第597話  ヒルコ?

 皇都からほど近い水場の片隅に、その不定形生命体は存在していた。


 この世界では、その存在があまり知られていないだけで、かなり古くからその種族は存在していたらしい。

 その生命体を構成している成分の、9割以上が水分である。

 動物の様な筋組織は持ち合わせていないため、体内組織の水分量を調節し水圧により身体を動かすのだが、その動きは非常に緩慢である。

 半球状の身体の裏側には、非常に長い無数の触手を持ってはいるが、触手自体には獲物を捕まえ拘束する様な力は無い。

 偶然にも接近してきた獲物に絡みつき、それが持つ唯一の武器である毒針によって、獲物を麻痺させて捕食する。

 脳や血管らしきものは、確認出来ない。

 寿命は数十年から数百年とも言われてはいるが、定かでは無い。

 食性は肉食ではあるが、長期間獲物が取れない場合は、植物などでも食べる事も有るらしい。

 ほぼ生物の生存本能のままに生きているらしく、同種族同士であっても、捕食し合う事もあるという。

 解剖や標本の為に捕まえた生体は、乾燥に弱く長期間乾燥させると、縮んで小さな蕾の様になる。

 だが、水を与えると、また元の姿へと戻る。

 繁殖方法は、どうやら自己分裂であると思われるが、実際には確認出来ていない。

 餌が無くとも、水分が無くとも、長い期間耐える事が出来るが、体組織を一気に焼き払う様な炎であれば死滅する。

 つまり、古の時代より謎に包まれていたこの生物の研究においては、ここに特記すべ新しい発見は無い。

 水場の近くや深い森の中、背の高い草に覆われた草原など、地面が十分に湿り気を帯びた場所でこの生物を発見したら迷わず逃げるか、一気に生体を消滅させるほどの強い火力で焼き殺す事しか出来ない。


「多分ですが…私が読んだことのある昔の文献に載っていた生物ではないかと思います」

「何だか弱いのか強いのかわかりませんわね…」

 マチルダが持つ知識の中から、該当する生物に元も近い物を引っ張り出してもらったのだが、それを聞いたメリルの感想はますます疑問が深まるばかりだというものった。 

「なるほど…半球状の不定形に近い生命体って事か」

 俺は、話を聞いた限りだと完全な不定形生物だと思ったんだが、どうもマチルダの分析では違うらしい。

「ええ。もしも不定形な生物…例えばスライムでしたら、確かに色々な姿や形になれますが、大きさには限界があります」

 ほむほむ…

「野生のスライムでしたら非常に外皮は薄いので、体内の組織が肥大すると、それを支えきれずに…」

「破裂するのか」

 マチルダの話の内容から、俺がそう答えると、

「その通りです。ですから一般的な野生のスライムでしたら、最大高は人の腰ぐらいまでです」

 ふむふむ…その程度の大きさなのか。

 いや、それでも出合ったら怖いだろうけ…ど…ん?

「野生の?」

「はい。モフリーナさんのダンジョンで改良されたスライムであれば、この限りではありません」

 そりゃそうか。

 スライムの弱点なんて、きっちりカヴァーしてるはずだもんな。

「んで、そいつって何?」

「文献によりますと、通称は山クラゲとか森クラゲと言われていますが、正式名称はヒルコです」

 まさか、両親の名前は伊耶那岐命と伊耶那美命じゃあるまいな?


 そうだ、そう言えば…

『モフリーナ? ちょっと来れるかな?』

 通信の呪法具で、話題に上ったダンジョンマスター・モフリーナを呼び出す。

『はい、如何なされましたか?』

 出るの早いな…待ってたのか?

『いや、ちょっと緊急事態で力を借りたいんだ…さっき別れた所まで来てくれるかな』

『はい、少しお待ちください』

 お待ちくださいと聞こえた直後に、目の前にモフリーナが現れた。

 いや、全然待ってませんけど!?

「どうなされましたか?」

 そう尋ねるモフリーナに、これまでの概略を伝えると、

「ん…確かに、領域を伸ばすと、この街の向こう側に何か大きな異物が…」

 目を閉じたモフリーナが、領域を広げているのか、探索の為の何かをしているのかは分からないが、問題の奴を見つけた様だ。

「何でしょう…良く分からないものが確かに居ますね…あ、地中にも身体がある様です…」

 地中にも体が隠れてるって事は、予想よりも遥かにデカいかもな。

「ん~…もしかして、そいつをダンジョン領域まで引っ張り出したら、モフリーナが処分できるかな?」

 だったら楽なんだけど。

「あれを何処かに飛ばしたとして、その先で何が起こるか予測できないので、出来れば止めたい所なんですが…」

 確かにそんな奴を懐に入れたくはないだろうけど。

「例えば、ダンジョン島まで続く海の上の領域に放り出すとか」

「あれは、海で溺れ死ぬんですか?」

 ………そうだった、死ぬわけ無いよな。

「ええっと…トール様、モフリーナさん。海の上ではまず死なないかと。それよりも分裂して繁殖されたりでもしたら…」

 マチルダが言い難そうに言ったが、つまりは海がそいつだらけになるって事か…


「んじゃ、やっぱ俺たちで何とかするしかないって事か…はぁ…」

 今度は巨大スライム? クラゲ? 

 もう、マジでいい加減にして欲しい…きくらげなら食えたのに…  

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