オシャレをする日
(前回までの話)
坂村の所持していたノートPCから爆弾の設計図を、スマホからは共犯者の存在と連絡内容を発見した防犯対策係。署内では"他県に爆弾処理犯を応援要請する"事で対策を取る事となった。
しかし辰実は"まだ対策は終わっていない"と署長の前で堂々と発言したのである。
*
辰実が"対策"の話をした日から、2日が経って土曜日が来ている。
久々にやってきたような感覚のする休日の午前中を、駒田は商店街で過ごしている。…と言うのも理由があってさっき家族で商店街に着いたばかりなのだが、駒田は妻に"野菜を買ってくるように"と指示され単独でお遣いに向かわされているのであった。
が、それをサボって本屋の前で新作のDVDを眺めているのだ。
(…次、何時観れるか分からんのじゃが)
銃声と野太い怒号が飛び交うアクション映画である。この手の映画を"誰もいない"日にこっそり観るのが楽しみなのだが、妻も子供もいない日というのは月に一度あるか無いかである。
駒田は、"ファイアーマン"という海外ドラマのDVDを手に取った。火災に遭ったビルからお偉いさんの娘を救い出す消防士の救出劇を描いた話である。"消防士"というだけに駒田の琴線に触れた作品であった。
「あ、駒さん。何やってんすかこんな所で」
重衛である。モスグリーンのブルゾンに、ジーンズ姿と"ラフな"服装。
「嫁子供がおらん時に、家で観るDVDを探そうと思ってじゃな」
「別にそこまで家族に遠慮する事は無いっしょ?」
「重、お前も家族を持ったら分かる事じゃ」
"へぇ"と、息を吐くように一言だけ重衛は言った。重衛の反応よりも駒田は、"お前こそこんな所で何をしとるんじゃ?"と重衛に質問を返す。
「婆ちゃんのお見舞いに行こうと思うんすけど、何か買おうと思って」
「顔に似合わず婆ちゃん思いじゃのう」
「俺、婆ちゃんっ子なんで」
そこから話を続けていくと、重衛の祖母は腰を痛めて入院している事が分かった。"嫁のオヤジさんもそんな事を言うとったわ"と駒田は何かを思い出したように言う。
(ずっと体力がある訳でも無いし、体は大事にせないかんのう…)
話の流れで、重衛は駒田が手に取っていた"ファイアーマン"のDVDに注目した。重衛もアクション映画が好きだというらしいが、まだこの作品は観ていないそうであった。
「そう言えば、今夜"爆弾の処理に"来てくれる機動隊の方も駒さんと一緒で消防士だったって話っすね。」
「そうじゃな。消防学校から一緒に訓練しとったわ。」
「世間は…、とんでもない人ばっかっすね。」
"んな事無いわ"と駒田は否定し、DVDを元の場所に戻して頼まれていた野菜を買うために屋良商店へと向かう事にした。
*
商店街も昼となれば…と思いきや空の様子などガラス張りの屋根でぼやけてしまって分からない。
1時間前に友人と隣町でランチを済ませた梓は、やる事も無く商店街をふらふらしていた。今の時間に帰って、せっかく着ている余所行きの服から部屋着に着替えるのも勿体ない気がしていたからである。
久しぶりに食べた、"サーモンとほうれん草の和風パスタ"は美味しかった。これなら"ダイニングあずさ"にもメニューとして出せるんじゃないかというぐらいに梓の中でイメージは沸いていたのだが、基本的に店を切り盛りする父は納得するだろうか?と疑問が出てしまう。
(まあいっか、また家で作ってみよ)
何にせよ、料理は好きなのだ。幼少から店の手伝いをしていた梓は、父である馬場忠(ばばただし)に調理の技術をこれでもかと仕込まれたために"大体の料理は自分で作れるから何とかなる"という考えに育った。
そして普段なら"今日の夜ご飯は何にしようか?"と思う所なのだが困ったことに"今日は"夜に"とある仕事"が控えているためそんな事を考える気分ではない。
…それで黒沢辰実が考え付いた”事前策”を実行するまでの時間をどう潰すか困っていた所で、何もやる事が思いつかない梓は、とりあえず商店街をあちらこちら歩いてみる事にした。
いつも一緒に育ってきた、変わりない商店街。
屋良さんは通りかかる梓に"よう梓ちゃん!"と粋のいい挨拶をしてくれるし、ひとり暮らしの名物老人"ショー婆さん"はいつも散歩させている柴犬に、今日は武士の鎧兜を着せている。…ここまで手作りでやってしまうとは驚きなのだが、商店街にいればごくごく普通の事であるのだ。
何か買い物をするかとは思うけど、特に何か弦を鳴らすモノも見当たらない。
…広告店の近くに差し掛かったところで、奇天烈な"何か"が彼女の目を惹く。強盗を退治した"アヌビス男の伝説"はアヌビスの顔をした侍のゆるキャラ"アヌビス侍"が作られた事で広まったのだが、それと肩を並べるぐらい"意味不明なヒーロー"がまた語られているのである。
簡単に言えば、"革ジャンを着た虚無僧"で、大きい虚無僧、中ぐらいの虚無僧、小さい虚無僧と3人が思い思いのポーズをとっている。梓は金髪の男とお見合いをした時にそんな感じの3人を見た事があるような気がした。
(…それにしてもまた、節操の無い)
その時の3人が今度は何をしたのだろうかは分からないが、"悪党を追い詰め交番に引き渡したヒーロー、コムジャン"として商店街のゆるキャラになってしまっている。しかし子供と女子高生に人気のようで、商店街が頑張って作った大中小のコムジャンのハリボテに群がって写真撮影をしている光景が見える。
おおよそ女子高生と思しき3人組に声を掛けられ、コムジャンとの記念写真を撮ってあげた梓は特に何のリアクションをする事なくその場を後にするが、さっきの女の子の1人が"お姉さん綺麗ですね!"と言ってくれた事に恥ずかしくなりながらも内心喜びを噛みしめていた。
暫く歩いた所で、スポーツ用品店のショーウインドウに置かれているマネキンに目が行き、足を止める。のっぺらぼうの白い女性のマネキンが、紫色のウインドブレーカーに黒いショートパンツ、ロングスパッツを穿いている姿は、どこにでもあるような感じなのだが。
(そろそろ、新しいウェアが欲しいな)
昨年の夏ぐらいから、梓はジムに通い始めた。商店街にあるジムで、家からも歩いて通えるうえに24時間空いている。尚、饗庭と辰実が鉢合わせしたジムではない。
きっかけは"わわわ"のトレーニング女子特集だったのだが、"化粧と服よりも、トレーニングが一番女性を綺麗にする"という話を聞いてその日の思い立ったうちに筋トレをするようになった。…するとどうだろうか?数か月もするうちに体力もつき、生活にメリハリがついていくような気がしているのだ。
隣のマネキンは、スポーツ用のブラ1枚にロングスパッツ姿。"たまにジムにいる女の人がこんな格好してる"とふと思ったが、さすがに人のいる所でここまで脱ぐのは恥ずかしくてトレーニングできない。…上に何か着ずにトレーニングしている人がいれば、その人は物凄く自分に自信がある人か、SNSに投稿するためにやっているのだろうと梓は考えている。
(黒沢さんも、トレーニングとかしてるのかな?)
多分、しているのだろう。蔵田まゆが突撃された時も男2人を難なく撃退していたし、噂によると暴漢複数名を素手で全員倒したという話もある。空手の段持ちと聞いているが、それだけでは無いのだろう。
ぼんやり考えていると、ショーウインドウのガラスにぼんやり人の姿が映る。それが梓の左肩の辺りからゆっくりと頭を昇らせていく…
「きゃあ!!!」
ガラス越しに映った目と目があった瞬間、思わず悲鳴を上げた。振り向くと小さい子供を抱きかかえた辰実が、笑いを必死にこらえようとしていた。
「ちょっと、変な事しないで下さいよ!」
振り返った梓は、いつもは団子頭にしている黒髪を右側に下げて三つ編みにしている。薄手のタートルネックのセーターに、ミルクを混ぜたようなチョコレートの茶色いロングスカートと、"いつもと"違う格好が辰実には見えた。
「すまない、ぼうっとしてたようだからちょっと驚かせてやろうと思って」
栗色の長い髪に、つぶらな青い瞳の小さい女の子を抱きかかえた辰実は悪びれる様子もなくそう言った。抱いている女の子は先日会った事がある、辰実の娘である。
「黒沢さんじゃなかったらただの不審者ですよ」
とりあえず深呼吸して、息を整えた。
「よく似合ってるのだが、今日は何かいい事でもあったのか?」
"何もなくても私だってオシャレをする日ぐらいありますよ"と梓は濁すように答えた。嬉しいのだが、やっぱり褒められるとどこか恥ずかしい。
「いつもと違った馬場ちゃんが見れただけでも今日は良かったとしよう」
そんな歯の浮いた事をいつものぶっきらぼうな顔をして言いながら、辰実は抱っこしていた希実の両脇を持ち上げ、"抱っこしてみるか?"と梓に差し出す。
「双子ちゃんの、お姉ちゃんの方ですか?」
「そうだな」
「パパ―、このおねえさんだれー?」
「この前助けに来てくれた、お団子のお姉ちゃんだよ」
「おだんごじゃないー」
「髪型はその日それぞれだ」
希実と目が合う梓。"母のコピーだ"と言われてもおかしくないぐらい、海と宇宙の境目が溶けていく様子を思わせるような青い瞳の幼女がこちらを見ている。…しかし、どこか自分を眺めるきょとんとした様子が、"見覚えのある"ぶっきらぼうな表情を、これでもかと幼くしたように梓は感じた。
「黒沢さんに、似ている所もあったりしますよ」
「そうなのか?」
「自分の事って、案外自分では分からないですから」
「成程」
"これはまた含蓄のありそうな話だ"と思った所で辰実は、梓に"こんな所で立ち話もあれだし、スイーツ食べに行こう"と誘い、近くにあるスイーツの店に行く事にした。
*
「やっぱりここですか」
辰実が入った店は"Bobby’s Sweets"。そう、彼の警察同期だったボビー(本名:秋山剛)が経営するスイーツ店であった。"ボビーさんにお勧め聞いてみよう"と思って梓も後に続いて入るのだが、この日店番をしていたのは金髪碧眼の、明らかに外国人の女性であった。
「らっしゃませー」
背の高い外国人の女性は"いかにも"な片言で挨拶をしてくれる。辰実は面識があるのだろうか、"ボビーは今日いないのか?"と慣れた感じで話をしている。
「その子は?」
「娘の希実だ。」
ニコリとして手を振るジュディに、希実はきょとんとした様子で頭を下げた。
「奥さんにも似てると思うけど、クロサーワにも似てるよ」
「さっきも言われたんだが、それ」
「分からなければ、クロサーワもまだまだヨ」
分かる人には分かるのだろう。簡単な世間話をした所で、辰実は希実、梓の注文も一緒に済ませテーブル席へと着く。座る前に梓は近くにあった幼児用の椅子を空いているスペースに置き、そこに希実に座ってもらう。
「ボビーの奥さんのジュディだ」
「何か凄いんですけど、何を言っていいのか分からないです」
「ご主人はインチキの癖に奥さんはアメリカ人だ」
「インチキなんて言うと怒られますよ」
暫くしてやってきたのは、注文した"おじさんクレープ"と"お子さんクレープ"。暴投と思われるようなネーミングセンスの商品が多いこの店で、またこれは異色のネーミングであった。
大人用サイズのクレープと、子供用の小さいクレープである。中にはクリームとバナナ、チョコレートが入っている。"いただきます"と一言いうと、希実は小さいクレープを夢中で頬張りだした。
「黒沢さん、気になってた事があるんです」
「唐突だな。…で、何だその気になっている事とは?」
"てぃーまが"で恩田ひかりのマネージャーをしていた時に"ミラー効果"という話を聞いた事がある。例えば相手がコーヒーに口を付けた時に自分もコーヒーを飲む事で好感が得られるとかそういう話だった。…いつか彼女にそうしていた時のように、梓がコーヒーを飲む瞬間を見計らい辰実はアイスティーに手を付ける。
「黒沢さんは、坂村の"メンタルが弱い"という点は分かっていたんですか?」
「ああ、分かっていた」
"何故知っているのか?"、説明を求められるだろう。梓がここまで考えているという事について、辰実は"スケベなニワトリ"の存在を確信した。坂村の人となりを考えているうちに鶏の天啓も降りてきたのだろう。
「城本を"わわわ"の生放送におびき寄せるたいと思い、ジムに突撃する話を聞いた時に"しだまよう"を挑発してやろうと考えた事までは分かるかな。」
「…それは、話し合いでそうする方針になりましたので」
「で、ジムに行って俺は彼とスパーリングをしてきた訳だが。」
一方的に辰実が圧倒していた一戦だったのだろう。梓にはその結果しか想像できなかった。
「大事なのはその後だ、坂村もその映像を撮っていたんだが俺は目の前でカメラを取り上げて"映像を消した"。その時には何も言わずただニヤニヤしてただけだったよ。」
何となく展開は分かるのだが、坂村のにやけ顔を思い出して梓は気持ちが悪くなってしまった。どうも奥底で人間の理性を捨てたようなあの表情が生理的に受け付けなかったのである。
「馬場ちゃん」
「はい?」
「逮捕する時、坂村は警棒で"馬場ちゃん"に襲い掛かった。何でだと思う?」
「黒沢さんと私だったら、私の方が簡単にやっつけられるからですか?」
「失礼なんだが、言ってみればそうだな。」
話をしながらも、辰実は自分の隣でクレープを懸命に頬張っていた希実を見て、頭を撫でる。リスのように膨を膨らませて食べる希実の様子を見て、不覚にも梓は"可愛いな"と思ってしまった。
「あの状況なら、普通は"俺に"一矢報いてやろうと襲い掛かるハズだ。映像まで消され、更にはおびき出されて逮捕されるんだからな。」
辰実は、その行動に坂村の"メンタルの弱さ"を見たのだろう。
「結局、取調でも最後に"俺達が集めた爆弾設置の証拠"を松島さんが突き付けて問い詰めたら最後に泡ふいて倒れたらしい。普通は"違う"なら違うとハッキリ言うだろうけど、ここまで頑なに言わなかったのに追い込まれたらああなってしまうのは"私は全部黒です"と言っているようなモンだろうよ。」
辰実が話し終わった所で、頬張っていたクレープを飲み込んだ希実は口元にクリームをつけて梓を眺めていた。大人しい子だなーと思っていた梓なのだが、こればかりはクスっと笑ってしまった。様子に気づいた辰実は"美味しいなー、ここのクレープは"と笑いながらナプキンで希実の口元についているクリームを拭きとっていく。
「行儀は良いんだが、まだまだ子供だよ」
と、ナプキンを丸めてトレイの上にそっと置く。
「そういう所が、黒沢さんに似てるんですよ」
「…俺がこの子ぐらいの時は行儀なんて良くなかった」
もっと大きい子供でも、痺れを切らして店内を走り回ったりする事があるだろうに、希実は全くそんな素振りを見せなかった。きっと両親の教育の賜物だろう。
「だが、明日相手にするのは"もっと行儀の良くない"相手だぞ?」
そんな事を言い、辰実はアイスティーの一口。それを見計らったように梓もホットコーヒーを一口流し込む、時間が経って丁度いい熱さになっていた。
「その前に今夜の"作戦"です」
「ああ、そうだったな。今夜、設置されている爆弾を発見し処理する事だった。」
口元まで持って行ったコーヒーカップが受け皿の上に置かれる瞬間の、陶器と陶器がぶつかる音が微かに聞こえた。淡いピンクの唇が、どこか梓の不安を語っているように辰実には見えた。
その不安を見逃さなかった辰実の目に、覗き込むように、梓の紫色の虹彩がぼやけるように映る。
「怖くないんですか、黒沢さんは?」
「怖くないと言えば嘘になるんだが、俺は何とかなると思っている。」
「分かりました」
辰実も梓も、希実も全員が食べ終わっている。話をしながらも食べ終わって何もする事がない希実の頬っぺたを少し引っ張ったりつついたりした所で、店を出る事にした。
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