1日目・素顔

(前回までの話)

饗庭との話を終え、ファミレスで愛結と合流した辰実。軽く食事をとった2人の1日目は続いている…。



 *


「…作戦はシンプルよ。明日の番組に"しだまよう"とカメラマンが乱入してきた所を逮捕するだけ。"わわわガールズ"の特番だから、来るだけの要素は十分にあるハズよ。」


片桐が提案した作戦は、至ってシンプルなものだった。


"アイドルの番組収録"を"わわわ"にSNSで拡散させ、"しだまよう"をカメラマンごとおびき出す。この2人に対し"逮捕状"とそれに伴う"捜索差押許可状"については申請中であるが、これらの"令状"が降りるまで秒読みだからできる作戦である事に間違いは無い。



「保険として、"確実に"乱入するという状況を作っておきたいわね。一度"撮影をパーにでもする"か、他の人がしだまを批判するような内容の動画でも出てきたら確実だとは思うんだけど。」


…この状況で、辰実は"汚名返上"を考えていた。


防犯対策という観点からすれば、先に愛結が突撃された事は"失敗"と言っていい。更に言えばあの状況で"家族まで"撮影されるという迷惑行為を許しているとなれば、その様子が公開されてもおかしくないだろう。


言うなれば、辰実の"大失態"と言うべき結果が揃っている。個人的感情を差し引いても、この失態を拭えないまま逮捕まで漕ぎつけてしまう訳にはいかない。



「ピカチンに、相談してみましょうか?」

「現状、"同業者"の力を借りるのが妥当かもしれないわね」


辰実は、梓に連絡をさせる。積極的に関わりたくない男ではあるが、"汚名返上"を考えればそんな事を言っている余裕は無い。…数コールで通話に出た軽い男との会話を、辰実は黙って受け入れた。


簡単に、"しだまようとそのカメラマンが突撃してきた所を逮捕する"と言う話をした時点で、意図せずこちらの欲しかった話をしてくれたピカチン。"今夜、若松商店街の961フィットネスジムに道場破りしにいくと宣言した"と。情報提供という事で、謝礼の言葉を述べると、"俺が警察に情報提供したから逮捕できた"って動画を作っていいか訊かれたが、"面倒なのでやめてくれ"と遠回しに答える。



「ジムか…。あそこは格闘技もやってるし、防犯対策係は腕っぷしの強い3人が…」

「俺に行かせてください」

「分かったわ」


片桐も、辰実が汚名返上を願っていた事を察したのだろう。


その機会を得て辰実は、見事に"逮捕への布石"を敷いた訳であった。



 *


長かった1日の終わり。…体温を若干超える熱さの雨に打たれ、辰実は今日の事を考えていた。動き回った後の、体全体の不快感が流されていくのが心地よい。


(…これで、布石になれば良いんだが)


後は"しだまよう"の突撃を待つだけ。長い一日を過ごした彼の表情に、打ち倒した肥満体の男に言い放った"勧善懲悪"の爽快感は見えない。倒れ伏した男の事など気にもならない、その先を視ていたからだった。



("彼女"は、何を隠したかったんだろうか…?)


"恩田ひかり"のマネージャーを交代し、総務課で仕事をするようになった辰実は一度だけ"彼女"と偶然にも顔を合わせた事がある。当然ながら辰実が繰り出した質問に、"何でもないよ、気にしないで"と哀しい顔で答えた様子を、何も言えず見送ってしまう。


…そんな彼女が、身籠った"恋人との子供"を堕胎したと知ったのは、それから暫く経っての話であった。モデルとしての彼女がどこかへ消えてしまった出来事であった。


"もしあの時本当の事を知っていれば"と、今更になって仮定形の話をするつもりもない。だけど"消えてしまった"彼女の影が心の隅に焦げ付いてしまっている事に今更になって複雑な感情を抱いてしまう。



(あなたが奪ってよ、私ごと全部…)


ふと、泣きながらそんな事を言っていた愛結の事を思い出した。仮定形の話をするつもりがないと思いながらも、仮定形の話をしようとしている。そんな矛盾を抱えた自分がいる。


…紛れもなく、自分は"彼女の真実を知らずにいた"選択の先を生きているのだ。


あの時の"恩田ひかり"が隠そうとしていた哀しい顔と、泣いた愛結の様子が被って見えている。その時に愛結を"何とかして救いたい"と思ったのは"真実を知らずにいた"事を後悔しているからに他ならない。


(饗庭が、真実を握ってるんだろうな)


辰実に忠告を伝えた饗庭の様子は"辰実の知らない真実を知っている"事で間違いは無い。その確信があるだけで今は満足していた、いずれまた"衝突する"事になるのだから。


そんな事よりも、愛結を抱きたかった。


涙で顔を濡らして感情を吐露した"あの時"の様子を思い出すと、急に愛おしくなる。本当は繊細で、脆くて、それで"美しい"彼女を辰実だけしか知らない、そんな優越感があった。



水滴にまみれた鏡をシャワーで洗い流し、自分の"素顔"を視てみたかったが曇りと新しい水滴で"どんな顔をしているか"なんて分からなかった。



 *


先にシャワーを浴びていた愛結は、黒い大理石の洗面台につけられた鏡で自分の素顔を眺めていた。茶色のアイシャドウは落ちても、静かな海の底のような瞳のブルーは消えない。


フランス人と日本人のハーフの母の名残が、愛結の瞳の色と髪の色に出ている。中学生の時に亡くなった父は日本人だったが、そんな事を忘れてしまう程に母の特徴を色濃く受け継いでいた。


小さい頃は"誰かと違う"事を辛いと思っていたけど、大人に近づくにつれ、"認められる"自分の個性になってきた事は嬉しかった。それが"グラビア"として咲いた事も嬉しい。


だけど私は、世間のお人形じゃない。そう思う気持ちが根の深い草のように潜んでいた。…でもこれは、自分が色んな事に悩んで生きていた証、"咲いた花"の"根の部分"を本当の意味で受け入れる人はいないと思っていた。…それでも、"辰実"だけは違う。



不意に愛結を後ろから抱きしめようとし、肩と乳房に触れた腕の硬さと人肌の温度が嬉しくて、細く長い指でそれに触れた。…そのまま反転させられた愛結は、辰実に無理矢理に抱き寄せられ、唇どうしを押し付け合った。遮るモノの無い35.8℃と36.4℃の融和と、舌の結び合いが男女の隔たりすらも融解していく。



この人だけが、私の素顔を知っている。


…その事実が、愛結には何よりも嬉しくて仕方が無かった。



「ここじゃなくて、ベッドがいい」


と言うと、辰実は愛結を抱え上げる。置かれてはいるものの切り取られたように存在する照明やコールの捜査ボードの手前にあった、2人で寝るには広いサイズのベッド。逃げた先の楽園のように、淡い装飾が施され大きなクッションが置かれたそれに、愛結は臀部の曲線から徐々に触れていく。


栗色の髪がふわりと乱れる。どこか蹂躙される事を望んでいたように、微かに光を帯びた青い瞳が潤んだ。辰実が愛結の頬に手を当て長い髪を指の間に絡ませたと思えば、自分の生きた痕跡を残そうとするように、彼女の首筋に唇を押し当てる。


境界線ができる事を拒むように、愛結は細い腕で辰実を離さない。辰実も肩ひじをついて愛結を圧し潰さないようにしていた。そんなギリギリの距離感が、互いの存在を確かめ合う息遣いを察知できる位置だった。


もう片方の手が、愛結の肩、背中、腰、ヒップラインを滑らかに移動する。太ももの外側を撫でたその感触は、彼女の下腹部を経てもう片方の内太腿を滑らかに移動する。



本能を掻き立てる、文字にならない吐息。


…交わした情愛が、1日の終わりを告げた。

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