1日目・線と線の先

(前回までの話)

しだまようとのスパーリングにて、実力差にて圧倒し"完勝"した辰実。それでも一矢報いようと"冒涜"の行為があるもそれを察知した辰実は更に制裁を加えた。


…実はこれがとある"布石"であり、カメラマンの撮影していた映像も消去して、やる事も終わった辰実は既に"饗庭"の方を見据えている。



 *


「黒沢さん、本当凄い!」

「もう余裕じゃん」

「全然レベル違う!」


完敗し、マットに大の字になって倒れているしだまをスマホで撮影する者もいれば、圧倒的な実力差で勝利を収めた辰実を称える者。たった30秒近くの一戦でジムは歓喜に達していた。



「おい」


見事な勝利にホクホク顔のオーナーと、その隣にいる饗庭。"完勝だったじゃない、是非うちのジムでコーチとかやってくれたら嬉しいな"と言われるが、"いえ、そんな素質は…"と辰実は謙遜をする。



「表で話をしないか?」


互いに、考える事は同じなのかもしれない。辰実は"大路が"言っていた7年前の"恩田ひかり"に関する事を聞きたかったし、饗庭は3年前の"舘島事件"に関する事を聞きたかった。この状況は辰実にとっても好都合で、饗庭が"解決したハズの事件を追っている理由"を聞きたかった事もあった。


事務スペースからドアを一枚挟んで、エントランススペース。自動販売機で缶のコーラを買った後、饗庭が座ったテーブル席の、彼の向かいに辰実も座る。



「…余裕だったか?」

「準備体操にもならなかった」


編集員からすれば、"警戒すべき"悪党が完膚なきまでに打ちのめされた様子は痛快だったのだろう。



「"7年ぶり"だな、元気にしてたか?」

「元気と言えば元気だ」


7年前に同期だった男がいなくなった事を偲ぶ様子が、饗庭の表情にあった。しかし話の目的は"そこではない"事は2人ともが分かっている。


「…そうだ、お前、"舘島事件"って知ってるか?」

先に本題を切り出してきたのは饗庭だった。どちらかと言えばまどろっこしい事を好まず、単刀直入に物事を進めたがるのは彼らしいところであると辰実は思う。…そもそも、"お互いに同期だった"事から、辰実は饗庭の性格をよく知っているし、饗庭も辰実の性格をよく知っている。


"カマの掛け合い"などという事をしたところで、2人とも話が進展する状況は作れない。


「分譲マンションの見学会で、23人が殺害された事件だな。犯人はその現場で警察官が射殺したという話までは知っているか?」

「新聞に載っている範囲だ、そこまでは俺も知っている。」


「…じゃあ、その犯人の事は?」

"カマを掛けている"という素振りが無ければ、辰実は"話す事のできる範囲で"正直に知っている事を話そうと思っていた。今の所饗庭にそのような様子は見られない。


「射殺してしまったんだから、犯行の動機は分からん。…身元の分かるモノは当時持っていなかったと聞いているが、指紋から身元が分かったらしい。元々は地元の"半グレ"だったらしいが…」


暴力団の構成員ではないが、犯罪を行う組織に属している者の事である。


「半グレか、でも単独犯だろう?」

「…そうだな。現場に"共犯者がいる"痕跡は無かった。もしいたにしても、犯人に口を割らせるしかあの時に手段は無かったしな。死人の口は割れん。」


こんな話をしている時でも、コーラの味は隠し事をしなかった。心地よいのどごしが、辰実の緊張感を和らげてくれるような気がする。


「饗庭」

「何だ?」

「…事件の被害者の事は知ってるか?」

「知らん」


饗庭は嘘を言う男ではない。もし"嘘を言っている"にしても辰実には分かる。…その感覚から察するに饗庭は被害者について"知らない"と思って良かった。


「君は、"強盗の犯人"から事件の事は聞かなかったのか?」


辰実はここで、少し話を進める。自分が新東署に赴任する前に"若松商店街"で起こった連続強盗事件の事だ。


「聞いてねえ。聞けるかって話だ。」

「それだけの人情があるのに、犯罪を示唆したのか?…それに"わわわ"、"てぃーまが"での脅迫事件にも君が関与していると、どれも犯人が"自供"していた事だ。」


強盗事件の犯人が育った養護施設の管理人は、"舘島事件"で殺害されている。当事者関連、と言えば強盗の犯人3名から事件の事を訊くのは当然だろう。


饗庭は、どこか言葉を探している様子だった。辰実は"饗庭が関与している"事を否定できないが、現時点ではその事についても"何か裏があるのでは?"と勘ぐっていた。犯罪を示唆したにも関わらず、自分が追っている"舘島事件"の事を訊いていない。辰実の知っている饗庭康隆という男は、そんなヘマをする男ではない。



「黒沢お前、"舘島事件"がただの殺人事件だと思ってるだろ?」

「類を見ない凄惨な事件だ、それに被害者の遺族にとっては"終わらない"事件だと思っている。」

「それは警察の考え方だな。」

饗庭は、辰実の"お手本のような"返答を鼻で笑った。


「…あの事件は、犯人がくたばって"ハイ終わり"な事件じゃねえぞ。」

「そんな事は分かっている」


燈を養子に迎える事を考えた時から、そんな事は分かっていた。しかし饗庭の言っている意味はまた違う、その証拠に"いいやお前は全然分かってねえ"と冷たい言葉を叩きつけられた。


饗庭は、確実に"辰実の知らない何か"を知っている。"その事"をこの場で話すだろうか?と考えたが、辰実は"話す事は無い"と踏んだ。



「ところで、"てぃーまが"の総務と関りはあるか?」

「ねえよ」

「ならいい。」

「…何だ?伝言なら頼まれてやるよ。お前が"マネージャーの後に"お世話になった部署だしな。」


ここで辰実は"饗庭が知らないで"、"辰実は知っている"事を1つ確信した。それを材料として"饗庭の知っている話"を引き出すのもいいが、無意識ながら未だ心の中でその先を知ろうとする覚悟が彼には無かった。


「…構わん。その代わりに1つ聞いていいか?」


「ああ、いいぜ」



「"恩田ひかり"が、急に消えた事と"俺の後任のマネージャー"。何か関係はあるか?…それに、君が関わっている部分は?」

「質問が2つになってるぞ。あと、その事については二度と訊くな。」


この反応は、"ある"と踏んでいいだろう。


「そして1つ忠告しといてやる。"過去"と"過去"を線で繋ぐな、"痛い目"じゃすまねえぞ?」

「そんな弱い男に見えるか、俺は?」


今できる"せめてもの"抵抗だった。明確に言える訳では無いが、この場で何かを言っておかなければ"饗庭に呆れられる"気がした。


「…俺の口を割らせたかったら、"殴り合い"でもするか?」


普通に話をするよりその方が手っ取り早い気はしていたが、今ここでそんな気持ちにはなれない。"無意識"のうちに覚悟ができていない事が理由にある事を、辰実は気づいていないのだろう。


「悪くない」

「お互い無事じゃすまねえだろうけどな」


辰実は彼の表情に"戦い続けてきた男"の、強い者に対する飢えを感じていた。先の一戦で、"強い"とは認めてもらえているのだろう。…が、そんな事はどうでも良かった。"自分の過去の出来事を線で括って行けば、その先に必ず饗庭がいる"事がよく分かっただけでも満足していたのである。



「…さて、俺はそろそろ帰る。オーナーさんにもよろしく言っておいてくれ。」

「こちらこそ有難うよ、久々にスカッとしたぜ。」


さっきまでカマの掛け合いをしていたのが嘘みたいに、2人は友人のような挨拶を交わし、饗庭はジムを出ていく辰実を見送った。


ガラス張りの自動ドアを抜けた先の、生暖かい風がどこか気持ちいい。


(お、メッセージが来てる)

スマホを見ると、2分前に愛結からメッセージが来ていた。

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