告白と懸念

(ここまでの話)

突如起こった爆破事件も、その場に居合わせた辰実と梓の避難誘導により、負傷者を1人も出すことなく被害を最小限に留めていた。

…その後、愛結とともに"ダイニングあずさ"で飲んでいた辰実だが、度重なる事件現場の遭遇により、落ち着かない状態である。



 *


「…先週末に起こったカフェの爆破事件は、有志による避難誘導もあり負傷者ゼロ。ワシら生安と直接関わる事が少ないとは思うけど、こういう事件があってから市民のモラル低下となれば、まずワシらが関わってくる事件になると思え。」


だらだらと定型文のような事を読み上げる関西弁の口調。


朝の8時半にもなれば、T島市若松町とその付近の町を管轄する"T島県警新東署"の生活安全課は始業の挨拶をする事が謎の決まりとなっている。


課長の宮内善治(みやうちぜんじ)を中心に集まる生活安全課の警察官。面々には緊張の様子と各々抱える正義感が醸し出されていた。


…課長からの話を終え、各係長からの連絡事項が無い事を確認し、課員を解散させた後、課長席に座った宮内は煙草に火を点ける。後ろに貼っている"禁煙"の張り紙はもう完全に無視されている。



「黒沢」

「はい?」


煙草を吸い、辰実を呼び止める宮内。"悪い事なら手短にお願いします"とぶっきらぼうな様子の辰実に対し、"悪いんはワシの人相だけじゃ"と冗談を返す。


確かに、人相は悪い。5分刈りに色黒、肩幅の広い男が紫のカッターシャツに黒のスラックス、そして腕まくりともう厳つい放題なのだ。…関西弁で厳つさが増し増しになるのだが、人望厚く気さくな課長である。




「馬場ちゃんと一緒に署長室へ行ってくれ、署長がご指名や。」


何事かは分からない顔をして、辰実は梓を呼ぶ。その梓も何事か分からない顔をしており、事の詳細を知りたがるも宮内と辰実も知らないのにどうしようもない。


「…署長がご指名だそうだ。上手く取り入ってシャンパン入れてもらうんだぞ。」

「私キャバ嬢じゃないです。それに黒沢さんも呼ばれてるんですよ」


ちなみに、重苦しく署長室に入った2人が受けたのは、署長からの感謝の言葉であった。たまたま爆破事件の現場に居合わせたとはいえ、負傷者が誰一人もいない状況を作ったのは、ひとえに辰実と梓が避難誘導を行ったからである。




10分ぐらい経って、辰実と梓は生活安全課に帰ってきた。



「おかえりなさい」

2人を迎えたのは、防犯対策係のリーダー。いわゆる係長の片桐忍(かたぎりしのぶ)、見た目も性別も男であるが、喋り方はオネエそのもの。最近聞いた話では、実は若手の女子職員にモテモテらしい。


「貴方たちのお陰で、防犯対策係の株も上がったわ。これからも頑張って。」

辰実と梓は自分のデスクへと戻り、伏せておかれていた回覧の書類に目を通そうとする。署内の連絡事項や、生活安全課が現在担当している業務の決済書類等、内容は多岐に渡っており、その数分で辰実は脳がくたびれる程の情報を詰め込んだ。


生活安全課の仕事は、刑法、道交法以外の特別法を担当しているためか振れ幅が広い。ドラム缶でプラスチックを焼いている男を相手したかと思えば、今度はDVの現場にカチコミをかけている。とにかく、範囲が広い。


爆破事件の影響か、何故か生活安全課も何かに駆られたように落ち着かない雰囲気で、辰実は仕事という気持ちになるにはまだエンジンが冷え切っていた。



「…そう言えば黒沢さん、これ」

と、ノートPCでメールを確認していた辰実に、梓は横から呼びかけるとローカル誌の"わわわBusyness"の今月号の見開きの記事を見せる。


"てぃーまが、犯罪教唆の事実を認めず!"


「―――やってるとしても、やってないと言うだろうな」

"わわわ"と並ぶローカル誌のトップと言えば、"てぃーまが"なのだが最近は若干の黒い噂が絶えない。梓から渡された見開きの記事を読んでいる辰実の様子は、大事にしまい込んでいた、極上のオヤツを母に食べられてしまった息子のようだった。



「掴んだとしても"トカゲの尻尾"では意味が無い」


ぶっきらぼうに言い放った辰実は、雑誌を見開きそのままで梓に返す。目を見て"ありがとう"と言った辰実の表情は敵の尻尾を掴んでも切り離されては意味を成さないという事実に絶望している様子では無かった。だからと言って希望を持っているかと言われればそうでもない、はっきりしない境目で留まっているように見える。


――その日の午前中は、先日に辰実と梓が担当した、夫婦間のもめごとの報告書と、暴行を受けた妻の意思決定について詳しく話をした所で終わってしまった。



 *


休憩時間の辰実が気まぐれなのは、一緒に仕事を始めてから最初に梓が理解した事である。昼食を自分のデスクで食べている日があったかと思えば、コンビニに行きインスタントのスープ春雨を買いに行ってからデスクで黙々と昼食をとる事もある。


…後は、天気のいい日であれば稀に署の屋上で食べている事もあるが、この日は珍しく署内の食堂で昼食をとっていた。



「珍しいですね」


と言っても、食堂で手作り弁当を食べていた。人付き合いの観点から、定食を食べに食堂に行く人の中に手作り弁当を持って行く人もいる。



「少し考え事を」

「ざわついた食堂で、ですか?」

「人を隠すなら人の中だ」


1人で食堂に行き、手作り弁当を広げている辰実が"人に紛れている"かと訊かれればそうなのかもしれないが、少し浮いて見えるようにも思えた。



「私は、ちょっと残念です」

「メディアと言うのはそういう組織だ。他人の嫌な所は楽しそうにほじくり返すのに、自分がほじくられて嫌な部分は絶対に見せようとしない。」


綺麗な箸のステップで、辰実はから揚げを口に運んでいく。ぶっきらぼうであるが、個々の作法に人の好さが出ている辰実の事は、人として好きであった。


梓は、じっと辰実を見つめている。



「この間、うちの嫁にずっと隠してた事を打ち明けたんだ。」

「3年前の事件の事ですか?」


辰実は3年前に発生した、23人もが殺害された事件の現場でやむを得ず犯人を射殺している。その事を"できれば知られたくない"という個人的な理由で誰にも言わずにいた。今頷いたという事は、その話を妻にしたらしい。


「…それで、奥さんは何と?」

「"仕方がない"だって。」

「当事者ではありませんが、私も間違った判断でないと思います。」


個人的な気持ちで言わずにいた辰実がこうもあっさりと愛結に打ち明けたのには理由がある。その事件で殺害された夫婦の遺児を養子として引き取ったからだ。


ざわついた食堂の中で、何故か梓がうどんをすする控えめな音だけが聞こえる。



「打ち明けたのは、"仕方がない"からですか?」

「お、痛いところを突くなー。…と言いたいがそれは間違いだ。」

「間違いで良かったです。」


すっとぼける辰実に、梓は若干呆れた様子で言葉を返す。


「自信がなくてな。人知れず事件と戦う燈(あかり)の支えになれたらと思って、娘として引き取りたいと言ったものの、あの子に必要なのは"両親"だと来た。…だから嫁にも事件の事、俺の事をちゃんと知っておいて欲しかったんだ。」


燈というのは、引き取った女の子の名前である。


麺をすすり終えたと思ったら、大きな器を両手で持ち上げ、梓は出汁をすする。

大事な話をした後に梓の反応を見たかった辰実だが、これでは表情が見えない。



「スッキリしましたか?」

「ああ、スッキリした。」

「どんな状況で打ち明けたって、黒沢さんの事を奥さんは嫌いにならなかったでしょうと私は思いますけどね。」


秘密にしていた理由は、結局の所個人の我儘にすぎないという、下らない柵から抜け出した辰実の様子は、どこか前と違って重苦しさが無くなっていた。


防犯対策係の駒田匠(こまだたくみ)と重衛将也(しげもりまさや)が急ぎ足で食堂にやってきて、カレーを注文していたのはこの話が終わったすぐの事である。



 *


ツーブロックのオールバック、それに大柄で筋肉質の男、駒田匠。そして短髪に小柄で筋肉質の男、重衛将也。午前中にやる事が終わってしまい手持ち無沙汰な2人は、大人しく書類の整理をしていた。


同じ防犯対策係のメンバーの黒沢辰実と馬場梓は健康診断の事がどうたらで会計課に行ってしまい、片桐忍は防犯教室の打ち合わせで若松町の小学校へと行ってしまった。昼の2時、眠気がピークの時に書類整理とは、非常に業務効率が悪いのではと思いながらも、渋々2人は処分する書類を間に置いた段ボールに入れていた。



「…にしても、また"爆破事件"っすか」

分別していた書類の中には、先日に辰実と梓が出くわした辰実曰くの"地蔵ボンバー事件"が載っている新聞の一面をそのままコピーしていたものが混ざっていた。


「オープンテラスのカフェじゃったけ良かったものの、これが屋内じゃったらレスキュー隊は火の中に飛び込んどったじゃろうよ。」

人命のため世のため燃え盛る炎の中に、勇敢に飛び込むレスキュー隊の男を想像し、不覚にも重衛は"カッコいいな"と思ってしまう。


「…駒さん、消防いた時に火の中に救助行った事あったんすか?」

「商業ビルと民家が家事の時に飛び込んだ事あったわ」


駒田は警察官になる前、広島で消防士をしていた。妻の都合でT島県に移り住む事になった際に警察官へと転職し、機動隊を経て現在に至る。



「火の手が上がったら事態は一分一秒を争う事になるけえ、あの場に黒さんと馬場ちゃんがおった事は偶然にも良かったのう」


屋外であったため、驚いて逃げ出す人も多いだろうが実際恐怖を目前にすると人間は何をするか分からない。その事を駒田は身を持って知っていたからか、事態の渦中に警察官がいて、避難誘導を行った事が負傷者を出さなかった要因だと考えていた。



「しかし、ついとらんのう黒さんは。」


書類の分別ができたところで、重衛にシュレッダーを持ってこさせた駒田は段ボールに入れた"処分する"方の書類を細長い口にねじ込み、ガリガリと音を鳴らせた。


「"てぃーまが"の事すか?」

「おう。黒さんは元々"てぃーまが"の社員で、最近の事件を裏で唆しとる饗庭(あいば)っちゅう奴とは浅からぬ因縁があったハズじゃろ。」


今年の春に入って、不可解な事件が2つ程起こった。1つは、商店街の店に煙玉を投げて商品を盗んでいくという事件。もう1つは、"てぃーまが"の社員が自社の同僚を脅迫していくという事件であった。


生活安全課が関わっていた部分もあるが、いずれも刑事一課が主な担当であったために事の詳細を全て理解できている訳ではない。しかし防犯対策係は"饗庭"という男が事件を裏で唆したという証言を得たのである。


そのために行方不明となっていた"1つ目の事件"の関係者を空港で確保したところで、辰実は饗庭に対し、"悪事を全部暴いてやる"と啖呵を切ったのにそれが効いているのか効いていないのか、"てぃーまが"は白を切っているのだ。



「黒沢さん、内心残念でしょうね」


「どうじゃろうか?」


紙がバラバラに削られる音を挟んで、駒田と重衛の会話は続く。

単純に"悔しいだろうな"と辰実の心中を察していた重衛であるが、"事は単純ではない"と言いたげな駒田の様子を、下手から伺い始めた。


「あっさりと自首するような奴に、啖呵切るいうんは無いと思う」


重衛の目線が自分を向いているのは察していたが、処分する前の再確認で何を考えているのかは分からない。それでも話せば聞くだろうと思い駒田は話を続ける。


「それに、白を切ったとしても"てぃーまが"の饗庭が"舘島事件"の事を追っとる限りは、どこかで鉢合わせするハズじゃ。」


分譲マンションの見学会に日本刀を持った男が乱入し、23人をその場で殺害した事件。内容が内容なだけに謎が多く、3年が経った今"てぃーまが"が追っている理由が分からない。


しかし追っているとするならば、饗庭の悪事を追っている辰実と、辰実が関わった事件を追っている饗庭は必ず遭遇する事は分かる。



(…ほいじゃが、それだけじゃない気はする。黒さんと饗庭にはもっと因縁じみたモンがあるハズじゃ。)


駒田にふと浮かんだ懸念、それを重衛に話さないままシュレッダーの音が消え処分するハズの書類が入っていた段ボールの中身は空になっていた。


外を見るともう夕陽が差し込んでいて、終業の時間はすぐそこまで来ている。












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