パール

(前回までの話)

商店街で売られていたプリンが、宣伝と異なる作られ方をしていると察した辰実は"科捜研"にプリンを提出しようと考えていた。…その一方で宮内から、饗庭の上司である日下部を尾行するよう指示を受けたのである。



 *


新東署の管轄であるが、若松町からは少し離れたオフィス街に、辰実と梓は公用車を停めた。細長いガラス張りのオフィスビルが"てぃーまが"の建物だと辰実が言ってるのを、梓は緊張感を横目に聞いていた。


「7年前と、車は変わっていないみたいだ」


進んでしまった虫食いのように、所々に停められた車両を隠れ蓑に、辰実は覆面パトカーを停めて日下部が出てくるのを待つ。


「…いつも午前中に打ち合わせをしに外に出て、午後はどこかで時間を潰して帰るんだ。だから"報告が夕方前になって記事の手直しが面倒くさい"って饗庭も言っていたな。」


"人身売買"の黒幕に近い人物なのだ。それだけでも緊張が走る、体のどこかが冷めきった感覚の汗を流している気持ち悪さを感じる。だから7年前を懐かしむような辰実の表情が、喜んでいるのか怒っているのか梓には分からなかった。



分からないにも関わらず、辰実はそれから一言も喋らない。



そんな時に限って何も変化が無いのをじっと眺めているままで、時間は進む事を渋っているように這いずっている。…日下部と思われる人物が車に乗り込んでエンジンをかけた事に辰実が気づくまで、梓は沈黙をゆっくり飲みこんでいた。


「追うぞ」


しがみつくように、車のハンドルは力強く握られていた。日下部の白い車が駐車場を出て左折したのを見届け、覆面パトカーもそれに続く。



「不安なんです。課長が、片桐さんが、それに饗庭も、もしかしたら恋人だった人も…。7年前の"人身売買"に何らかの形で関わっていた人たちが皆、黒沢さんを"この舞台"に立たせようとしている気がして…。」


沈黙に耐えられず、言ってしまった言葉がそれだった。


そんな事は本人が一番分かっているのだろう。自分が一番、苦悩して答えを出した結果としてここにいるハズなのに、梓がそんな事を言って決意を揺らがせてしまうのではという心配もあったかもしれない。


こんな時に限って、本人よりも本人の近くにいる者の方が心配をしている事を考えてみた事はあるだろうか?


"関係のない人なのに?"と心の無い当事者なら思ってしまうのかもしれないが、これは結構"言い得て妙な"話と言っても良い。…この場合の梓であれば、辰実の心中に察しかねる所があるために、辰実よりも梓の方が不安になっている現状が出来上がっているのだ。


辰実の言葉を聞いて、梓は安心したかった。


(…だけど、黒沢さんに甘えちゃいけない。捜査をする立場にあるんだから、日下部の尾行に徹しないと)


自分を叱咤する。叱咤すればする程不安になる。それでも負けじと梓は自分を奮い立たせた。前を向いて運転している辰実の眼には届かない、自分だけの戦いだ。


そんな孤独のジレンマも、辰実の奇行で馬鹿馬鹿しくなってしまう。




「宇宙でー、最もー、暗ーいー夜明ーけ前」


"どうしたんですか急に?"と、最低限のリアクションで梓は辰実の正気を疑う。

ハンドルを握りながら、一般車両を挟んで日下部の車を覆面パトカーで尾行している男がぶっきらぼうな表情のまま歌い始めた。


「パールをー、こぼーしーにー、ハイウェイにー、飛びー乗るぅー」

奇行に走る、いや歌い出す辰実も、決してご機嫌という様子では無かったにも関わらず、状況を飲み込めない梓に対し、"人の話は最後まで聞くものだ"と適当な事を言って呆れさせてしまう。


「何だーかー、不安なんだー。ひどーくー、寂しいんだー」

「闇―はー、孤独をー、包ーむー、貝殻さー」


「目ーがー眩ーむー朝ーにー」

「溶ーけーてしまう前に」


音楽は何を聴くなんて、梓は知らなかった。

流行りの歌でも無く、青春を彩った懐かしの歌でもなく、



"夜よ負けるなよ 朝に負けるなよ"


"何も 答えが 出てない じゃないか"



日下部が商店街に車を停めるまで続いていたその歌は、真実へと歩を進める事を決断したにも関わらず、"本当にそれでいいのか?"と揺れ動いている彼の本心を騙っていたのではないだろうか?と、梓は感じとってしまった。


―――遠回しにそう言いたかったのかもしれない。


だが直接言ってしまえば、梓がもっと不安になるから辰実も言葉を選びに選んで、それでも見つからなくて、呆れてしまうような程不器用なやり方で、今隣にいる梓にだけは本当の気持ちを打ち明けたかったのだろうか?



"今、不安になるのはやめてくれ。悔むか悔まないかは真実を知っても遅くはないだろう。"



それを知るだけで十分であった。


どんな事をしていたって、黒沢辰実も"たった1人の人間"なのだ。突然突き付けられた事実を受け止めはしたものの、それを1人で抱えきれるかと言われれば"難しい"と言ってしまいたくなる。それでも無理矢理に突き付けられた現状に抗うだけの気概で歩を進めようとしている事を教えてくれただけでも、梓は安心できた。



(…結局、私の甘えでしかなかった。)


助けられた感謝の中にも、必死の挑戦に横槍を入れられて不貞腐れる子供のような感情が混ざっていた事に梓が気づいたのは、また後になっての事であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る