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 週始まりの月曜日、霞ヶ関で、酒井と蒲田が、相次ぐ予定変更と急な依頼に右往左往していた、その同じ頃。午前の客足が一段落し、昼休憩に入った日販プリンス東京中野営業所。北条柾木は、出勤途上で買ったコンビニのチキンカツ弁当を昼休みにぱくつきながら、何やら文章を懸命にパソコンに打ち込んでいた。

 なんとなれば、北条柾木は、肉体とオートマータの感覚の差について、可能な限り詳細にレポートしてくれるよう、緒方いおりに懇願されていたのだった。


 こんなに違ってたなんて、全然気付いてなかったな。北条柾木は、昨日、自分の肉体に戻って以降の事を思い出しつつキーボードを叩く。あの時、自分の肉体に戻った直後、西条玲子が銀座アスターで買ってきた五目焼きそばをおかずに玲子が炊いたという米を食べた時の衝撃と言ったら。同じものを過去に数回、オートマータの体であった頃にも食べている――米は玲子の炊いたものではないが――のだが、本当に同じものだとは信じられないくらいに味覚の深みが違っていた。

 それを皮切りに、マンションに帰ってからの夕飯のコンビニ弁当の味も、いや、味覚だけでなく、シャワーを浴びた時の湯の感触、今朝の出勤時に表に出た瞬間の肌を刺す寒さ、通勤電車のむっとする人いきれ、そして今食べている(またしても)コンビニ弁当。

 オートマータの体であった時に比べると、まるで、感性が一枚ベールを剥がされたかのような感覚。これが、生身の、本来の感覚だったのか。北条柾木は、改めてその落差に驚きつつ、可能な限り具体的かつ定量的にそれを伝えられるよう、苦労してテキストに書き出していた。


「なにしろ、オートマータをこんなに長い期間、完璧に運用出来た人は初めてなんです」

 昼食後のお茶を飲みながら、緒方いおりはそう語っていた。

「そもそもが、今まで実験に協力してくれた方は、良くて体性感覚の七割、相性が悪いと一割もシンクロ出来なくて。まして、運動機能に至っては、まともに歩けた人は殆ど居なかったんです」

 カモミールのハーブティーをすすりながら、いおりが回想する。

「なので、ほぼ完璧に運用した北条さんのデータは非常に貴重なんです。というか、なんでこんなに完璧に運用出来たのか、今そこを解析中なんですけどね」

「理由が、分かりませんの?」

 半笑いで言ったいおりに、玲子が質問する。

「仮説なら。北条さんの、所謂霊的不感症体質が、肉体からエータに意識を移行する際に発生するいろいろな障害をすり抜けたんじゃないか、とは考えてます。この仮説ベースに検証中なんですが、エータに意識を移行するのに何らかの障害があるって前提が今まで無くて、それを確認し直さなければいけないのと、そもそも霊的不感症体質を詳細に定義しないと仮説を立証する方策も立てられないので、正直、どっから手を付けたものか、計画を立てているところです」

「俺の体質って、そんなに変なんですか?」

 いおりの説明を、半分程度は理解出来たつもりの柾木が質問する。

「変というか、定義出来てないんです」

 いおりは、あっさりと答えてから、説明を始める。

「まず前提として、人によって、霊的に敏感だったり鈍感だったり、非常に感受性にバラツキがある、これは確かです。その原因ですが、ボクは錬金術師で、系統としてはカバラの秘術を修める者なわけですが、その立場から言うと、守護霊の傾向によるものが大きく影響する、と考えられてます」

「守護霊、ですか?」

 柾木が聞き直す。

「背後霊、って言い方の方が一般的ですかね。他の系統の術式でもそういう説明がされていることが多くて、要するに、守護霊が強ければ、ちょっとやそっとのノイズには影響されない、つまり、良くも悪くも、霊的に鈍感になる、という事です」

「……確かに、私たちもそういう説明をすることが多いわね。その方が、普通のお客さんに分かりやすいもの」

 いおりの説明に、青葉五月が同意する。

「ですが、そもそもこの守護霊、背後霊とは一体なんぞや、というところが問題なんです。確かに、精霊の加護を得ている方は存在します。けれど、そういう方はそれなりの修行を経てその加護を得ていて、明確に守護して頂いている精霊の属性も分かってます。これに対して、一般の方はそうではない、まあ、浮遊霊なんかに取り付かれている人もたまに居ますが、青葉さんは、そのあたりの経験があると思いますが、殆どの人は、守護霊あるいは背後霊の属性、あるいは本人との関連性を明確化出来ないんです」

 言って、いおりは五月を見る。

「……確かに、殆どの人は「後ろの人」が誰だかはっきりしないものね。まあ、たいがいは「先祖の誰か」って事にして納得して貰ってるけど……」

 五月が、ちょっとバツが悪そうに言う。

「それって……」

「いいのよ、お客さんが納得すれば!」

 突っ込もうとした柾木を、五月が制する。

「それで、柾木様の場合はどうなってますの?」

 玲子が、先を促す。

「そこです。北条さんの場合、所謂守護霊の強さ理論では説明がつきません。無感症なだけなら、極端に守護霊が強いと考えても良いのですが、その場合、今度はエータに意識を移植する際に、抵抗が大きくなりすぎたはずなんです。実は、ボクが最初に北条さんに目を付けた時の決め手が、キルリアン・スペクトルFFT値から見た移植抵抗パワー指数の低さだったんです」

 柾木は、なんだかもう話について行けていない。

「北条さんの特徴は、障壁が強くて影響を受けないのではなく、色々なものが素通りする、そんなところにある感じです。例えるなら、傷みを感じづらく、麻酔も効かない、みたいな」

「……なんか、単純に、ものすごい鈍感、って言われてる気がするんですが……」

「実際、そんな感じです」

 柾木は抗議したつもりだったが、いおりはあっさり認めてしまう。

「理論的には、これだけ鈍感だと、抵抗値は猛烈に高いはずなんですけど。ただ、結果オーライで、エータの運用には非常に適した特性ではあったわけです。そのあたりの詳細分析が出来れば、これからのオートマータの運用に応用できるかもしれません」

 うれしそうに、いおりが言う。

「……その、柾木様の体質の、弊害はございませんの?」

 玲子が、改めて聞く。

「とりたてて、なさそうだと思います。半端な結界だと気付かず踏み込まれるとか、呪術の類いが効きづらいとか、そう言うことはあると思います、というか実際起こってますけど」

「確かに」

「そうでしたねぇ……」

 いおりの答えに、結界の呪符を全く意に介せず剥がされた事のある五月と、屋敷の結界を軽く突破された井ノ頭菊子が同意する。

「まあ、不浄な場所に気付かず入っちゃう可能性もありますけど、その分、呪詛の類いも効きづらいはずですから、むしろ良い事じゃないかと思いますよ?」

 いおりは、笑ってそう言った。


 週始めの月曜日、北条柾木は若干の残業をしてから帰路に就く。エータ、ギリシャ文字で8番目の文字を名に持つオートマータの体に入っていた時は、どんなに残業しようが疲れを感じることはなかった。だが、今は生身の肉体、残業疲れすら愛おしく感じ、西武新宿線田無駅前で夕食に食べた背脂ギットギトの家系ラーメンも、軽い疲れが絶妙の調味料になり天上の美味と感じる。

 そのくらいに舞い上がった柾木は、だからなのか、それとも、元から持った霊的無感症の為なのか。

 北条柾木は、彼を追跡し、彼のマンションと部屋番号を確認した影に、気付くことはなかった。

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