辰実の休日
(前回までの話)
盗撮犯の犯人像を推理した辰実。一方で田島から事情聴取を行っていた重衛は"盗撮をしていそうな怪しい人を見た"と証言を受ける。そこに現れた辰実は自分の推理を田島の証言と答え合わせするものの、2人の口からは意外な人物の名前が出てきた。
…その人物の存在が何なのか、それは後程。
*
休日、と言っても平日なのだが。
以前に緊急で出勤した分の穴埋めとして、辰実は宮内から休みを貰っていた。
田島と話していた"盗撮犯"の話、それについては後程説明しなければならないが、この話では辰実に休息を取らせる事が第一だと思っている。尚、現在進行中の業務については本日中に梓がやってくれているので"黒沢さんはさっさと休んでください!"と半ば強制的に休みを取らされたのである。
さておき、黒沢辰実の朝は落ち着いている…事もない。
家族の中で一番最初に起きたさくら(猫)に叩き起こされ、渋々餌の準備をする。食べ終わったところでふわふわのラグドールを数分程堪能した所で、家族の朝食を準備する。
(フランスパンがあるじゃないか)
台所には、義理の母(=愛結の母)から貰ってきたであろうフランスパン。分けて使えば、1本で4人分の朝食が完成しそうだ。
ボウルに卵、牛乳と蜂蜜を入れ、手早く泡だて器で混ぜる。そこに輪切りにしたフランスパンを浸し、バターをひいたフライパンでじっくりと焼く。糖分が焦げる、甘い匂いが辰実の眠気をどこかにやってしまった。
ちなみに食パンは無いのか?と言われれば"辰実は"違和感を覚えるのだが、愛結については"この状況が普通"との事で黒沢家としては食卓にフランスパンが並ぶ事なんていうのはごくごく普通の事だ。
そんな事を説明している間に、フレンチトーストが完成。皿にレタスとベーコンを盛り付け、皿の大きく空いているスペースに出来立てを乗せる。
「おはよう」
「ああ、おはよう」
5人分の朝食をテーブルに並べた所で、愛結が2階から降りてきた。
若干眠そうな様子で、長い栗色の髪は所々バラけている。太ももぐらいの短い丈のサイズが大きいシャツを寝間着替わりにしているのは、寒い時期を除けばごくごく普通の事。
愛結が洗面所に行き髪を櫛でとき始めた頃に、燈と起こされてきたのであろう希実と愛菜がリビングにやって来る。顔を洗ってくるよう言ったところで辰実は子供用の牛乳を用意し始めた。
黒沢家の朝食。
5人家族であればそれなりに団欒が弾むのかと思えば、実際はそうじゃない。希実と愛菜の双子は食事の時は"殆ど"と言っていい程喋らず、黙々と食べている。3歳の近い子供だと、食事中に集中が切れて遊び食べ等に走ってしまうのでは?と訊かれれば"現在はそんな事もない"という話なのだ。
食器を使えるだろう程度の時期では、中々食事に集中してくれない事もあったが"食事をきちんとする人はこんないい事がある"と説明を幾度か繰り返していくうちに、食器の使い方も覚え、大人しく食事をするようになった。その事に辰実が逆に不安になっているのは内緒である。
「燈、今日は元気が無さそうだが」
フォークを使って不器用にレタスを頬張る希実の隣で、燈は少し俯き加減でフレンチトーストをかじっている。最近になって愛結と喋るようになったのだが、やけに静かな気がして辰実は声をかけた。
「今日ね、クラスのお別れ会」
燈の転校は来週だ。養護施設のあった校区と、黒沢家が済んでいる若松町とは校区が違うために、黒沢家の養子となった燈は"若松町"にある若松小学校への転校が決まっている。
大人の事情で子供を振り回す事は、夫婦共に良しと思わなかったがこればかりは仕方が無い。
「もう会えないなんて事は無いから、今日は悲しい顔をしないで」
"新しい学校で新しい友達が…"なんて事は2人とも言えなかった。養護施設で他の児童とコミュニケーションを取らず生活してきた燈に"学校の友達"とのコミュニケーションに対するウエイトの大きさを考えれば安易な発言はできない。
「今日の夜ごはん、何が食べたい?」
少しでも元気になってほしくて、辰実は少し話を逸らせて質問をする。
「塩こうじチキンとライ麦のサンドが食べたい」
愛結はニコニコしていたが、辰実が若干眉をしかめた様子をしていた事には気づいていた。爆風で地蔵の頭が飛んでくる事さえなければ、このまま内心穏やかに親子の話ができたハズである。
「…よし、やってみよう!」
(あ、良かった。気にしてないみたい)
爆発でデートまで台無しにされた事を思い出して、良くない感情を持っているのかと思えばそうでなかった。よくよく考えれば辰実はその辺を全く気にしないのだと愛結が思い出したのは後だが。
食事が終わった後は各々出勤や通学通園の準備を始め、手持ち部沙汰の辰実は子供3人を保育園と小学校に送迎した。
*
子供3人をそれぞれの場所へ送迎した後、鶏もも肉とライ麦粉を24時間スーパーで買ってきた辰実は、冷蔵庫にあった塩こうじに適度な大きさに切った鶏肉を漬け込んだ後、ライ麦粉と強力粉を1:2の割合で混ぜ合わせる。
(…地蔵でも吹っ飛んでこなければ、どういう味か分かってたんだが)
混ぜ合わせたパン用の粉を、カルデラを作るように台にまぶした。"パンを作るから"という理由でキッチン台は通常のものより広い事にこだわったのは愛結だが、辰実も義理の母に教えてもらいパンの作り方をマスターした。
ドライイーストに少しつまんだ砂糖、水を小麦粉の休火山に注げば、麦の粉の色をしたカルデラが出来上がる。それを潰すように粉を中に寄せる作業をしていけば、全てが粘性を持った1つになった。
滑らかになった個体に、バターを加えて更にこねていく。伸ばしては丸めての繰り返し、この作業を覚えるのに何と手間のかかる事かと、義母の手ほどきを受けながら思った事も懐かしい。
やがて、粘りのある半固体をキッチン取り付けのオーブンに入れ、発酵を始める。
パンが膨らむのに必要な待ち時間なのだが、"早く膨らまないのか"と、いつも急かすようにその様子を眺めてしまう。愛結には"滑稽ね"と笑われたのだが。
夏日を少し控えめにしたような、若干蒸し暑い温度で置いておけば、丸めた小麦粉の団子が倍以上に膨らむ。それをぼうっと眺めるのが辰実には面白くて仕方なかった。
(そのカメラマン、もしかして"大路晶(おおじあきら)"ではないのか?)
(知ってるんですか?"大路"さん。)
昨日の田島との話を、ふと思い浮かべていた。憶測と証言が、まるで精巧なカラクリの一部であったかのように"しっくり"噛み合ってしまった事に辰実は違和感を感じていた。推測と証言が合致するなんて事は今まであったが"噛み合いすぎて気持ちが悪い"という感覚、説明に難しい"悪寒"。
"写真を切り貼りするやり方"に走ったという事実が、推測と証言を繋ぎ合わせた。
("てぃーまが"から全部仕事を消された事であれば有名な話だがな)
(それで、今はフリーのカメラマンに…)
地域ブランドの服のモデル撮影の時に背景を気にして、モデル写真と背景を切り貼りするかという話を勝手にし出した事でモデルの"彼女"とスタッフの怒りを買ってしまったために仕事の殆どを無くした後の事は辰実もよく知らない。
(最近、商店街のアジア通りで、"着物"着てお見合いするのが女の子の間で流行っているのは知ってますか?)
そう言えば昼頃、梓が読んでいた和服のカタログを男4人で眺めていた時に"お見合いじゃないか"と茶化していたが、それが本当にお見合いじゃないのか?と確信に近づいてしまった。
(大路とそれに何の関係が?)
(最近、大路さんがその手のお見合いの時間に詳しいんですよ)
(知ってるのは、"詳しい"という話だけか?)
(そこで盗撮してたという話までは分かりません)
この後、辰実は重衛に"馬場ちゃんがお見合いをするかどうか、もしするなら何時かを聞いておいてくれ"と指示を出す。勿論の事、"盗撮の可能性"を伏せる事も指示して。
ぼうっと眺めていると、こねた生地は倍近くに膨れ上がっていた。
その傍らで、"馬場ちゃんが盗撮されて、自分の分からない所で勝手に写真として売られていたらマズい"と、辰実は最悪の方の想像を膨らませてしまう。もしこれが事情を知らない人間に見つかってしまえば"公務員の副業"という御法度のラインに疑いなく押し込まれる事になってしまう。
膨らんだ生地はガス抜きをすればいいが、膨らんでしまった疑惑はそのまま膨らみ続ける。…やがて倍に膨らんだ生地を辰実はオーブンから取り出し、"俺が食べたかったサンドはこの大きさぐらいだったかな"と適当な大きさに生地を等分し、ボウルに入れたものに濡れ布巾を被せ少し休ませた。
そこからの工程は、再度ガス抜きをして丸めなおし、表面にライ麦粉を振った後にオーブンで10分、室温で15分発酵させる。そして生地の上に切れ込みを少し加えてオーブンで焼けば、ライ麦パンの完成である。
…燈のための夜ごはんは、これで準備を終わらせた訳ではない。
塩こうじに漬け込んだままの鶏もも肉は、まだ出てくるには時間がかかる。付け合わせも何にするか考えておかなければならない。ともかく家事は難しい。
とりあえず一時の暇ができた辰実は、リビングで何かしようかと思ったところで、壁際のキャットタワーで横になっているさくらを発見すると、両手で抱え上げ、ソファーに座ると同時に自分のひざ元に寝かせた。
近くのテーブルに置いていたブラシを使い、丁寧に長い毛を整える。まだ洗う時期ではないが、ラグドールは毎日ブラッシングして毛を整えておかないと毛玉になりやすく、毎日空き時間を見つけたら辰実か愛結がやるようにしている。
ブラッシングを終えた辰実の膝は、ラグドールの白い毛にまみれていた。
(さて、今日は外に食べにいくか…)
家族の不在を見計らい、辰実はラーメンを食べに行く事にした。
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