うちへ帰ろう
(ここまでの話)
"舘島事件"で犯人を射殺した事を愛結に伝え、燈の養親となる覚悟を決めた辰実は、その事に対して"本当の事をいつ言ったって奥さんは黒沢さんの事を嫌いになりませんでしたよ"という梓の言葉に安堵した。
一方、一連の犯罪を教唆した"てぃーまが"が事実を否認したが駒田は"饗庭が舘島事件を追っているなら必ず辰実と出くわす"と考えを新たにするも、その巡り合わせにどこか因縁じみたものを感じているのであった。
*
「否認するいうんは分かっとった事じゃが、わしはやりきれん所がありますわ。」
時計はもう夕方の5時半を指していたが、辰実は家に帰る前の寄り道で駒田と立ち食い蕎麦の店に来て、若干の時間つぶしに蕎麦を食べていた。
天かすに青ネギ、かまぼこが2切れ入った簡素なかけ蕎麦であるが、しっかりした麺に控えめのダシがどこか美味しく感じる。これは家に帰る前の贅沢だ。
「否認したとは言え、こっちは空港でトカゲの尻尾切りを防いでるんです。」
商店街に現れた強盗が犯行に使用した煙玉を作成したという人物が県外から県内に戻ってくるという情報から、空港で確保した防犯対策係。結果として彼は犯罪の事実を知らなかった訳であるが、これを確保していなければ彼も爆発物の共犯扱いされていた事だろう。となれば誤認逮捕で警察の不祥事もあり得る。
「誤認逮捕なんてあったら、俺達はこんな所で蕎麦すすってたりしませんよ」
あくまで辰実の考えは、"饗庭が舘島事件を追っている限りは確実に鉢合わせする"という事で変わりないのだろう。"それだけで十分じゃないか"と言いたげに笑みを浮かべた辰実の様子に、駒田も納得するしかなかった。
「黒さんは、饗庭とはあんまりいい関係じゃ無かったんですか?」
辰実は元々、"てぃーまが"の社員だった。饗庭とはその時の同期である。
「良かったですよ、仲?」
「傍から見たら仲良いようには見えんけぇ」
"まあ、そうでしょうね…"と言った後、辰実は最後の一口をすすった。
「因縁があると言うべきかそうでないか…、"てぃーまが"の事でちょっと知りたい事があるんです。」
知りたい事がある。その内容を駒田が訊く事は無かった。
以前に"舘島事件"の現場に先行した警察官が辰実であった事を隠していた。今はもうその事を気にせず、少し肩の軽くなった様子を見せているのだがこの"因縁"については同じぐらい好んで言いたくないのかもしれない。
「無理はいかんけえ、苦しい時はわしか片桐さんにでも言うてつかあさい」
"舘島事件"のように、どこかで辰実が話す事を駒田は待つ事にした。
*
自宅
仕事を済ませ、寄り道を済ませ、ようやく帰ってきたのは午後の6時。家の玄関戸を開け細い金属のチャイムがカランと鳴れば、まず迎えに来るのは猫のさくら。まだ1歳のラグドールで、家族が帰ってくれば一番に顔を出す。
「ただいまー」
革靴をラックに乗せた後、リビングを経由して洗面所に行かなければならない。ひとまず開けっ放しのドアを通り、リビングへと着いた。
「おかえりなさい」
キッチンでは、愛結が夕食の準備をしていた。銀色の大きな鍋からは湯気が上がっている、"今日は魚がいいな"と思いながら辰実は洗面所に向かって手洗いとうがいをし、折り返しリビングの端にある階段を昇り自室で着替えを済ませた。
リビングのソファーでは、まだ小さい双子の女の子が横になって寝ていた。次女の希実(のぞみ)と三女の愛菜(あいな)はまだ2歳で、最近は保育園から帰ってきた後は遊び疲れて大体こうなっている。一卵性の双子で両親以外には見分けがつかない時があり、希実の髪を長くし、愛菜の髪を短くしていた。愛結と同じ栗色の髪に青い瞳と、コピーと言ってもいいぐらい似ているので辰実は少し悲しい。
ダイニングテーブルで学校の宿題をしていたのは長女の燈(あかり)。黒髪のボブカットに猫目の、小学2年生の女の子は先日養子に迎えた。
「分からない所はあるか?」
国語のプリント。あとは日々の事を書く日記帳が置かれているから、もう大方の宿題を終わらせているのだろう。
燈は首を横に振る。話の取っ掛かりにはなるのだが、燈が"頭のいい"子供なために宿題の"分からない"という話が出てこないのは、嬉しくも辰実の悩みであった。
ソファーを双子に占拠されているので、仕方なく辰実はリビングのカーペットに座ってテレビを見る事にした。先日に遭遇したカフェスペースの爆破事件について、偉そうな中年男女があれこれと語っている事がつまらなくて、チャンネルを変えた。
(何と言おうと犯人は新東署を挙げて絶対に捕まえる、それだけだ)
テーブルの上に置かれているリモコンを、辰実は手に取ってチャンネルを変えた。
(…相撲っていう気分じゃないな)
(ニュースは観ておきたいけど、後でスマホで確認しよう)
チャンネルを変えると、警察の特番をしていた。地域の第一線で活躍している警察官が、様々な現場で仕事をする様子を取材した番組であるが、第三者目線だとバラエティ番組で観てしまう。
制服の上に防刃ベストを着た警察官2人が酔っ払いの中年男性に職務質問をしているのだが、何かあるのか件の男は頑なに持っている鞄の中身を見せようとしない。
『危なくないものなら見せてくださいよ』
『嫌だよー、恥ずかしいじゃない』
『絶対に誰にも言いませんので』
押し問答の最中に酔っ払いの男は逃げ出したが、ものの数秒で警察官に追いつかれた。すると素直に男は鞄の中身を白状し、グラビアアイドルの写真集を鞄から取り出し警察官に見せる。
交番で勤務していればよくある光景だ。国語の宿題を終えた燈も番組を観ていたが、それで何を考えているのかは見当がつかなかった。
更にチャンネルを変える辰実。
動物園のカバに、スイカをあげている所。カバの口に放り込まれたスイカが、あっさりと押しつぶされる光景は見てて和むながらも恐ろしい。緑に黒の斑模様が圧し潰され、裂けた所からは赤い飛沫が見える。
何とも豪快な食事の風景であった。
「燈、ご飯できたよー」
「はーい」
燈が返事をして、書きかけの日記帳を近くの台に置きキッチン台から盛り付けられた魚の煮つけをテーブルの各席に運び始めた。
辰実は双子を起こし、1人ずつ抱き上げて食卓のちびっこ椅子へと運び込む。
少し落ち着かない一日であるが、今日も無事に食卓へと辿り着いた。
―――#2「和服パパラッチ事件」に続く
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