2日目・極上の餌

(前回までの話)

ジムでのスパーリングは、"しだまよう"逮捕への布石であった。全て整った準備、2人の逮捕まではもう秒読みの状況であった。



 *


「…何だって、撮れてない!?」


10畳間のマンション、"しだまよう"が住んでいる一室。時計が日付を跨いだ頃に、驚愕の色が滲んだ大声が響く。体は完膚なきまでに叩きのめされた男の、"心までも"叩きのめされていない事が分かる。


"有名になりたい"と思い活動してきた男が恥を晒された挙句、それを利用して"目立つ"足がかりすら奪われた。その事に対する怒りが自分にあったにも関わらず、カメラマンの男はにやけ顔のままだった。



「おい、どうすんだよ!?」

変わった奴だと思ってはいるが、この時ばかりはカメラマンのいつもの表情が更にしだまを激昂させる。"スパーリングをしたあの男が無理矢理カメラを奪って映像を消した"と説明。


「…くそ、邪魔しやがって。」

この苛立っている状況を防犯対策係が見たら、"上手く行っている"とほくそ笑む事だろう。恐らく係の誰もがそんな事を考えはしないだろうが、知らずに誘導されているのは普通に考えれば滑稽な話である。


"AM10:00(生放送) わわわグラビア大集合!新旧グラビアがちんこ対決!"とノートには書かれていた。"これだ!…10時だが、今日中に投稿できるよな!?"と言っている様子には焦りが見えている。…定期的に投稿する事が、常に閲覧者を得るための基本という事が拍車をかけた。



カメラマンの男にとっても、目の前にいる肥満体の男が怒り狂っている様子はどこか滑稽に映っていた。



 *


時計は、そろそろ10時を指そうかという所である。


防犯対策係は今回、番組のスタジオに"潜んで"いる事も無く、撮影スタッフと一緒に進行を眺めながら"しだまよう"とカメラマンの出現を心待ちにしていた。


無論、"心待ちにしていた"と言える程に余裕があるのは、"来れば即刻逮捕できる"ためである。これも警察官が犯人逮捕の時によく使っている"令状"の力であると言いたい。



「"ダイニングあずさ"が突撃されなくて良かったな」

「…突撃はされなかったんですけど、何回かしだまとカメラマンの2人で飲みに来てた事があったんですよ」

「うるさかっただろう。」

「やかましいし、口説かれました」

「どっちに?」

「"しだま"の方です」


梓も、ああいう手合いは慣れているのだろう。その辺を考えれば元刑事であれこれと凶悪な犯人を相手にしてきた辰実も顔負けでは?と思うぐらい肝が据わっている。


「……」

何かを言おうと思って、辰実は梓の顔を数秒見つめていた。


「清潔感の無い男の人はダメですから」

「…まあ、そりゃあそうか。」


防犯対策係5人が片耳に装着しているイヤホンに、聞き覚えのある声が入った。うるさい男の声で、"これから生放送に突撃しちゃいますよー"と聞こえる。先程、片桐から"しだまが非常階段に入ったと警備員から連絡があったわ"と聞いていたが、今回も同じように階段を昇ってくる辺り成長の無さを感じる。


(餌に引っ掛かるイノシシみたいだな)


ふと、祖父から聞いたイノシシの捕まえ方の話を辰実は思い出した。生放送という"餌"につられてスタジオという"箱罠"に突撃してくるしだまを想像し、"とんだ間抜けだ"と心の中で毒づく。



(お、イノシシとその連れだな)


ここまで来ればもう"余裕"である。ここで令状さえ突き付ければ"箱罠の出口は閉めた"という状況が出来上がるのだ。5対2であればマンパワーでもう何とかできる。


手当たり次第に見繕ったグラビアアイドルの1人に突撃しようとする、しだまの前に立ち塞がったのは片桐、駒田、重衛の3人。駒田がしだまの肩を押して少し離れた所にやった後、手早く3人で囲んだ。


「"しだまよう"、じゃなくて本名は城本義也(しろもとよしや)。迷惑行為防止条例で逮捕します、令状(これ)見れば分かるでしょうけど。」

"ちょっと待て"と言おうとするしだまに、両脇から駒田と重衛の圧がかかる。…瞬く間に彼は観念し、大人しくお縄についた。



…そして、


「さっきからニヤニヤして撮影してるけど、君にも令状が出てるぞ」

と、呑気に逮捕の瞬間を撮影しているカメラマンに向かって逮捕状を出しながら辰実は冷たく言い放った。ニヤニヤしていた表情であるが、"言葉の意味が分からない"と言うサインで一瞬だけ動きが止まった。


「やる奴も撮る奴も一緒だよ」

言葉の意味が分かったのか、本当に"どこかネジが飛んでいる"のか、カメラマンの男はいきなり懐から特殊警棒を取り出し、梓に向かって斜め上から振り下ろす。


辰実と梓は左右に躱す。距離ができた2人のうち、カメラマンの男は更に梓への追撃を試みる。…が、次に警棒を振り上げた瞬間、梓はカメラマンの懐に体当たりをかました。


よろけた隙に、梓もスカートのベルトに装着していた警棒を取り出し、先をつまんで本来の長さに引き延ばす(警棒は基本的に伸縮式で、縮めて収納されている)。…そしてカメラマンが警棒を振り上げた瞬間を狙い、鋭い一振りで右手首を打ち据え無力化した。


更に返す刀、左から右斜め下への鋭い直線の動きが、右太腿を掠める。ひるんだ隙を狙い、辰実が男の右腕を掴み、右脚で右脚を引っ掛け地面へと投げ伏せる。


いわゆる柔道技の"大外刈り"で、背中から地面に叩きつけられた男の左手から梓はカメラを奪う。見計らって、掴んだままの右腕を引き上げ、そのまま頭側から回り込んでうつ伏せの状態に。そして首の付け根の部分(紋所)を右膝で抑えつけ、呻き声が出るぐらいに掴んでいる右腕を引き上げ…。


「手錠!」


辰実の号令で、梓はお留守だった男の左手を背中側に動かし、手早く両手首に手錠をかけた。


この生放送については"放送事故が起こった"という扱いで、これまでのVTR等で何とか時間を繋ぐらしいと辰実が知ったのは、片桐からの又聞きであった。


…ともかく、"目立たせずに逮捕する"という注文は達成である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る