちが駒田の頭をよぎる。
重衛に1000円札を渡して、"お釣りはええわ"と言って駒田が売店を出た所で、息を切らしながら白衣姿で青白い男がやって来た。
「…ここにいたんですね」
細くて青白い男が息を切らしている様子を見て、"大丈夫かアンタは"と駒田は声を掛ける。不健康そうな男が息を切らして死にでもしないかと心配になった。
「鑑定の結果と、あと駒田さんにお伝えしなければいけない事が…」
「科捜研に戻って話を聞きましょか」
パンは後でゆっくり食べようか、と思いながら戻ってきた重衛と共に科捜研で話を聞く事にした。
*
パンと飲み物の入ったレジ袋を引っ提げて、科捜研のテーブルに座る2人。先程の青白い男がグラスに麦茶を入れ、2人の前に置くと座って鑑定の結果を説明する。
「鑑定した所、このプリンに使われていたのはゼラチンとバニラエッセンス、あと牛乳とバター、砂糖でした。」
「バターを使っとるんか?」
「普通は使いませんからね、バター」
駒田と重衛には分からなかったが、"黒さんに報告すれば大丈夫じゃろ"と思い話を書類と共に聞いていた。
「あと、これは急ぎ上司から"新東署の生安課に伝えて欲しい"って言われたんですけど…」
「生安?わし等にか?」
"何事か"と言わんばかりに駒田と重衛は姿勢を前のめりにして話を促す。
「落ち着いて。…本部の捜査二課が、明日"逮捕に動く"とか、課長さんにはそう伝えて欲しいと。」
"重"と、重衛に声を掛けると頷いてスマホを片手に出ていった。
「何かの事件ですか?」
「あんまり詳しい事は話せんのじゃ」
そういう事が多いですね"警察官"は、と言った科捜研の男の心持には、"警察官"と"警察職員"との同じ組織でありながら枠組みの違う立場に対する皮肉があった。
*
新東署、生活安全課
『…話が正しければ明日っすね。』
「本部の知り合いに、色々と話をしといて正解だったわ」
重衛からの電話を受け、"饗庭の逮捕"が明日に迫っている事を聞いた宮内は、焦りが増しすぎて逆に冷静になってしまっていた。逮捕が本日だと言われればかなりマズい状況であったのだが、まだ"明日"である辺り余裕がある。
「駒田と重衛の方は、今日中に片付くか?」
『学校行って名簿見て名前分かれば、というぐらいですし、今日中は余裕っす』
「…そうか。片桐から何か指示は?」
『いや、特に。駒さんの裁量に任せると。』
基本的に少年が絡む事件となると、悪質な事件や万引き以外は"補導"という形をとる事が多い。特に学生であれば保護者や学校よる処分でも十分に反省できる要素があるために、"逮捕"よりも補導という形をとり、反省を兼ねて健全育成を促すという手段をとるのである。
補導であれば非行(未成年者の犯罪)歴と違い、成人すれば社会的には消滅するという点も、少年の健全な育成に一役買っていると"法的には"言っていい。
「そうか。…とりあえず駒重は終わらせ次第、黒沢と馬場ちゃんの手伝いに回ってくれ。」
指示を飛ばす最中にかかってきた電話は、梓からだった。
"早いわ、尾行の結果が出たかもしれん。とりあえず重衛は少年の件が終わったら一報してくれ"と宮内は早口で伝え、梓からの電話に切り替えた。
「どうした馬場ちゃん、尾行で何か分かったか?」
『日下部が、"人身売買"に関わっている証拠を見つけました。明日の"サロン"と呼ばれる"てぃーまが"や編集関係者、あと地方議会のパーティーで行われるみたいです。』
「何やと?逮捕される現場でのうのうとやるんか?」
支倉が日下部に指定した現場は、明日の"サロン"という集まり。饗庭と日下部の逮捕もまた"明日"である。捜査二課が乗り込むとなれば、その"サロン"の可能性が高い。
『はい。今黒沢さんが課長のPCに音声データを送っていますので確認をお願いします。』
「音声ってか…。よう手に入れれたな。」
『喫茶店で話をしていて、黒沢さんに"落とし物をしたフリをして自分のスマホを植え込みに入れてきてくれ"って言われたんですよ。』
明日に逮捕が控えている事から、一歩間違えればとんでもない事態に展開するような事を部下があっさりやってのけた事まで、驚く事が多い。"それを思いついた黒沢も黒沢やけど、実行した馬場ちゃんも馬場ちゃんや。これは魅惑の女スパイになれそうやな。"といつもの"宮内節"を炸裂させると、"私、スパイの着るピチピチは似合いませんよ"と恥ずかしそうに言われた。
(全く、黒沢はどこでそんな方法を思いついたんや…)
昔やっていた極道のゲームで、元刑事の男がやっていた事をそのままやったというのは内緒である。
*
「…え、食べただけで分かったんですか?」
「その通りじゃ。うちの係の主任が、試食した辺りで怪しいと思ったらしいですわ。」
重衛が報告の電話をしている間、駒田は科捜研の青白い男と話をしていた。…興味はあるらしく、"プリンが関わる事件"という奇怪極まる内容に目を輝かせている。
「そんな凄い人がいるんですね。」
「主任の"黒沢"いう人じゃ。料理とか好きじゃけえ分かったんと思います。」
"へえ、黒沢"と何かを思い出したように科捜研の男は更に目を輝かせた。
「僕、高校の時空手部だったんですけど、1つ下黒沢っていう後輩がいたんですよー。これが中々強くて、僕の代は殆どと言っていい程、もう99.9%ぐらい勝ち目が無かったんです。」
「…その黒沢さんというのを、わしはどこかで聞いた気がするんじゃが」
"下の名前は知っとりますか?"と駒田は質問をする。"空手の強い黒沢さん"と言わるとどうしても1人しか上がってこなかった。そして苗字も珍しい。
「辰実(たつみ)だったかな?干支の"辰"に実るって書いて。」
「その黒沢さんじゃったら、うちの主任じゃ。わしは歳いってから警察官になったけえ歳は下じゃけど1個先輩になるんですわ。」
「お、主任ですか。頑張ってるんだな黒沢はー」
青白い男は、青春に掠った話を嬉々として語ろうとする。
「黒沢は強かったんですよ。でもソイツと同級生の奴が黒沢に張り合おうとしてくる割に弱くて…、ソイツが付き合ってた彼女が、翌年には黒沢と結婚したって聞いたんでずっと仲悪いままなのかなー」
「わしは、黒さんが悪いようには思えん」
駒田は、嘘をつくのが苦手であった。それが社会において"欠点"として出てくる事もあったが、それを掻っ攫う程の豪胆さで生きている。
「そうですよね。高校の時とか、黒沢は愛想が無くて何考えてるか分からないように見えたし誤解されやすかったし。仲悪いって奴は逆に愛想が良くて、悪い言い方だけど"媚びる"のが上手かったから話が黒沢の不利な方向に行ってるのかな。」
印象が悪い理由には、辰実が"結婚式を挙げていない"事もあるのかもしれない。
(わしにはどうしても、黒さんが悪いとは思えん)
「納得いってなさそうですね、駒田さん」
「あの人が悪い人には見えんけえの」
「…黒沢も、駒田さんみたいに信じてくれる人がいるから嬉しいでしょうね」
青白い男の、やせこけた頬にどこか生気が滲んでいたのを見ていた所で、重衛が電話を終え帰ってくる。暫く挨拶をした後、駒田と重衛は科捜研を後にした。
「…課長は、何て?」
「こっちの用事は早く終わらせて、黒沢さんと馬場ちゃんを手伝えと。」
"じゃろうな"と予想通りの回答に対する、予想通りの言葉を呟く。
"じゃったら急いで済まさないかんな"と思った所で、せっかちな駒田の意思を汲み取ったかのようにエレベーターの自動ドアが閉まった。
「悪ガキ共は"補導"という形にして、その処分は学校に任せるぞ」
「了解っす」
決して"面倒"という理由で補導を選択した訳では無い。
道行く女性を物陰から驚かせる行為を繰り返し、その様子を撮影した事については"法的には"大事件とは言えず(やりようによっては"しだまよう"の回の迷惑行為防止条例違反に該当はするが程度の違いもある)、やっているのが高校生という事もあり、"社会的制裁"よりも"更生を促す"方が妥当であるというのが考えなのだ。
*
「何や、あっさり白状したんかい」
「鑑定の結果を話したら泣いて土下座してました。」
12時前。尾行の後に鑑定結果を話し、プリン屋台をまるごとしょっ引いてきた辰実と梓。署に戻ってきた所で梓が報告をしている間に、辰実と片桐は取調室で屋台をしていた2人を監視していた。
"せやったら初めから堂々と、手作りプリンぐらいで濁したらええのに"とぼやきながら宮内は煙草をふかしている。
「饗庭の逮捕が明日に迫っとるんは、馬場ちゃんは知っとるか?」
「はい。黒沢さんと一緒に駒さんから連絡を受けました。」
「…この食品偽装の件は、今日中に片づけて欲しいという事は?」
「聞いてます。"今日はチビ達とトランプするって話してたんだが"ってぼやいてましたよ。」
「そうか」
警察官という職務上、そういう事があるのは辰実もよく理解はしているだろう。それを分かっていながらも"それは申し訳ないな"と心の中で思う宮内であった。
「今日中となると、遅くなりそうですね」
「そうなっても、饗庭を逮捕し、その後の事に集中して欲しいねん。…でないと、捜査二課のやり口によっては横槍を入れられる可能性がある。」
シケモクになりかけている煙草を、宮内は灰皿に擦り付ける。
「ジョーカー(切り札)は、万全に効力を発揮してこそなんや」
「…それだけですか、課長?」
「あとは録音の内容。日下部の頼みが通ったとしたら、日下部もその支倉言うんも、捜査二課も"グル"の可能性が出てくるやろ?それが無くても、饗庭が自分の逮捕を知っとった時点で十分に疑わしいんやけど。」
煙草の煙が消えた時ぐらいで、いつも宮内はまともな話をする。
「後は、これを言うたら察してくれるかいな。"7年前"に捜査二課で指揮を執った男は、今また捜査二課で指揮を執っとるぞ?」
宮内の言っている事を解釈するのであれば、"捜査二課に饗庭と日下部を逮捕させれば、そのまま釈放する可能性がある"という事だろう。
「…でしたら、今日は早めに片付けないといけませんね」
と、気合を入れたものの、この仕事が夜の9時まで続くなんて思ってもいなかった。
終わったら終わったで疲れていた所、"これで煙草1カートンは節約せないかんけど、そんな事よりお前等の労いや"と言って差し入れに買ってきてくれた牛丼の大盛りとインスタントの味噌汁が異常な程美味しかったのを、梓は後になってもよく覚えていたのである。
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