ダイニングあずさ
(ここまでの話)
警察官の黒沢辰実は、妻の愛結と海の見えるカフェにデートで来ていた。注文をした"塩こうじチキンとライ麦のサンド"を食べようかと思った瞬間、カフェに置かれていた地蔵達のオブジェが爆発。せっかくのデートが台無しになってしまった!
*
先述の通り、由々しき事態である。
地蔵は爆発し、せっかくのランチは犠牲になるわ、デートは台無しになるわ、オーシャンビューが爆炎と悲鳴の地獄絵図になってるわで散々になってしまった。
(人のデートを邪魔するとは)
と、言いたいところだが、まずはカフェにいる客と店員を全員避難させ、"人命の安全"というのを確保しなければならない。
「愛結、先に避難して110番しておいてもらえるか?」
「いいけど……辰実はどうするの?」
愛結は、不安そうな表情をしていた。"その表情もイイ!"なんて思ってしまうが今はそんな歯の浮いた事を言っている状況ではない。
どうしてか、辰実だけはそんな野暮を考える余裕があった。
「俺は警察官だ、自分が先に逃げるわけにはいかん」
不安そうであるが、愛結は辰実の意思を汲み取り頷いた。…そして近くの人に"安全な所へ逃げましょう"と声をかけながらも急ぎ足でオープンテラスから離れだした。
「オープンテラスにいる人は全員、駐車場の辺りまで逃げて下さい!まだ爆発する可能性があります、早く!」
オープンテラスの真ん中辺りに立ち、その場にいる人の注目をひく形で辰実は周囲の人々に避難を促す。…そして、急かされるようにオープンテラスにいた若い男女や30代くらいの夫婦、子連れと一気に逃げ出していく。
…しかし、中には逃げ遅れた人もいる。
突然の恐怖、状況がよく分からない中で恐怖に駆られ、上手く行動できない人だっている。2歳ぐらいの男の子を連れていた母親は、爆炎を前に足がすくんで地面にへたり込んでいた。
耳の奥を針で刺されるような泣き声に紛れ、重厚な爆発音が聞こえる。
「くそったれ!」
気付いた辰実は、後ろにいた母親と子供が座り込んでいる場所、親子が利用していただろう近くの木製テーブルを蹴り倒す。再度の爆発により飛来した石の欠片から、倒れたテーブルが盾となり親子に当たるのは防がれた。
そんな状況をあざ笑うかのように、燃え上がる炎を辰実は睨む―――
とにかく、この親子を安全な場所に避難させなければと思い息を吐く。
「大丈夫ですか?」
思わぬ救援か、件の母親とは違う"別の女性"の声。
黒髪団子頭で、甘くもなくあっさりでもないが、綺麗な顔立ちをしている。目立ちはしないが、それでも綺麗だと言われるぐらいのその顔に辰実は見覚えがあった。
黒い長袖のTシャツに、紫色のオールインワン。そして黒のスニーカーという"私服姿"は、いつも見ている様子とは違っている。
"早く逃げて下さい"と、母親を我に返らせ、子供を抱いて一目散に走らせた彼女は、辰実の方を向く。馬場梓(ばばあずさ)、彼女も警察官、辰実の部下で相方にあたる。
「店にいた人は全員避難させました。店員には119するよう言ってあります。」
「ありがとう。オープンテラスの方もさっきの親子で最後だと思うが…」
辰実は、辺りを見回す。さすがにこの状況で、物陰に隠れたりしている人がいるのを見過ごして自分達が先に避難する訳にはいかない。
「手分けして、オープンテラスに逃げ遅れた人が残ってないか確認しよう」
「分かりました。」
2人は丁寧に、オープンテラスの席という席を見て回る。もう逃げ遅れはいない。
「110番の方は、うちの嫁に頼んである。もう暫くすれば、刑事が血相変えて乗り込んでくるだろう。」
こんな状況でも、飄々とした物言いができるというのは辰実の余裕である。慣れてくるとこれが純粋に凄いと思ってしまえるのだ。
「……災難でしたね」
先に"はぁ"と溜息をついた後、燃え上がる炎を見つめながら梓は呟く。
「嫁とのデートが台無しだ」
「そんな事を言えるのが羨ましいです」
「馬場ちゃんも、すぐにいい人見つかるさ」
"だといいんですけど"と吐き捨てた梓の横顔には、辰実のフォローに対する嬉しさが若干にじみ出ていた。辰実はそれを知っているかどうかは分からない。
「やってくれるよな、本当に」
自分の席に置かれていた、グラスに入ったコーラを飲む辰実。氷は解けて味は薄くなって炭酸も弱くなってしまっていた。本当なら淹れたてのシュワシュワを楽しんでいるハズだったのに、どこかコーラの味は悲しく思えた。
梓は、燃え上がる爆炎をじっと見つめている。…ずっと若松に住んでいた、それに多少の"正義感"を一般人程度に持っているのであればこんな事は腹が立って仕方ない。
「…さて、ずらかるぞ。」
刑事に事情聴取されては、更にデートが台無しになってしまう辰実は、梓を連れて誰もいなくなったオープンテラスを後にした。
*
若松町に新しくできた、オープンテラスのカフェで起こった爆発事件は、その日の夜のローカルニュースでも大きく取り上げられた。
まるで他人事のようにそのニュースを捉えていた辰実は、若松町の中心にある"若松商店街"の一角に立地している居酒屋、"ダイニングあずさ"で愛結と飲んでいた。
「本当に、怪我が無くて良かったわ」
避難し、辰実を待っていた愛結はどうやら気が気では無かったらしい。
"怪我人はいませんでした"という、原稿そのままの読み上げに彼女はほっとしていた様子であるが、"ここから"の事を考えると辰実はそっちの方を懸念していた。
出されたジョッキサイズのコークハイを飲みながら、辰実は愛想笑いをする。散々に事件を扱ってきて、これぐらいの爆発など物の数ではないと言いたげな様子。
「大丈夫ですよ。ご主人さん、すごく冷静でしたし。」
「…それは、分かってますけど。」
赤ワインを口に含み、厚切り牛タンの塩焼きをひと切れ口に入れた愛結に、カウンターで店番をしている梓は、梅酒を飲みながらそんな事を言った。
「ところで、貴女は主人とどういう関係で?」
よくよく考えれば、自分の目の前にいる居酒屋の女の子が、辰実の事をよく知った体で話をしてるのが分からなかった。
「俺の部下だ。」
「部下?」
辰実の言っている事が、愛結にはよく分からない。
「警察官なんだよ、この子は。この店の娘さんで、たまにこうやって店番してるんだ。」
"家がやっている居酒屋を手伝っているだけで、実際は警察官で辰実の部下だ"という事を愛結は理解したようで、"いつも主人がお世話になってます"と愛結は頭を下げた。梓も、"こちらこそお世話になってます"と頭を下げる。
注文していた鯛の刺身と、2杯目のコークハイがカウンターに置かれる。新鮮な刺身は脂が乗っていて美味しく、辰実は昼間の事なんてもうどうでもよかった。
(どうしよう、本物の"蔵田まゆ"だ…)
"蔵田まゆ"、本名:黒沢愛結の本業は雑誌編集員であるが、実際はグラビアアイドルとしての印象が強い。梓も大学生の時からのファンで、本当は編集員だという事は知らなかった。
梓は、ソワソワしている。
「最近、動画観ました、"水着で猫を洗ってる"のを。」
確か、愛結が勤務しているローカル誌の編集社、"わわわ"が発信している"わわわグラビアch"の企画であった。
「観てくれたんだ…、嬉しいけどちょっと恥ずかしい」
応募で選んだ"お風呂ギライの猫"を水着姿の愛結がお風呂に入れてあげるという内容のものであったが、猫は泡まみれで暴れるわ、愛結は泡まみれになるわ、ポロリは出るわの大惨事となっていた。
…家で猫の世話をしていなければ、どうなっていたかと思うと中々に"わわわ"はギリギリを攻めようとしてくれる。
「何でもやりますよね、本当に何でも。おっぱいで瓦割りに挑戦したり、大食いに挑戦したり…。もっと華やかなのを想像してました。」
雑誌のグラビアを飾っている"蔵田まゆ"は、本当に綺麗な女性だと梓は思っている。
「やっぱり、そう見えちゃう?」
「そう、見えちゃいます」
人を振り回すのが上手いのも、愛結の魅力だろう。いつもは自然に"振り回される"側なのだが、梓がキョトンとした表情をしているのに対し愛結がにっこりとしている様子を見て、辰実は事の次第を改めて感じた。
「可愛い子とか綺麗な子って沢山いるし、"綺麗な事しかやらない"よりも、色んな事やって、楽しんで…。そうしないと"仕事"にならないの。」
誰もが食うか食われるかの世界を生きている。確かに、"とんでもない美人"であるが、芸人張りに身体を張って色んな事をする愛結は、どこか惹かれる所があった。
空いたグラスを片付ける、乾いた音が聞こえる。
「話、変わるけど"警察官だって"大変じゃない?昼頃にあんな爆発が起きて、今頃新東署の刑事さんは血眼になって犯人を捜してるわよ。」
大変と言えば、これからそうなるだろう。梓にとっても他人事ではない、このような犯罪が一度行われてしまえば、堰を切ったように町のモラルが低下する。…それがまた別の事件を呼び起こすのだ。
…週明けに仕事をしに署へ行けば、署長がそんな事を熱弁するのだろう。
「今考えても仕方ないさ。1つずつ解決していけばいいんだよ」
傍らで愛結と梓の話を聞いていた辰実は、6杯目のコークハイに差し掛かった。
もう何も食べ物をつままず飲んでいる様子は、ただただコーラの味がすれば何でもいいと訴えているようでもある。
「私も、来週から頑張ります」
「日頃から頑張ってるのにこれ以上頑張ったらオババになるぞ、適度にな」
"なりませんよー"と梓は茶化す。
(しかし、嫌な予感がするのも事実だ)
偶然にも辰実のデートを台無しにした爆発事件。新東署に赴任する日の前日、若松商店街で偶然にもまた別の事件に遭遇していた。
"事件"を目の前で目撃する事が、ここ最近で2回もある。
彼は嫌な予感ほど信じるタチで"この偶然"を不吉な予感に捉えていた。
(1つずつ解決していけばいいんだ、冷静に)
さっき梓に言った言葉は、実は自分に向けて言いたかったんじゃないかと、そんなアイロニーを、最後のコークハイと共に辰実は流し込んだ。
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