1日目・虎の尾
(前回までの話)
怜子からの聴取で、"突撃の事前に尾行や張り込みが行われていた"という事を知った駒田と重衛。"わわわ"からしだまの被害に遭った事や、自宅に突撃された事については話さないように言われていた怜子は、辰実の妻である愛結も同様に尾行や突撃をされていた事を話した。
*
若松商店街。
10年前の都市化計画の際に、シャッターまみれの若松商店街に目を付け、動画配信者のオフィスとしたのは多分、"PIKACHIN"が初めてだろう(というかそれ以降に商店街にオフィス構える配信者はいなかった)。
動画の広告収入で食べていく事について、これを社会通念上何の違和感も無くなってしまったのか彼のような男の存在が背景にあると言ってもいい。
…が、辰実には全く興味が無かった。
娘が目の前にいる男と同じ仕事がしたいと言えば、もしかしたら反対するかもしれない気がするといった領域にいる気はするのだ。かと言って"警察官になりたい"と言われたらもっと困る気もする。
この作者が何故にこんな話をしているかと言うと、先程から辰実は件の"PIKACHIN"に接触できたものの、"しだまようを逮捕するなら一緒に行かせて欲しい"と言われた事が原因にある。まさか自分の売名に話を持って行くとは思っていなかった訳で、"逮捕する"とは一言も言っていないのに(結果としてはするけど)早とちりして色々と話を飛躍させる男に開始数分で辟易してしまったせいで話の内容は右から左へ流れてしまっているのだ。
(馬場ちゃんが金髪嫌いな理由が分かった気がする)
目の前にいる男は、パーマのかかった茶髪に、イケメンを2発叩いて崩したような顔をしている。それがハッキリした黒ぶちの眼鏡をかけているから、"この人はオシャレなんだろうな"という錯覚に陥るのだ。
(迷惑男の売名に一役買う訳にもいかないがこの男の売名にも一役買う訳にはいかないな)
(…黒沢さん、とりあえず必要な証言は取れましたので)
"上手く切ってください"と梓に小突かれる。この数分で"しだまようにかけられた迷惑行為の内容"について聴取する際に、梓は"ピカチンに蔑ろにされている"と判断していた。警察を利用して名を上げたいと思ったのか"上司"の辰実に擦り依るという愚行に走っている。
隠してはいるが、梓が若干不機嫌な様子である事を察した辰実が話の頃合いを見定めた所で、携帯が鳴る。駒田からの連絡であった。
*
「黒沢です。駒さん、どうしました?」
少し離れた場所で、駒田からの電話に辰実は出る。気分を害されながらも落ち着いた様子の辰実とは反対に、駒田はどこか焦っているように感じた。
『先に全部話してから聞く事聞きますけえ、まずは全部聞いて下さい。』
そういう物言いをするという事は、"良くない話"であり、"確実に辰実からの質問がある"事を駒田は予測しているのだろう。"分かりました"とだけ辰実は返事をする。
『"蔵田まゆ"も"しだまよう"に尾行されとるみたいです、出勤前に突撃もされたとか。篠部も同様の事をされとりますが、"わわわ"からその話はせんよう言われとったみたいです。』
「愛結も、"わわわ"にその話をしないよう言われていた可能性があると?」
『篠部の話から察するに、間違いないと思いますわ』
「…でしたら、"蔵田まゆ"にも話を聞く必要がありそうですね」
『そろそろ手が空きそうなんでわしと重で行きましょうか?』
"夫が妻から聴取する"という状況を駒田はあまりよく思っていないのだろう。"愛結が話していなかった事"を問い詰める事で、夫婦の間に亀裂ができてしまう可能性を示唆していた。
『いいえ、ここは黒ちゃんが行ってきて頂戴』
駒田と話をしていたハズだが、急に片桐が駒田に代わって電話口に現れた。
「そちらの聴取も終わったんですか?」
『…そうね。私はスタッフに話を聞いた後に防犯カメラの映像を確認してたんだけど』
「防犯カメラの映像は手堅い証拠ですね」
『それは"過去の映像"だけど、"今"映ってた映像の方が今はマズいわ』
"いい、この話を聞いたらすぐ行くのよ?もしもの事を考えて、馬場ちゃんの同行もするように"と片桐は辰実に念を押す。
『今さっき"蔵田まゆ"が退勤して駐車場から出てったんだけど、その後に"しだまよう"の使っている車が同じ方向に出ていったわ』
"了解"といつもより少し低い声で返事をして、辰実は一方的に電話を切った。
「向こうの報告ですか?」
「急ぎの用だ、直ぐに出るぞ。」
「え?…あ、はい!」
何が何だか分からないという表情で焦る梓であったが、一方的にオフィスを出る前に"ご協力ありがとうございました!"とピカチンに"一応の"礼はして出て行ったのである。
程なくして、辰実と梓は商店街の駐車場に置いていた公用車に乗り込む。"すまないが俺が運転する"と、速足で先に運転席側を陣取った辰実は、自分で自分を急かすようにエンジンを叩き起こした。
「行き先は俺の家だ」
"辰実の家"と聞いて、梓は事情を察した。
「まさか、"蔵田まゆ"が?」
「退勤して駐車場を出た時に、しだまの乗っている車が後を追い始めたらしい。」
愛結の行先は希実と愛菜の保育園、そこから帰宅するだろう。燈も学校が終わり下校してくる時間帯で、この時に家に突撃でもされれば家族全員に危険が及ぶ。
*
「ママー、お姉ちゃんもう帰ってきてるかな?」
車の後ろのチャイルドシートで寝てしまっている愛菜の横で、希実が楽しそうに愛結に話しかけていた。
「もう帰ってきてるみたい。」
喜ぶ希実の様子とは反対に、愛結の表情には双子から見えない角度で影が差している。"しだまよう"が目の前に現れて数日、いつ"家に突撃されるか"と不安に駆られていた。それを"売名に繋がる"からと"わわわ"からは口外しないように言われている状況、辰実にも言えずいつ起こるか分からない恐怖との隣り合わせ。
(燈が心配ね、早く帰らないと…)
幸い、道は空いていた。"早く帰らないと"と思っていた愛結は、"2つ後ろを走っている車"が駐車場からずっと追ってきている事も気づいていない…
*
商店街から離れた、新興の団地。
辰実の自宅は、その一角に立っていた。
「…遅かったか」
車の窓越しに見えたのは、希実と愛菜が愛結にしがみついている様子。それを2人の男が挟み撃ちにしている状況であった。少し離れた距離でも、愛結の青い瞳が揺れているように見えたのは、困惑している事が分かったから。
「綺麗なお家ですね!これは」
"ちゃんとコラボする話持ってかないと尺無いですよ"と、挟み撃ちにしながらもカメラで撮影している眼鏡をかけた細い目の男。この男も勿論の事共犯と言っていい。そしてボサボサのプリン頭に小太りの男"しだまよう"、これは確実に主犯である。
「…そうそう、今日もコラボお願いしに来たんですよ!俺にコーラかけて!出来たら水着で映って欲しいかな!…そこんとこどう?」
"出演でしたら会社通してください"と、あからさまに嫌な素振りで愛結は答える。
"子供もいますよ、これもちゃんと撮影してますからね"と、カメラマンの男は悪気も無く言っている。この様子が腹に据えかねなかったのか、"クソ野郎が"と辰実は侮蔑の言葉を吐きながら駆け寄っていた。
辰実が車を停めた場所から、自宅までは少し距離がある。駆け足で現場に向かいながらも、刻一刻と男二人の悪行は愛結の心を蝕んでいく。しがみついていた双子も、怖くて何も話す事ができず目に涙を浮かべていた。
「お、カワイイ!しかもママとソックリ!こんな子達と一緒に映ったら俺ももっと有名になれるって!」
"ママたすけて"と、双子が怖がっている様子がスカート越しに伝わる。しかし挟み撃ちにされているのだ、家に入ろうとすればもっと迷惑な事になる。
(今玄関を開けたら、)
そう思った瞬間であった。玄関戸が開く。
「ママ!早く入って!…パパも今来てるから!」
燈が中から叫んでいた。"2人とも、先に入って!"と声を上げて双子を先に入れようとするが、しだまが玄関戸に掴まってこじ開けようとするために愛結はそれを阻止しようと、逆方向からしがみついた。…状況を察した燈は、愛結の足元にしがみついていた希実と愛菜を、玄関の中に運び入れる。
…男女の力の差が、じわじわと出始めた頃。
"家に入られたらもう終わり"という状況。それでも愛結は視界に映る2人の迷惑な男のその向こうに、希望と安堵を見据えていた…。
*
自宅から少し離れた駐車場に"やむを得ず"駐車した時には、既に愛結が2人の男に挟み撃ちにされている状況であった。玄関を開けて入ろうにも、その流れで2人も入ってくる状況で、何もできずにいる様子だった。
(燈は、帰ってきてるかな…)
辰実は、スーツの裏ポケットからスマホを取り出し、燈に電話をかけた。
「…燈か、今家にいるか。」
『うん、家にいるよ。』
「ママは帰ってきてるか?」
『今帰ってきたけど、玄関で男の人に何かされてる。』
「今からその男をやっつけるから、パパの言う事を聞いてくれるか?」
"何をしたらいい?"と燈は返事をする。
「パパとママの部屋の、物置に赤くて大きな袋があると思うんだけど。それをリビングに持って行ってくれ。…前に"これは触らないでくれ"って言ったと思う。」
辰実が前に言った事を覚えていた燈は、電話の向こうに足音だけを暫く響かせた後"あったよ"とだけ言った。
「…今、外にいる人をパパと警察のお姉さんで何とかするから、燈は玄関を開けてママとチビ達を中に入れてやってくれ。」
『うん、分かった』
電話を切ると、辰実と梓は急ぎ足で現場へと向かう。
数十秒、その間に事態は進んでいた。希実と愛菜を中に入れる燈と、しだまが玄関戸を更に開けようとするのに抵抗している愛結。
「馬場ちゃん、先に愛結と一緒に中に入ってくれ!」
「はい!」
迷惑な男2人の間を抜け、素早く愛結の所まで向かった梓。
「奥さんも、早く中に入ってください!」
「ありがとう」
愛結を中に入れた後も、梓が取っ手を掴みしだまに抵抗を続ける。程なくして辰実もその抵抗に加わり、男女差による力の優劣は消え去った。純粋にパワーの面でも辰実に分があり、先に梓を中に入らせた辰実は徐々に玄関戸を自分の方向に引き寄せていった。
…かと思えば、急に玄関戸を押して軽くしだまにヒットさせる。虚を突かれた肥満体の男は軽く戸をぶつけられた衝撃で手を放す。その隙を逃さず辰実は戸を閉め、玄関に鍵をした。
外からはドアを叩く音と、怒号にも似た声が"ハッキリではないが"聞こえる。"しぶといな"と思いつつも、まずは泣いたままの子供達と、安堵はしているがまだ気が抜けない愛結に目をやった。燈も、まだ不安そうに玄関の向こうを見つめている。
「全員、リビングに避難だ。馬場ちゃんは皆と一緒にいてやってくれ。」
「黒沢さんは、どうするんですか?」
その言いぶりからするに、辰実だけ外に出て迷惑2人組を"撃退"するつもりなのだろうと梓は推測したが、2人のしぶとさを目の当たりにして心配になっていた。
「俺は打って出る」
「駒さんや重衛さんに応援呼んだ方が…」
"警察の人数が増えたら、それこそ2人の思う壺になってしまう"と辰実は答える。
少し体温が上がってしまったのか、家にいる安心感からかジャケットを脱いでネクタイを外し、更にはカッターシャツを脱いで黒のインナー姿になってしまった。
…そして、リビングに置かれている"細長く何かを包んでいる"赤い袋に目をやる。
「お、これだ。」
燈が持ってきた袋である。
「何なのソレ?燈には触らないように言ってたみたいだけど。」
辰実が袋から取り出したのは、エジプト神話の"アヌビス神"の被り物。"また変な物買ってきてた"と若干呆れた様子で言う愛結に、"この間の結婚式の余興で使ったんだよ"と辰実は言っていた。
…更に取り出した物の方が、梓にとっては驚くべき物だった。
"日本刀"である。"馬場ちゃん、これ模造刀だからその辺理解してくれよ"と言うが、鈍く光るその質感はどう見ても"本物"を脳裏によぎらせるには十分な出来具合。
アヌビスを被り、鞘から模造刀の刀身を抜き出した辰実は、"鞘だけ持ってて"と梓にそれを渡す。本当に余興で使うレベルの物なのかと思うぐらい、鞘には重量があった。
「絶対に玄関を開けないでくれよ」
家族に念を押し、家の裏口から出て行った辰実。
少しの間、迷惑な男2人が玄関戸を叩く音と怒号のような声が聞こえる。
…そして、
「お命頂戴ぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!」
「な、何だぁぁぁ!!」
怒号のような声は、突然現れた"何か"に驚く間抜けな声に変った。
…暫く経っても、先程までの怒号と思しき声が聞こえなくなった所から、愛結と梓は辰実が迷惑配信者2人を上手く撃退できた事を察したのである。
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