慌ただしい朝

(前回までの話)

辰実にお呼ばれし、大ファンの"蔵田まゆ"ともご対面できた梓は、昼ご飯に加えて辰実が商店街で買ってきた"ジャージー牛乳のプリン"を頂いた。…しかし、一口目で梓は"とある事"に気づいてしまう。



 *


話は、梓が辰実の家を訪問した明後日で月曜日になる。


「…一昨日は、ご馳走様でした。」

「ああ、こちらこそ。遊んでもらえてチビ達も喜んでいたよ。」


"久しぶりに癒されました"と答える梓と、何かを共有できた気持ちになった辰実はどこか嬉しそうな表情をしていた。梓も1人っ子で、遊んでくれる姉妹がいなかった事もあるのだろうか、童心に帰った彼女の様子はどこか焦がれるような様子であった。


「ところで馬場ちゃん、明日は水着で出勤してくれないか?」

「脈絡無く変な事を言わないで下さい」

「話を逸らすんじゃない、早く俺の質問に"はい"か"イエス"で答えるんだ。」


向こうでは、またもや駒田が重衛にコブラツイストを極めている。笑いながらやっている辺り、重衛が変な事を言い出してふざけているのだろう。


「どこの署に水着で出勤してくる警察官がいるんですか」

"ここに"と辰実は梓を指さす。


「奥さんと仲でも悪いんですか?」

「俺の考え得る限りでそんな事は無い」


意地らしく言った梓に、辰実はスッパリと答える。



「…一昨日皆で食べたプリンに難癖をつけていたら悪くなっていただろうけど」

辰実のその言葉を聞いて、"やっぱり"と梓は呟く。



「馬場ちゃんは分かったと思うけど、あのプリンは"偽物"だ。」


梓が何かを言う前に、この話に駒田と重衛が食いついた。コブラツイストを極めている駒田は驚きの表情を、極められている重衛は驚きと若干の苦悶を見せた。


「黒さん、商店街で売っとったプリンが"偽物"とはどういう事じゃ!?」

「お、俺もそれが聞きたいっす!」


梓の方に目をやると、コブラツイストの方を見て必死に笑いをこらえている。


「駒さんと重は、"フレーバーリリース"って知ってますか?」

「そんな言葉は初めて聞きましたわ」


"馬場ちゃんは?"と辰実は話を振ると、"風味の広がりやすさですか?"と梓は答えた。ざっくり言えば正解、この話を進めていく上ではそう解釈した方が都合がいい。


「基本的にゼラチンで固めたプリンは、ゼラチンが風味を閉じ込めてしまうからフレーバーリリースが良くないんですよ。」

「じゃったら、蒸したらどうなるんじゃ黒さん?」

「蒸したプリンだと、卵や牛乳、バニラの風味が口に入った"すぐに"広がります。だからフレーバーリリースは凄く良いんです。」


「…重、お前分かったか?」

「分からないっすけど、蒸してたら味が口の中にすぐ広がるってだけは…」

「ちゃんと理解せんかお前はーーー!」


駒田がコブラツイストをきつく極める事で"いだだだ"とまだ冗談ととれる苦悶の様子を浮かべている重衛を意に介さず、辰実は話を続ける。


「馬場ちゃん、一昨日食べたプリンは味が口の中に広がっていくまでに若干の間が無かったか?」

「ありましたね。…でも黒沢さん、あのプリンは"ジャージー牛乳を蒸して固めた"って言ってましたよね?」

「店の人からはそう聞いてるし、店の看板も"ジャージー牛乳使用"と書いてた。」


口に入れて風味が広がるまでのタイムラグは、"蒸した"プリンでは考えられないとおいう事である。辰実も最初に試食した時に違和感を感じたから梓にも食べさせて反応を見た訳だ。辰実と梓が口を揃えて"タイムラグはあった"と言うのであれば駒田も重衛も、"店に嘘があった"と考えるしか無い。


「…となると黒さん、わし等は騙されとったっちゅう事かいな?」

「そうなりますね」

「嘘の表示で人を騙すとは、絶対に許さんけえな!!!」

「ちょ、駒さん!俺じゃない!いだだ、ギブ!ギブ!」


午前8時18分、駒田のコブラツイストによるKO勝ちが確定した瞬間であった。


実は"ジャージー牛乳"の方にも問題があり、本来希少な牛乳を使っているのに、手間賃や諸々含めて"200円"という安い値段である事を怪しいと感じていたり、牛乳の味に"統一感"が無い事と塩分が含まれていた事から、ジャージー牛乳に似せるために牛乳とバターを混ぜた可能性を梓は察していたが、この話をすると重衛が体を斜めに傾けた状態で勤務する事になりそうなので梓は話すのをやめた。


KOが確定したところで、駒田はコブラツイストを解除する。


「これがもし合ってたら、完全に"食品偽装問題"じゃないっすか。」

「まあそうだろうな。後はこれを片桐さんがどう判断するかだが。」


…ここで片桐のGOサインが出れば、本格的に捜査をする事になる。


「…捜査をする、と言ってもプリンを成分鑑定に出すって事ぐらいだな。科捜研に出しても結果が出るまでに時間はかかるだろうし、俺と馬場ちゃんはその間、駒さんと重の受け持ってる事件の方を手伝わせてもらうよ。」

「あざっす」


とか言っている所で、片桐が出勤し自分のデスクについた。4人はそれぞれ片桐に向き直り、"おはようございます"とキレのある挨拶を交わす。


「片桐さん、1つ調べた方がいいかもしれない事が」

「どうしたの黒ちゃん。また変なモノでも見つけてきた?」

「"ジャージー牛乳使用の蒸しプリン"と嘘ついて売られてたプリンなら。」

「それが嘘なら法に触れる話ね。どうやって分かったの?」

「食べたら分かりましたよ。俺1人では疑わしいので馬場ちゃんにも食べてもらいましたが、"蒸したプリン"みたいに風味が口にすぐ広がらなかったので。」

「成程、それはゼラチン特有の話ね。」


考える様子も無く、片桐は捜査にGOサインを出した。


「とりあえず、売ってるプリンを科捜研に出して成分鑑定してもらってきて。」

「分かりました。」


片方の話が終わったところで、もう片方の話になる。


「駒ちゃん、土曜日のイタズラ事件の進展はどう?」

「交番にも協力してもらって聞き込みしたら、"今回だけじゃのうて"他の日にも似たような事がありましたわ。…前は別の場所であったんじゃが、そこに防カメがあったけえデータを拝借しとります。」

「…それは、同じ人だったのかしら?」

「同じ顔、同じメンツでしたわ。…若松高校の制服じゃった。わし等は今日にも、高校に行って生徒の確認をしてきたいと思います。」

「被害者に、被害深刻の意思はあるの?」

「無かったんじゃが、"もし犯人が見つかった場合はしっかり注意してくれ"と。」


「了解。思ったように進めて頂戴。」


それぞれの報告が終わった所で、8時半が過ぎていた事に気づく。


「片桐、ちょっと今日は黒沢と馬場ちゃんを借りてもええか?」

話が終わって一息ついたのを見計らって宮内がやって来る。"私は構いませんが"と片桐は答えながら辰実を見ている。"…さて科捜研はどうしようか"と考えようとした所で、助け舟を出してくれたのは駒田であった。


「じゃったら科捜研がわし等が行ってくるけえ」

「ありがとうございます」


「ほな、黒沢と馬場ちゃんはワシの席のとこに来てもらって構わんか?」


言われるままに、辰実と梓は課長席へ向かう。先に座ろうとした宮内はデスクに置いていた灰皿を応接用のテーブルに置き、ソファーにどっかり座って懐から取り出した煙草に火を点けた。煙でぼやけてしまって、辛うじて字の形を保っている"禁煙"のポスターなどあってないようなモノだ。



「…警備情報で上がってきた話でな。面白い事があった。」


"警備情報"と言われれば大まかには災害対策か政治関係、あとは外国人関係の話になってくる。宮内が"面白い事"と言うのであれば話はその中から"政治関係"になるだろう。


「地方議員の秘書と、"てぃーまが"の日下部が会って話をしとったと。」

「日下部、ですか。」

「お前の同期だった饗庭の上司や。モデルやグラビア、更にはお前の人生まで奪った"人身売買"の窓口になっとった男や。」


勿論の事、宮内や片桐をはじめ、当時の生活安全部が必死の捜査をしても捕まらなかったのは"黒幕"による所が大きい。


「俺達に、日下部を尾行し"人身売買"の尻尾を掴めと?」

「話が早くて助かるわ」


宮内は辰実と梓に、日下部が年に何回かその秘書と密会している事を説明する。その秘書についても"人身売買"に関わっている可能性が高いと宮内は推測している事を説明した。その説明を、辰実は苦いものが舌の根に残っているような表情で聞いている。


覚悟は決めた、しかし今でも"思い出したくは無い"事の1つなのだろう。引き裂かれた恋人がまさか"売られていた"なんて、可能性はあったと予想していても真実としては聞きたくない事だと。



何かを得るには、何かを削らなければならない。そんな事を噛み締めるかのように、傷口をこじ開けられる事に耐えている辰実が""


(やるしか無いんだ、やるしか)


尻尾を掴む事で、"饗庭を確保する"算段ができる事は梓も分かっていた。だからこそ、辰実は傷口の痛みに耐えているのだろう。"開いた傷口が心ごと裂く前に、何もかもが終わって欲しい"と思っても、梓もいつ来るか分からない終わりを今は祈っているしかできなかった。


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