第216話 騙されません!
眼前に蒼々と命の水を湛え広がる美しいネス湖。それを擁するトールヴァルド地区を囲む山々。まだ陽も昇らぬこの時間帯は、春ももうすぐそこまで来ているとはいえ、肌を撫ぜる風はまだ冷たく、眠りから覚醒したばかりの僕の心に染み入る様だ。
ん~…何かポエムっぽくね?
え、意味不明? お前、アホかって? 僕ってなんだよ、気色悪いぞ…だと?
いいだろ! たまには、そんな気分になるんだよ!
まだ皆が起きだす前に、そっとベッドを抜け出して来た俺は、1人でこっそり王都まで飛んで行く事にした。
だって、起きたら絶対に連れてけって五月蠅いの分かってるもん。
たまにゃ、ゆっくりと1人になりたいときもあるのさ…男にはね。
そんなわけで、ホワイト・オルター号、カモーンぬ! あ、そっとね、そっと。
しずしずと近寄って来たホワイト・オルター号のキャビンへと、こそっと乗り込みます。
今回の旅のお供は、ブレンダーとクイーン&ファクトリーでお寝んねしてる兵隊蜂君達です。
ささ、みんなに見つかる前に飛び立ちましょう!
ホワイト・オルター号は、そもそも機械類の駆動音も無いし、ほぼ無音なんだけど、なにせ図体がでかいので、離着陸や飛行中に押し退ける周囲の空気の量が半端じゃなく、そのせいで結構な風が吹いてしまう。
なので飛行船自体が無音であっても、周囲の樹木や建物などが騒めいたり微振動を起こしてしまう。
だから、そっとそっと上昇しなければならない…寝ている屋敷の皆を起こさないためにも。
とは言っても、ドワーフメイド衆はすでに起きて働いているのだが、しーーー! って言ったら、苦笑いして送り出してくれた。
屋敷の屋根よりも高くまで上昇したので、ほっと一息つき、操縦席から下を見ると…屋敷の庭に婚約者~ずが勢ぞろいして、ものすごく怒ってるのが見えた。
あ、屋敷と俺の直通の通信の呪法具鳴ってる…出るの怖いなぁ…下見たら、持ってるのメリルだし…
『もすもす…』
『トール様! 何で1人でこっそり出かけるんですの!?』
耳がキーーーンとした、キーーーンって!
『いや、みんな今回の騒動で大変だったし、疲れてるかなぁ~って…』
『そんな事ありません! 黙って出て行くなんて…もしかして浮気ですの!?』
は…?
『いやいやいやいやいや…何でそうなるの?』
『王都に女を囲ってるんですの? どこの女ですか!? 絞めに行きます!』
『居ない無いから! そんなの居ないから!』
『だったら何故黙って行くんです!?』
『今回は議会に参加しに行くだけだから、皆には休んでもらおうと…』
ごにょごにょと、何やら法具の向こうで話してる声が…何を話してるんだ?
『いつ帰ってくるんですの?』
『ん~4、5日ぐらいで。議会が終わったら、父さん達を家まで送ってから戻るよ』
ごにょごにょ…何を話してんだろ?
『そうですか。では、お義父様の御屋敷で、お帰りをお待ちしております』
何故に父さんの屋敷で…?
『お義母様に、王都でのトール様のご様子をお聞きしなければなりませんから。当然、王都ではお義父様の別邸にご宿泊のご予定ですわよね? ま・さ・か、お1人で、ど・こ・か・に遊びに行こうなどと考えてませんわよね?』
…せっかくの成人扱いなんだし、こっそり綺麗なお姉さんの居るお店に行ったりしたら…俺が絞められるんだろうな…
『も、もちろんだよ! 僕はお仕事しに行くんだから…そんなに疑われるなんて、ちょっと悲しくなるなあ…』
情に訴えれば…
『そ、そうですわよね! ごめんなさい…疑ったりして。お仕事頑張ってください。早く帰って来てくださいね』
ふっふっふ…やっぱチョロかった!
『分かってるよ。終わったらすぐに帰るから、みんな、待っててね』
呪法具からは、気を付けて~とか、早く帰って来て~とか、みんなの声が聞こえる。
うん、良かった…誤魔化せたかな…いや、別に誤魔化したわけじゃない。ただ1人の時間が欲しかっただけだ。
王都へは仕事に行くんだから、何もやましい事は無い! 本当だよ?
通信の呪法具を切って、本日2回目のほっと一息。
よし! 静かになった事だし、のんびり惰眠を貪るべ。
その頃、トールヴァルド邸の裏庭では…
「トール様、きっと1人でどこかに遊びにいくつもりでしたわよ!」
メリルが断言していた。
「そうか? 本当に仕事じゃないのか?」
「イネスさんは、甘々ですわ! 会話の中で"僕"とか言ってました。あれは、間違いなく何かを誤魔化そうとしている証拠です」
「私もメリルさんに同意です! トールさまは、やましい時には、必ず"僕"と言います!」
「さすが幼少から側に居るだけのことはありますね、ミルシェは。でも仕事は本当だと思いますよ。帳簿類を持って行ってますし」
「マチルダさんの仰ることも良くわかります。しかし、議会は昼間だけです。夜に付き合いのある貴族達と、綺麗なお姉さんのいるお店に繰り出す可能性は十分にあります。ですから、お義父様の別邸に宿泊される様に誘導しました。これで。お義母様の目がありますから、そうそう遊びにも行けないはずです!」
「あの…みなさん、トールさまを、もう少し信用してあげても…」
「いいですか、ミレーラ。殿方というものは、つい魔が差す事もあるのです。私達がお手付きになった後でしたら、多少は大目に見ますが、まだトール様は私達の誰にも手を出されておりません。きちんと釘を刺しておかないと、もっと婚約者が増えるかもしれないのですよ? あなたは、それでもいいのですか?」
「あ、あの…いやです…」
「そうでしょう、ミレーラ。もうトール様の妻は5人で十分なのです!」
メリルの熱弁に、婚約者~ず一同、頷くしかなかった。
「トール様の事です。あの通信で私達をうまく丸め込めたと思ってるでしょうが、騙されません! 4日後にはお義父様の御屋敷で、帰りを待ちますわよ! そしてお義母様から王都での行動を逐一お聞きするのです。良いですね!?」
「「「「はい!」」」」
王女で第一夫人となるメリルは、当たり前だが、婚約者~ずのリーダーであった。
トールヴァルドが空で惰眠を貪っている時、彼の屋敷の庭でこの様な話がなされていたとは、夢にも思わなかっただろう。
そして、もし本当に遊びに出ようものなら…恐ろしい未来が待っている事になる。
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