20分

(前回までの話)

辰実が"てぃーまが"でモデルのマネージャーをしていた時期に、宮内と片桐は警察本部の捜査員として"恩田ひかり"やその周辺に関わる一連の事件について捜査を行っていた。当時の捜査状況から、犯人として辰実の名前が挙げられていた事から"自分は黒ではない"と説明する辰実。そして上司部下の関係で様々な事件に接した彼の様子から宮内は"疑い"についても疑問を感じている状況であった。



 *


ものの数分で、張り詰めていた会議室の空気は何も無かったかのように寂れた様子に変わっていた。梓に続き、駒田と重衛も会議室から出ていき、寂しげな空間には宮内と片桐だけが残されていた。



「…あの子の反応を見ると、どうしても犯人"では無い"のかと思ってしまいます。」

片桐もこれまでに数多くの犯罪者やそうで無い者を相手にしてきたが、決まって"黒"の人間は何か"後ろめたい"と思われるような反応をする。…ところが捜査の結果で犯人として目星がつけられていた"黒沢辰実"は真逆の反応をしたのだ。


辰実の性格を考えれば、"犯人"であるならそれを指摘されてはぐらかそうとするだろう。反対に"犯人でない"なら冷静に否定すると片桐は考えていた。…それが今にも激昂しそうな様子で質問に答えている。



「完全に白と分かるまで、黒である可能性を忘れたらいかん」

「ええ、そうですね」


油断がならない。それは辰実に限らず、捜査の上で疑いをかけた相手なら誰でもである。判断の結果は白か黒かに限った事で、グレーである限りはどちらかが決まるまで追及を止めてはならない。それを知っているから辰実も逃げ出したりしないのだ。



「怪しいとしたら、"恋人"やな。それが誰か、黒沢が知っとってその証拠を握っとれば"白"と考えてええやろ。顔の割れてないソイツ以外の奴は全員分かっとるんやから。」


犯人=恋人でないのは、捜査の結果分かっている事であった。偽者の"恋人"が誰かを知っていれば確実に辰実が白になる訳である。…そこに証拠があれば、の話であるが。


「片桐、お前はアイツが"完全に黒"やと分かったらどないするんや?」

「もしそうだとしても時効でしょう、そうなれば本当は"逮捕"して罪を償って貰いたいですが。"免職"してもらうのが限界でしょうね。」


"免職"というのは公務員に対しての措置で、一般企業で言う"解雇"と同義であると考えても良い。任命権のある者が当該公務員から一方的に権限を剥奪する(=公務員でなくなる)事だが、勿論の事そんな事になってしまえば再就職は困難になってしまう"社会的制裁"である。


1人の女性の尊厳を踏みにじってのうのうと生きているのだ。しかも"警察官"にまでなっている事を考えれば、十分な制裁を受けてもらわねばならない。


それこそ、"彼女"のように尊厳を踏みにじられるような痛みを。


「せやけど、"完全に白"やと分かった時の事を考えないかんぞ?」

「…………」


どちらかに決着をつけなければいけない事であるのに、決着の先を考えた片桐は"何かに迷っている"ような表情で俯いた。



 *


「…駒さんは、どっちだと思うっすか?」


3階トイレの洗面台。蛇口から水の流れる音と、いつもより影を塗って険しい駒田の顔が鏡越しで重衛に見えていた。


「どっちでもええじゃろ、そんなモン」

「どっちでもいいって…、駒さんは黒沢さんの事が心配じゃないんすか!?」


知り合って1ヶ月ながらも、重衛は辰実に尊敬の念を向けており、同時に駒田もそうであると思っていた。だからこそ辰実が今の状況にあり、"犯人であるかもしれない"と疑われている事に対して不安を抱かずにはいられなかった。


そして、"どうか犯人であってほしくない"と重衛は願っている。



「わしも、犯人じゃない方であってほしいと思うとるわ」

駒田には、鏡越しに顔を洗い流しても不安を残した重衛の様子が見えていた。


「事実はどっちかじゃ。…それよりも、問題は"その先"」

「その先?もし黒沢さんが"犯人だったら"逮捕するって事でしょう?」


声を荒げる重衛を"落ち着け"と冷静に諭す駒田。


「もし犯人じゃったとしても、7年も経ったら時効じゃ。」

"じゃあ結局、犯人かどうか分かったとしても意味ないじゃないっすか!?"と言っている重衛の気持ちは、駒田にも分からない訳では無い。


宮内と片桐が話していた"捜査"の事や、刑事二課が"てぃーまが"を捜査する事、そして饗庭が"逮捕される"可能性。それらの全てに辰実が関わっており、少なくとも渦中にいる人物の立ち位置を理解する必要があるのだ。


手っ取り早く状況を理解するには、辰実に疑いがある事を突きつけ、正直な自白を求めるのが良いと、宮内と片桐は考えていたのだろう。


「犯人なら、"時効"と分かった上でもしかしたら自白してくれるかもしれん。」

「自白したとしても、俺は黒沢さんが犯人だと認めたくありません。」


(それでええ、重)


「じゃあ、黒さんが犯人で無かった場合の話をしよか。…わしが思うに、この話は選択肢次第で片桐さんか黒さんの"どちらかが斬られる"可能性がある。」


辰実が犯人であった場合、"間違いなく"斬られるのは辰実である。ではそうで無かった場合、斬られるのは片桐だろう。駒田は嘘をつく男ではないから、勿論の事辰実が犯人でなければ"その通り"になると思っているのだ。


「人を斬るには、斬る覚悟もいる」


"どちらかが斬られる"という状況を、重衛は良しと思いたくなかった。2人とも人として好きであった重衛にとっては、そんな結果になどなってほしくないと思うのだが、状況はもう取り返しがつかない所まで来ているのかもしれない。


(いいや、黒沢さんなら…、片桐さんなら…)


それでも、重衛は"見たくない結果"を避けられる可能性をひたすらに求めていた。



 *


1階休憩室


塗装されたアルミ越しに、缶を握る左手の指に伝わる冷たい感触が心地よかった。そしてプルタブを起こした後の炭酸が天に昇る音だけが聞こえる。


右手にはスマホが握られていて、じっと眺めていた写真に写っている辰実の姿はらしからぬ笑顔が浮かんでいた。…写真に写っている"何年か前のように見える"辰実の姿の隣にいたのが、黒髪の女性だと分かったのは、梓にそれがぼんやりと見えたからであった。



「良かった、コーラ飲んでたんですね」

「コーラを飲んでいて安心されたのは初めてだ」


梓がやって来たのを横目で見ると、辰実は画面を閉じてスマホをしまう。


「…昔の、写真ですか?」

「ああ」

「神戸の、ハーバーランドで撮ったんですか?」


辰実は頷く。船の形をしたホテルが写真の背景にあったのだ。…今まで話をした事もなく、また話すきっかけも無かった辰実の内面を少し知ったような気になる。


「奥さんじゃ、無いですよね?」

「愛結とはまた、別の女性(ひと)だな。」


やや斜めに、辰実に向けていた視線を梓が逸らすと、彼は"愛結以外の人が写ってる写真を持ってるなんて、マズいんじゃないかと思ったりはするよな"と笑った。その言葉に梓は首を横に振る。その写真に写っていたのが愛結以外の女性だったとしても、辰実が人の事を少しでも蔑ろにするとは思えない。



「写真を残すぐらい、大切な人なのでしょう。」

「…………」


言い当てられた事に対して無言になるのは辰実の性格だと、何となく梓には分かってきていた。それは決して"無視をしている"訳では無い。


(それが大事な程、誰にも言わずしまっておきたい人なんだ)


宮内と片桐に疑いをかけられても、決して正直に全てを明かして否定しないのか?それは梓だけには分かっていた。辰実にとって疑いを晴らすために話さなければいけない情報の中には、"大事な思い出"がその中に含まれているのだ。


過ぎ去った話なのかもしれないが、それであって大切にしまっておきたいからこそ誰にも言おうとせず必死に抵抗している。いつもと変わらず自販機でコーラを買って飲んでいるその様子がまだ、"いつもと変わらない辰実"の寸前で食いしばっているように梓には見えてしまう。



「無くなったハズの"その先"を、今はこうやって生きる事ができてるんだ。無くなった潰れそうなトコロを埋めてくれた女性(ひと)にも出会えた、それで十分だ。」



彼の本音なのだろう、"大事な思い出も一緒に"疑いを晴らすためには話さなければいけない。そうすれば埋められた幸せが崩れてしまう可能性があるのだ。


迷いと葛藤に圧し潰されそうな所で、力ずくにでも耐えていた辰実が見せた一瞬の"繊細な一面"が、梓には真実を教えてくれたような気がした。


梓も、"それだけで十分"だった。"会議室に戻ります"と言ってその場を立ち去り、暗がりの休憩室は辰実1人だけになる。すると辰実は、またスマホを取り出して先程の写真を開いた。


(―――貴女か俺か、どうすればいいんだろうな?)


スマホを両手で挟んでうなだれる辰実の様子は、何かに祈っているようであった。

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