魚影
(ここまでの話)
元警察官で同期の男、通称:ボビーこと秋山剛が経営するスイーツ店で若松商店街の"女子に人気がある場所"の情報を得た辰実と梓は、うち1つの"喫茶Amanda"で張り込みを行っていた。
最中、オープンテラスの様子を離れた場所から伺っていた辰実は"スマホを直角に立てている男"がいるのを発見し、梓と連携の上確保、署に任意同行させた。
*
「…ほな、盗撮の可能性はまだ分からんっちゅう事か」
スマホで動画を撮影していた男を署に任意同行した経緯について、辰実は宮内に報告していた。未だ盗撮犯の真偽について分からない状態ではあるがそれを証明するための端緒は掴んでいる状態と言っていい。
宮内は、頭の中で魚釣りを想像していた。
自分vs魚の勝負、この1回で釣り上げる事ができなければ川から魚が逃げる。そうなってしまえばもう針を投げても魚は釣り上げる事ができない、そんな構図。
この想像が合っているのなら、防犯対策係は"事の真偽"に関する情報を引き出すために餌を使って証言を釣り上げるのだろう。その辺りは宮内も彼達を信頼している。
重衛と梓が聴取を行っているが、状況によっては辰実がフォローに入るよう指示しているからその辺りは問題ないというのが宮内の考えであった。
「お待たせしました。」
額に若干の汗を浮かべながら、足早に片桐がやって来る。"どうやった?"とズッシリした声色で質問する宮内に、"撮影の許可等はありませんでした"と様子とは正反対の冷静さで返答する。
"役所に許可を得て撮影をしていた"のであれば、直ぐにでも解放すべきであるが、無許可であれば任意であれど取調により言質を取る事ができる。この差は大きい。
元より喫茶店で職務質問をする事が良くない状況と判断したため、署への同行を求めただけなので許可を得ていたとしても問題は無いのだが。そんな事など気にしない様子の宮内は、頭の中で"釣れるかもしれない"魚の大きさを想像していた。
「実は盗撮の可能性よりも、もっと気になる事が…」
片桐もいる所で、辰実は切り出した。彼にとっては盗撮犯の真偽よりもこちらの方が大きな問題である。気が付いたのは本当に偶然だったが、見過ごせないモノだった。
「今朝がた俺と馬場ちゃんに見せてくれた、”T島和服美人図巻”をもう一度見せてもらっていいですか?」
"ええけど"と言うと、宮内は件の冊子を辰実に手渡す。受け取った辰実はパラパラとページをめくって"気になる所"を探し出した。
「これが怪しいっちゅう話か?」
「怪しいには怪しいですね」
「普通は、撮影した子の名前とか書いてそうやけどな。」
この冊子には撮影した女の子はおろか、撮影スタッフの名前まで書かれていない。女の子が着物を着ているのだ、撮影した人はおろか着付けを手伝った人、ヘアメイクをした人も書かれていない。
「誰の名前も書いてないや言う訳ちゃうやろうな?」
「それもありますが、その"怪しい"とも関連する所かと」
「何や言うてみい」
辰実は、気になるページを宮内と片桐に見せた。
一見すると何の変哲もない、和服を着た20代後半くらいの女性の写真である。"見返り美人図"のように振り向き姿の女性の背景に、写真いっぱいの寺が映っている。
他に記述する事があるかと言えば、全体的に影の差した被写体の女性を縁取るように光が指している事ぐらいだろうか?しかし、この"ぐらい"が辰実の目に留まった。
「光の差し方が、被写体と背景で違います」
「黒ちゃん、それはどういう事?」
「ワシにも分かるように説明してや」
辰実は見返り美人を指さして、説明を始める。
「この光の差し方というのは、この背景に寺がびっしり詰まっている状況じゃあり得ないんですよ。それに人物の所は光が強いのに、寺の所の影はぼんやりしてる。鑑識も使ってるような一眼レフでピントを人に絞って背景ぼかしてたら考えられる事かもしれないんですが、この写真は背景も綺麗でその線は無いかと。」
「女の子と背景、これは別の写真と?」
「その線が濃いかと」
「んな事したら手間かかるだけやろうが」
「その"手間"をしなければならない理由が何かあるハズです。」
ずっと前にも、こういう事があったのを覚えている。モデルの彼女が地域ブランドの新しいドレスを着て撮影するのに、スタジオでカメラマンがやたらと"背景の写真"の事をこだわったように話すのだ。
"何かこうちょっと…被写体がねえ"と、追い打ちをかけるようにモデルへの難色を他のスタッフと話していたのを耳に挟んでしまったなら、わざわざ呼びつけられたモデルの彼女には失礼極まりない話である。
ましてやイメージガールに抜擢されているのなら尚更。
その様子に"服を着てれば誰でも良かったんですか?"と彼女は不機嫌そうな表情をしていた。カメラマンなりの写真に対するこだわりがあるのだろうが、どうも"背景がスタジオの白塗りだと、他の雑誌に差が付けられないな"という謎の考えまで言ってしまったなら彼女は更に機嫌を悪くする。
…カメラマンと、モデルの"彼女"が口論となるのは目に見えていた。どころか辰実の目の前で口論をしている。"さすがにマズい"と思った辰実はその場に上司に連絡を入れ撮影が難航しそうだと話をしたところ、"もう撮影はうちらでやるからカメラマンには帰ってもらえ"と指示が出たのだ。
フリーランスで活動している、崖っぷちのカメラマンだった。片や今は売れっ子のモデルと比較すれば会社が"どちらを擁護する"のかはハッキリしている。カメラマンに撮影を依頼したと言えど、写真を掲載するのはこちらでビジョンもあるのに"それ"を無視してしまっては困る。
忘れてしまったような話であったが、上司のお達しをオブラートに包んで説明し、丁重にお帰り頂いた事は覚えている。その時のカメラマンの残念そうな表情はもっとよく覚えている。ざんばらのロン毛に丸眼鏡をかけていた彼の、目の奥に悔しさとも失望ともとれるような虹彩の揺れを辰実は感じていた。
「…黒沢、何か似たような事に"覚え"がありそうやな」
話をしているが視ているモノはまた別の所にある、辰実の様子の繊細な"違い"を宮内は見逃さなかった。"事件性"を視ている宮内と片桐とは違い、"海底の暗い部分に目を向けていた"ような感覚であって魚影を視ていた感じはしない。
「雑誌編集社にいた事もありましたので」
「"てぃーまが"か…」
宮内が吸っていた煙草は、先程の一服でシケモクと化してしまう。
残った火を灰皿でもみ消し、片桐と辰実に指示を出す。
「この写真の件について事件性があるかどうか、一応調べてもらえるか?」
"分かりました"と返事をし、片桐と辰実はデスクに戻る。
デスクには駒田だけが座って作業をしている状況で、片桐は"申し訳ないけど、調べなきゃいけない事がもう1つできてしまったわ"と話の状況を簡単に説明した。
写真の人と背景のズレ、撮影に関わった人が書かれていない冊子。2つ重なれば怪しく思ってしまうのは当然の事だろう。説明していくうちに、"言われてみれば確かに怪しく思いますわ"と納得している様子だった。
「さっき署に連れてきた"盗撮の疑いがある"人もよりも、この"和服美人図巻”の方が気持ち悪い感じがするのよね」
片桐は呟く。
現在、事情聴取をしている重衛と梓に対しては"もし盗撮の疑いが無いと判断したらすぐに終了して構わないから"と言っている。疑いが無い以上は"盗撮があるかどうか"も調べようがない、で終わる話なのだが辰実が気づいた"写真の違和感"については違った。
ハッキリと言葉で言い表せない"勘"なのだがこっちの方が事件なのでは?と思ってしまう。
「黒ちゃん、とりあえず写真の事で何か気づいたら言って頂戴。」
「はい」
片桐は写真の事と"もう1つ"辰実に対しても違和感を感じていた。優れた観察力と察知能力は評価すべきであるが、"それで"終わらせてはいけないような気がしているのである。"魚影"とまた違ったモノを視ていた気がした、たったそれだけを察知してしまった為に"不快感"ではないが言い表せない"気持ち悪さ"があった…。
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