#7「毒の種に水をやる者」

(前回のあらすじ)

辰実と日登美が引き裂かれた事件を、7年前に宮内と片桐は捜査していた。しかし犯人として挙がっていたのは"黒沢辰実"であり、犯人は"日登美の恋人"と名乗っている事が嘘であると分かっていた宮内、片桐は辰実に事の真偽を問う。


愛結がその引き裂かれた痛みを埋めてくれた事から、自分のこの状態が"現在"のまま続いて欲しいと願っていた辰実は、過去の痛みに触れる怖さから日登美との思い出を大切にしまっておきたかったが、状況は何も言わず疑いをかけられ続けるか"日登美の恋人が辰実であった"事を話し疑いを晴らすかの2択を迫られていた。


"今の幸せを壊さず、思い出を大切にする選択として"辰実が選んだのは、自分が恋人であったと話し、その疑いをかけた片桐に最後まで捜査に付き合ってもらう事である。



 *


"ごめんなさい"


日登美と最後に顔を合わせた時に、そんな事を言われた。その次の日に辰実がマネージャーを交代させられた後に、更に月日が経ってから彼女が"恋人を名乗る男"の毒牙にかかっていた事を知ったのである。



「ワシ等が7年前捜査しとったんは、"てぃーまが"と地方地方議会を巡る"人身売買"についてや。」


辰実の覚悟が決まった所で、宮内は"7年前"の話を始める。


「人身売買、という事は日登美さんは"売られた"と?」

「そうや。地方条例や何やら、売り手にとって"都合のいい"ように地方を作り変えてもらうように頼む。その見返りに金やら女やら、という話や。」


"そんな事がドラマや漫画じゃなくて実際にあったなんだな"と思って驚ける程に辰実の心中はいつもの平静さを取り戻していた。先刻までの様子であれば怒り狂うかその反対かどちらかだっただろう、自分でも驚いている。


覚悟を決めた人間は強い、というのは真の話だったようだ。


「大丈夫っすか、黒沢さん?」

「大丈夫だ。…課長、続けて下さい」


辰実を心配する重衛を制止し、辰実は続きを宮内に促す。


「ところで駒田、人の噂話は好きか?」

"そんなモン興味ありゃあしません"と駒田は突き返すように質問に答えた。"黒沢は?"と更に宮内は話を振るが、辰実にも"俺も駒さんと一緒で興味は無いです"とぶっきらぼうな返答が返ってきた。


「質問する相手を間違えたか。せやけど人の中には一定数、"噂話"が好きな奴はおる。更に言えばいい噂よりも悪い噂の方が好まれるんや。」


実家の居酒屋で手伝いをしていた以外は、アルバイトをした事が無い梓には分からなかったが、大学の時に飲食店でアルバイトをしていた重衛には宮内の話はよく理解できたのである。アルバイト先にいた"ルーティンワークに疲れ、群れてみたものの満たされないから他人のスキャンダルで盛り上がるパートのおばちゃん集団"がそうであった。


警察もそうである。そもそも公務員の特質なのか、"良い噂"よりも"悪い噂"の方が遥かに食いつきが良い。"公務員の敵は公務員、警察の敵は警察"という言葉が生まれたのは世間的にもこういう風潮があるからだろう。


「パートのオバハンよりも警察よりも悪い噂が大好きな連中がおる、それが"メディア"や。あいつらは"知る権利"と"報道の自由"を盾にして人の弱みをほじくってきよる。やられた方はたまったモンちゃうけど、市民はそのほじくりカスが好きで仕方ない事も事実やな。」


まとめると、"悪い噂は金になる"という話である。トップモデルのマネージャーとして仕事をしていた事のある辰実には、その話が嫌という程理解できていた。


「ワシ等が捜査して分かった事は、条例による"表現規制の緩和"の実現と、その見返りに"てぃーまが"のモデル、グラビアが売られたという話や。…更に追い打ちをかけるようにそれを"枕営業"というスキャンダルで"てぃーまが"が記事に書く。全く腹立つ程にようできた犯罪やったわ。」


それで、日登美も売られてしまったという訳である。


下衆の私利私欲のために、女性を食い物にするような悪党がのさばるために彼女は食い物にされたというのだ。そのような事で恋人を奪われたのか?と思う辰実の胸中は憤りで満たされたものの、激昂する事なく怒りを受け入れていた。


「その女性達は、どういう過程でそんな事を…」

「脅されたのよ。これは後から分かった話だけど、"必要が無くなればいつでも売れるように"、後には引けないような状況の子を予め雇ったの。」


悲痛に眉を歪めた片桐の様子を見て、質問をした梓も心に吐き気のようなものが滲んできているのを感じる。この事実を知った彼女達は、どんな思いで食い物にされてしまったのだろうか?そんな状況になって誰も味方はおらず、突き放すようにトドメを刺されるのだ。


華やかに夢をみていたハズの彼女達の絶望が、梓には痛い程伝わった。


傍ら、間接的に被害者でありながらも"てぃーまが"の一員としてそんな場所に身を置いていた辰実は罪悪感を覚えながらも思考を巡らせる。…数秒のち、"とある仮設"に行きついた。



「消えたと思われるのは、"人気が低迷してきた"モデルやグラビアです。…ただ、被害に遭っていた時期を推定しても"恩田ひかり"は当時人気が落ちていた事は無かった。寧ろ消えてしまう最後まで人気があったんですよ?」


「それが問題なのよ。…だけど、彼女も他の女の子と同様、"売られて"議員や地方有力者の慰み者にされてしまったわ。」

「いつまたこうなるかは分からんが、盗犯と性犯罪者は"同じ事を繰り返す"確率が高い。…もし捕まえるとすれば"同じ事をしそうな時"、即ち"恩田ひかり"のような人気のあるモデル、もしくはグラビアに近づいた時や。」


「…ほうじゃけど課長、その"犯人"いうんは分からんのでしょう?」


"分からんな"と、開き直った様子で答える宮内に"じゃあどうすれば"と心の中で困惑する駒田であったが、宮内と片桐、それに辰実はその答えを分かっていたようで"駒さん、簡単な話ですよ"と辰実は駒田に笑顔を向ける。


「出てくるまでに、日登美さんをやった奴が分かればいいんですよ。」

「成程、分かりやすくてええ話じゃ」



「駒田も腹を括った所で、話を進めよか。ワシ等が頼みたいんは黒沢の言う通り、"次の犯行"が起こる前に犯人を特定する事や。」


犯人を特定するために、有力な証拠として何が挙がるかといいのは粗方で辰実は予測できていたが、宮内の回答は予測した通りであった。


「日登美さんが堕胎した子供の、DNA鑑定書ですか?」

「お前はそんなモンがあると思うか?」


「…モデルやグラビアを食い物にして、最終的にはスキャンダルでトドメを刺すというなら、トドメの"武器"には必要でしょう?完全に虚偽の事を書いて仕返しでもされたらどうもしようがない。」


"ほんまによう分かっとるわ、お前は"と宮内は感心する様子を見せる。


「結論を言うと、その"DNA鑑定書"というのはあって、"てぃーまが"のモンがそれを確保しとる事は間違いない。」

「…その確保している人は、誰ですか?」


片桐は宮内と目を合わせ、"話してもいいのでしょうか?"と無言で訴えていた。…先程までの事に加えて、また違った所から辰実にとっては耳の痛い話が出てくる事を心配しているのだろうが、宮内は"構わん"と辰実の覚悟を信頼した。



「黒ちゃん、貴方が養子に迎えた子の、本当の父親よ。」

「松浦さんが…。ですがあの人は3年前に殺されています。」


燈の実父、松浦伊久雄(まつうらいくお)が3年前の"舘島事件"で殺害されたのは、一番に現場臨場した辰実が良く分かっている。その松浦がDNA鑑定書を確保していても死んだ事にはあるかどうかも聞き出せない。


「松浦は、7年前の捜査協力者やったんや。"てぃーまが"の総務で働きながらも人身売買の内情を探ってくれとった。…で、捜査が打ち切られる時にワシから"鑑定書をどこかに隠すように"と頼んだ。」

「その隠した場所が分からないから、探せという事なんですね?」


「悪いけどその通りや。」


(松浦さん…)


辰実がマネージャーを交代させられた後、総務課へと異動した。その際に直属の上司としてお世話になった訳である。本試験で辞退者が多く出たために、たった数名の2次募集を受け警察官に転職する事を快く理解してくれたのも松浦であった。


彼が殺害される数か月前に、巡回連絡にて松浦の家を訪れた際に娘がいる事を知った。それから3年が経ち、商店街で雑誌編集員がモデルと共謀して行っていた脅迫行為の一端を追いかけていた時に商店街で見つけたのがその"娘"で燈である。


…松浦の娘だったから、辰実は燈を引き取ったのかもしれない。


両親を失い、養護施設の暮らしにも馴染めず寂しい思いをしていた少女が"両親を求めていた"事を少しでも埋められるならと思った以上に無意識の中でその気持ちがあった。



「どうした黒沢?」

「いえ、少し考え事をしてただけです」


どうも辰実には、たまにではあるが人が話をしている時に別の事を考えてしまう癖があった。本人は全く人の話を聞いていない訳では無く、人の話を聞いている時に限って別の事を思いついたりしてしまうのだ。それが大概、事件解決の糸口になるから咎めにくいのである。


大方そういう事だろうと、梓は横目で思っていた。


(…でも、何か引っ掛かる)

私が思っているのだから、黒沢さんも"当然"考えているのだろうと梓は考えていた。


("舘島事件"で殺害された燈ちゃんのお父さんは、黒沢さんが昔お世話になった人で…、そして捜査の協力者。"恩田ひかり"に関する一連の事件、黒沢さんが巻き込まれた悲劇。燈ちゃんのお父さんが隠したのは、"犯人"への手掛かり)


辰実の過去と現在の点と点が、悉く線で繋がっていく。まるで星座を描くように、辰実がその星の"線の中心"にいるかのように。



"何もかもが、黒沢さんを真実に向かわせるために動いていたとしたら?"



そんな事は無い、と思い梓は首を横に振る。

正解なのだろうけど、そうだと信じたくなかった。


「今、"てぃーまが"でこの話を知っとる可能性があるんは"饗庭"かその上司の"日下部"いう男や。饗庭は捜査二課が逮捕する予定やろうが、ワシの見立てではついでに日下部も逮捕するやろ。」


辰実が知る限りでは、今では饗庭は県内の芸能情報やスポーツ情報をはじめ、様々な記事を書いているライターなのだが、辰実がいた時にはモデルやグラビアのスカウトに携わっていた。日下部はその時に饗庭と一緒に行動していた上司である。


(この2人が人身売買に関わっていてもおかしくはないか)


ポジションとしては、女の子が"逃げられないような要素"を見つけてスカウトする事と、"止めを刺す"事の両方をこの2人が担っていると考えて良いだろう。それだけにこの2人を逮捕する事は捜査二課にとって、"政治犯の尻尾を掴む事"に他ならない。



「だけど、捜査二課に先を越させる訳にはいかないのよ」


(え、それってまさか?)

(捜査が"打ち切り"になった理由と関係があるかもしれん)

(知ってて警察は打ち切りにしたという事?)


「どういう事情があれど先に逮捕されてはこちらの付け入る隙が無いですか」

「"されては"や無いわ黒沢。何が何でも新東署の生安、防犯対策係で捕まえないかんのや。」


重衛、梓、駒田が勘付いた以上に、問題は根の深い所にあったようだ。


「ワシ等の言う"犯人"と今の捜査二課のトップは繋がっとる。」


政治まで根が張っていると思いきや、その根っこは警察まで伸びていた。話が進めば"てぃーまが"だけではなく"政治"まで敵であるのに、そこに"警察"までもが挙がってくるのだ。"警察の敵は警察"がいよいよ笑えない冗談になる。


「どしたんや重衛?驚いてチビりそうにでもなったか?」

「んな事無いっすよ!防犯対策係の5人でやれば勝てます、絶対!」


眼を見開いて小刻みに震えていた重衛を宮内はからかうと、"よう言うたわ"と口元を下向きの弧に歪めた。



「…それで、その今の捜査二課のトップにもモデルやグラビアは"売られた"という事ですか?」

「そうや。松浦の話が嘘でなければ、"恩田ひかり"は当時の捜査二課におった3人と体の関係を持たされた=売られたという事や。」


嘘でなければ、と言われたが松浦が嘘をつくような男じゃない事を辰実は分かっている。日登美は警察官にも下衆な手段で食い物にされたのだ。


辰実の心の奥底で、警察という組織に対する"嫌悪感を被った黒い感情"が芽生えたのはこの時である。その黒い感情が胚であって、芽を出すものなのかどうか、その真偽に気づくのはまだ後の話であった。



「7年前の話ですよ、警察官は異動もあります。そこまで探していては饗庭が先に逮捕されてしまいます。」

「安心せえ、そいつらは全員今になってまた捜査二課に戻って来とる。…うち1人は捜査の陣頭指揮を取っとる奴や。」


それは、分かりやすくていい。


辰実と駒田は思い合わせたように、獲物を見つけた猟犬のように笑む。


(ヤル気満々、って感じっすね)

(黒沢さんも戦うって決めたんだ、私もしっかりしないと。)


話を吹っ掛けて辰実との斬り合いまで想定していた片桐も、勿論の事やる気ではあるだろう。5人が5人、もう途中下車のできない列車に乗り込んでしまっていた事に気づいたのだ。そのような状況で今更、敵が増えた所で文句を垂れても仕方が無い。



「…売られたソイツ等が、捜査ごと握り潰したという話や。」


"これはワシ等の責任で、それを防犯対策係に押し付ける形にはなってしまった。これはホンマにすまんかったと思うとる。せやけどこの事件だけは何としても解決せないかんのや。"


そう言った後に、宮内は5人に対し頭を下げた。



「…私からも、黒ちゃん、駒ちゃん、重ちゃん、馬場ちゃんの4人にお願いするわ。何としても"次の被害"を阻止し、組織の膿も出さなければ。」

「ええ、その為には確実に"饗庭"を確保しないと。」


更に頭を下げた片桐にも、頭を上げるよう諭した辰実には、"確実に饗庭を捕まえる"事だけが見えていた。…勿論の事、作戦は考えていた。


「黒沢さん、饗庭の事です。捕まえたにしても確実に"証言する"とは限らないと思います、何か対策はあるんですか?」


"あるにはある、凄く効率は悪いけど"と辰実は答える。



「殴り合いだ、饗庭と。アマチュアでボクシングやってたけど、プロボクサーを一発KOするぐらい強い、そんな男のプライドを真っ向から叩き伏せる。…逮捕の瞬間に殴り込みをかければ"犯人制圧"という名目で何とかなるでしょう。」


ここまで白を切ってきた饗庭も、自分の得意な"殴り合い"で負けたとなれば"これ以上のみっともない真似はしない"と考えるだろう。梓にはその真意が完全に理解しかねる所であったが、そんな男の土俵で戦わなければならないぐらいに追い込まれている状況と、"辰実の覚悟"があったからこそ納得した。



「できるか、黒沢?」

「何としても饗庭から"真実の一端"を聞き出せと言うのでしょう?俺なら饗庭が知りたがってる"舘島事件"の事だってよく分かっています。それに自分の最も得意な分野で負けて負け惜しみをする程、性根の腐った男ではありません。」


"成程"


宮内は小さく呟く。現状、饗庭の事をよく理解しているのは辰実である、それを考えれば辰実の作戦に耳を傾けるのが望ましいという判断であった。…更に言えば、饗庭の口を確実に割る方法は現状思いつかず、"プライドをへし折る"事に加え"舘島事件"の話をオッズに出すという野蛮なやり方に賭けるしか光明が見えなかった。


そして、現状は捜査二課が動き出すまで"待つ"しか無いのである。"わわわ"と"てぃーまが"が新東署管内である事から、動き出すとすれば新東署と何らかの関りを持つだろうし、その話は生活安全課長の宮内にも幹部連絡として来る。


何もかもが起こる事を分かっていても"いつ起こるか"が分からない状況で、確実に取れる方法は、"捜査に乱入する"以外に無かった訳であった。


(無理矢理乗せてしまった話が、最初から賭けとは)


溜息をつきたくなる状況であった。その賭けに賭け分の全てを"辰実"につぎ込んだ宮内は、今はただただ作戦の時間が来ることを待つしか出来ないでいた。

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