休日なんて…

(前回までの話)

久々の休日に、燈のリクエストで"塩こうじチキンとライ麦のサンド"を作る事になった辰実は、家族での朝食を済ませた後、ライ麦パンを作っていた。

休みながらも、ふと防犯対策係が受け持っている事件の事を考える。田島の証言から盗撮の疑惑が浮上した"大路晶"は"てぃーまが"にいた時に面識のあった人物である事と、商店街でお見合い中の女子を盗撮している可能性が考えられる事から辰実は、梓への危険を想像していた…。



 *


"ラーメン隣の団地妻"


愛結の反応が怖すぎて、1人で行ける機会があれば行ってみようとまで思ってしまったこのラーメン屋の暖簾をようやく潜る事のできた辰実。


ラーメンなんて家族で食べる事が無い(と言っても愛結とは結構食べたりする)彼にとっては、久々の1人ラーメンに少しだけ心が躍る様子であったが、まだまだ悩みの種は尽きなかった。


(馬場ちゃんに危険が及ぶのを先に防ぐべきか…)

席に着くや否や、肉がっつりラーメン大盛りと炒飯のセット、あとコーラを頼んだ辰実は、宮内に呼ばれる前に自分のデスクで着物のカタログを見ていた梓の様子を思い出していた。


"どこか嬉しそうな"表情をしていた梓。流行りのお見合いは好きな方だろうか?しかし着物を着て何をする?と訊かれれば辰実には"お見合い"しか思いつかない。


何かに恋い焦がれるような、陽光の散らばった水面の美しさをそのまま映し出した表情。それが記憶の片隅にある"彼女"の表情と被って見えた時、それが曇るような事があってはならないと辰実は思うのだった。



(…しかし、出てこなければ大路を捕まえる事ができない)


梓を守る事ができたとして、"盗撮犯"の存在が消える訳ではない。警察官としては犯人を捕まえ、これ以上の人数に被害を根絶しなければならない。


2択の決断は難しい。そう思った所で注文したラーメン達がカウンター越しに目の前に置かれる。"そんなモノ今考える事じゃない"と豚骨ラーメンの濃厚な風味が嗅覚を挟んで訴えている気がしたので、頭を休めてラーメンと炒飯を頂く事にした。


(チャーシューがこんなに分厚いのに、トロトロじゃないか!)

(しっかりした細麺が、コクのある豚骨スープとよく合ってる!それに麺をかみ切るごとに暴れるような…、弾力がある!)

(炒飯もフワフワで、卵の風味と魚介の旨味が一粒一粒にいきわたってる…!)


とりあえず辰実はセットを堪能した所で、千円札を1枚出し店を後にした。



 *


「…で、何しに来たんだよ?」

濃厚な中華を堪能した後は"デザートが食べたい"と思い辰実が入っていったのは"Bobby's Sweets"。元警察官で辰実と同期だったボビー(本名は秋山剛)が経営しているスイーツ店である。


相変わらず、暗めの木目地の設えに壁にはアサルトライフルのモデルガンと、物騒な佇まいだ。しかし商店街のスイーツ店として人気があるという。


「"隣の団地妻"でラーメン食べたら、ここでデザートを頂くと言うのが筋だろう」

「有難い話なんだが何故かしっくり来ねえ」


"言っとくがコーラは無えぞ"とボビーが言った瞬間、辰実は悲しそうな表情をしていた。


「お前、どこにでもコーラがあると思うなよ」

「人をコーラ中毒みたいに言うんじゃない」

「失礼な奴だな、銃刀法違反でしょっ引くぞ」

「公の権力を下らん事に使おうとするな」


応酬が終わった所で、辰実はスイーツを選ぶ。豚骨の油で口が限界になっていた。


「何だこのポップだけのは?」


"イートイン限定!気まぐれボビーのハチャメチャパンケーキ!"と書かれているポップ。雑貨屋のこじゃれた感じは本人が作ったのかボビーの奥さんが作ったのかは分からない。


「イートイン限定の商品も、と思ってな」

「嫌な予感しかしないが、面白そうではある」

「お前がユーモアの分かる男で良かったぜ」


迷いなく、辰実は"気まぐれボビーのハチャメチャパンケーキ"を注文し、ドリンクはアイスコーヒーを頼んだ。程なくして、席に着いた辰実のもとにパンケーキとコーヒーのセットが届く。


きつね色に焼きあがったパンケーキにかかったメープルシロップと添えられたクリーム、その上に赤や紫のベリーが散りばめられ、ハーブが彩られている。その脇にはチョコレートアイスと、その存在を彩るように生クリームが縁取られていた。


(赤や緑、紫と中々にハチャメチャな盛り付けではある)

大学でデザインを勉強し、色彩検定2級に合格した辰実もこれは納得の出来だった。


「ボビー」

「何だ?」

「場所が場所じゃなければ、こういうスイーツは嫁と食べたかった」

「場所が場所って何だ!?素直に褒めやがれ!」


ほんのり甘いパンケーキにマッチする、甘さ控えめのクリームや甘酸っぱいベリー、ほろ苦いチョコレートアイス…。1つで何度も美味しい、これは傑作だと素直に辰実は思ったのである。



 *


屋良商店。


店頭に商品が陳列されているタイプの八百屋で、この店を経営している屋良さん(本名:屋良正明)は商店街のリーダーという立ち位置にあるのだが勿論の事、若松町に引っ越してきてまだ1か月も経っていない辰実はそんな事を知らない。


スイーツで口直しをした後は、ライ麦サンドに挟む野菜を選ぶべく店頭に陳列されている野菜に目を通す。春が旬の野菜だけでなく、普段の家庭に出てくるような平凡な野菜も並んでいた。



「らっしゃい!何をお探しで?」

色黒で、頭にタオルを巻いた目の細い中年の男に声を掛けられる。"恐らくこの人が店主だな"と辰実にも分かった、この人こそが屋良さんである。


「新鮮なのがあれば、できれば旬のヤツなら」

「珍しいな、今日は何を作るんだい?」


男がこんな事を言うのは珍しいのだろう。実際辰実もこんな所で買い物をする機会が無ければ八百屋の店主に直接"旬で新鮮な"野菜がどれかを訊いたりはしない。


「鶏もも肉を塩こうじに漬けたのを焼いて、ライ麦パンに挟もうと思ってるんです。」

「何だ兄ちゃん、洒落たモンを作るじゃねえか」


"記念日か?"と茶化す屋良さんに、"娘が食べたいと言ってましたので"と答える辰実。このフランクさが心に染みる下町の"何か"を作っているのだろう。


「…パンに挟んで肉と頂くってなら、キャベツはどうだい?」

屋良さんに渡されたのは、瑞々しい明るい緑のキャベツ。新鮮さがよく表れていた。


「春キャベツは身が軟らかくて、丁度いいシャキシャキ感なのさ」


屋良さんに新鮮なキャベツを手渡された所で、ポケットの中に入れていた携帯電話が震える。キャベツを片手に持ち、空いた方の手で画面を確認すると重衛からの電話であった。


「黒沢だ」

『お疲れっす、重衛っす。』

「ああお疲れ、どうした急に?」

『黒沢さん、今大丈夫ですか?』

「大丈夫だ」


"キャベツを片手に持って電話に出る男"と言えば、どんなに滑稽だろうか?そんな状況でも知らない重衛は真剣な話をするために辰実に電話をかけたのだ。


『馬場ちゃんのお見合い、今週の日曜日っす。』

「聞いてくれたのか、ありがとう」


分かった所で、具体的な対策が今思い浮かぶものではない。


『あと、これはさっき田島から連絡が来て言われたんですが、"着物のレンタル業者がその日に商店街でお見合いする女の子がいる"って話を、大路にしたらしいんすよ。』


"何て事を…"と、どこか血が冷めるような感覚を辰実は飲み込んだ。



『黒沢さん、もし日曜で俺に手伝える事がありましたら予定空けてますんで何でも言って欲しいっす。駒さんも"いつでも呼んでくれ"って言ってますんで。』

「ありがとう、頼りになる」


電話を切り、キャベツの選別を続ける辰実。


状況と、辰実がどう考えるかは重衛も理解しているのだろう。"お見合いを中止にさせる訳にはいかないが、盗撮犯を捕まえない訳にもいかない"そのジレンマで辰実は悩まされていた。


相手が大路なだけに、嫌悪感もある。それは抑えなければならない。


7年前に"彼女"と揉めた大路を取り押さえたのは、"彼女を守るため"だった。心のどこかで覚えてはいるが、触れる事の無かった記憶が、今になって甦る。


(嫌な気分。あの人は、モデルとしての私なんか見てくれてない。)

大路から離れて、彼女が言った事を辰実はよく覚えている。


(私も写真も、あの人の言いなりになんてならない。)


7年越し、いつぞやのカメラマンに向かって放った言葉は、今度は"盗撮犯"に向いている。それも同じ男を、お互いに立場が違っている状態で追う追われるの構図が出来上がる。



「すいません、ジャガイモも見て行っていいですか?」

辰実は、数個ほど新鮮なジャガイモをキャベツと一緒に購入し、店を後にした。



 *


「凄い!これ全部辰実1人で作ったの!?」

「休みだから時間はあったし、燈が新しく家族になったお祝いもまだだしな。」


食卓には、"塩こうじチキンのライ麦サンド"と、新じゃがのフライドポテト、そして千切りタケノコとベーコンのスープが並んでいた。まるで喫茶店のランチのようなその料理に愛結も驚いている。


丁度、燈の宿題も終わった所で、"食事にしよう"と辰実が声を掛ければ手作り感しかない夕食が始まる。まず最初に燈が口にしたのは、"塩こうじチキンとライ麦のサンド"だった。


若干の甘さがあるキャベツの瑞々しい味わいが、鶏肉の風味と塩味を殺さなかった。これは辰実の中でも"よくできた"と思える完成度であった。


…が、肝心なのは燈の反応。



「燈、どう?美味しい?」

愛結は燈の反応が気になっているようで、何口か頬張った燈の様子を覗き込んで聞いている。大きな一口を飲み込んだところで、燈は首を縦に大きく頷いた。


ダイニングテーブルに隠れて見えない、左の拳を握りしめ辰実は喜ぶ。燈もまだまだ恥ずかしいのか、辰実と言葉を交わす事はあるにはある、という程度だが辰実自身もどこか恥ずかしい所、親子の距離感を掴めない所にいる感じがしていたのである。


握りしめられた左の拳を、少しだけ愛結に見られたような気がした辰実は、何とか話を続けようと"デザートもあるから、後で皆で食べよう"とデザートの話を切り出す。


これも辰実が作ったもので、昼頃に食べた"気まぐれボビーのハチャメチャパンケーキ"を可能な限りそのまま再現した、"辰実パパのメチャメチャパンケーキ"なのである。普通に焼いたパンケーキの3分の1にはメープルシロップが垂らされ、もう3分の1の縁には生クリームとブルーベリー、ラズベリーが添えられている。この横に四角い生チョコレートが添えられているという、見た目豪華なデザートなのだ。


"デザート"と聞いたところで、目をキラキラさせていた燈の反応に辰実は安心した。



 *


食事と、食後のメチャメチャパンケーキタイムを済ませた所で、燈は希実、愛菜を連れて風呂へと入っていった。…燈がまとめて流しに置いてくれていた食器を洗う辰実の傍らで、愛結はその様子を食卓の自分の席に座って眺めていた。


「…ありがとう、今日は」

「いいさ、休みだったし」


辰実が食器を洗っている横で、愛結はスマホを片手にメッセージを確認している。"燈からメッセージが来てる"と呟いたのを見て、"燈から?"と辰実は当たり障りない言葉で会話を繋げた。


「パパ今日はありがとう、だって」

「…そうか」

「直接言って欲しかった?」

「まあ、そうだけど」

「恥ずかしい年頃なのよ」

「そんなモノなのかな」


7歳の女の子はどうだったかな、と言われても9歳下、16歳下の辰実の妹2人と燈はまた違う。9歳下の妹の華佳(はるか)は元々がツンツンしていた所はあるし、16歳したの彩陽(あさひ)が今の燈ぐらいの時には辰実は大学生で県外で1人暮らしをしていた。


「そうか、そんなモノだな。」


あまり急かさず、打ち解けるのをじっくり待つ事にした辰実は、特に何も言う事無く燈の恥ずかしい気持ちを受け入れる。知らない間にさくらがキッチン台に昇り、座って食器を洗う様子を見ていた。



「話変わるんだけど、カメラマンの"大路さん"って人、知ってる?」

「……大路晶か」


しかめた眉が、辰実にとって"いい方"の人物でない事を語っていた。その様子に愛結も"やっぱり…"と悪い噂を聞いていたかのような表情をしている。


「7年前に"てぃーまが"から全部仕事キャンセルされた人だから」

「噂だけなら、私も聞いた事がある」


来週にグラビア写真の撮影があって、その時の担当カメラマンが大路という話だった。本人たっての希望があって"わわわ"に仕事をさせてくれと申し込んできたらしい。


(盗撮してるかもしれない、なんて言えないな)


「その時、辰実は"てぃーまが"にいたのよね?」

「ああ。大路が揉めた時の現場にもいたよ。」


考えてみれば、警察官になる前に"てぃーまが"にいた時の話は殆どした事が無かった。愛結とは高校3年間一緒のクラスで、出席番号も愛結の次に辰実だったので"知っては"いたが、まともに話した事も無い。


そんな2人がどうしてくっついたのか?と言われれば後述の話なのだが、交際を始めた時には辰実は警察官になっていたために"てぃーまが"の印象も薄かったのがある。


「もしかして、撮影スタッフ?」

「マネージャーだったよ、"恩田ひかり"の」


"蔵田まゆ"が地元のグラビアアイドルとして地位を確固たるものにする前の時期に人気を誇っていた"てぃーまが"のモデルの名前で、勿論の事本名は違う。長い黒髪に細身でスタイルもよく、どこかサディスティックな雰囲気が人気の理由だった。光の加減で若干エンジ色に見えた彼女の瞳が美しかったのを辰実は憶えている。


「本当?」

「嘘を言ってどうする」


初耳だった。"蔵田まゆ"から見た"恩田ひかり"はどんな人物なのかは分からないが、彼女の名前が出た時の愛結は、グラビアアイドルの"蔵田まゆ"としてその人物に敬意を持っている様子ではあった。


「馬が合わなかったのか、大路と口論になったんだ。その時には仲裁に入ったよ。」

「…そんな事があったんだ。」


"…じゃあ、今度の撮影は気を付けないと"と愛結は大人の余裕で微笑む。大丈夫だとは思うが、本音の所は実際に揉めていた現場にいた1人として、愛結が心配であった。



「ちょっと、訊いていいかな?」


急に愛結が畏まって、辰実に質問を投げかける。状況から察するに"恩田ひかり"の事だろうと、辰実は丁度洗い終わったすべての食器を水切りラックに置き終わった所で察する。


「ひかりさん、"急にメディアに出てこなくなった"のって7年前だよね?」


———辰実は、少しの間沈黙していた。


「もしかして、マズい話?」

「噂は色々あるが、本当のところは悪いけど知らないな。」

「マネージャーだったのに?」

「急にメディアに出てこなくなった時期の少し前に、マネージャー交代になったんだ。」


完全に忘れる事も無い、心の隅に置かれていた"記憶"は辰実にとって嬉しい話では無かった。彼の少しだけ悲しそうな表情からそれが読み取れた愛結は、ここで話を終える事にした。



「ごめんなさい、嫌な事おもいださせちゃったね。」

「もう過ぎた事だ、全然気にしてないよ」



それだけ言うと、辰実は洗面所の方へと歩いて行った。入れ替わりで、燈と希実、愛菜がリビングにやってきてテレビのチャンネルを動物の特集に替えて大人しく観始める。



鏡に映っている辰実の顔は、どこか疲れたような顔をしていた。


(…休日を返上しても、燈が喜んでくれたのは良かったな)

休日なんて、あってないような感じの1日だった。メッセージ越しだが、ちゃんと父親として見てくれている事が分かっただけでも収穫だと自分に言い聞かせる。


しかし、"まだ"休日は潰れそうだ。


(大路を、何とかして捕まえないとな)

顔を洗うと、何故か考え事をしてしまった。そんな辰実の表情は、どこか疲れている様子でもあったが、強烈な一撃を繰り出すために脱力しているような"真剣さ"も纏っているようだった。



(真剣な顔した時、本当に好き)


鏡に映った気がしたのは、サディスティックな雰囲気の女性。黒くて長い髪に切れのあるつぶらな瞳は誰もを魅了して離さないのだろう。そこにいた"気がしただけの"彼女の瞳が、光の加減か一部だけエンジ色に見えた。その光の加減が、"大人チック"を演出している。


一瞬だけ見えた彼女の幻影が、過去と現在を一本の線で繋いだ。


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