服がない

尾八原ジュージ

服がない

「とにかく顔はよかった」


 マヤさんはそう言った。彼女が以前付き合っていた彼氏のことである。


 当時、マヤさんは20代後半、彼氏は3歳年下だった。


 彼氏はわりと可愛い系統の顔だった。ほっそりとした輪郭。大きな二重瞼の目に、すっと通った鼻筋。小さめで形が整っていて、女の子みたいな唇。肌がきれいで髪もサラサラだった。


「でもスタイルはあんまりよくなかったな。ちょっと撫で肩過ぎたし、脚もあんまり長くなかったし。声もちょっと特徴的っていうか、イケボではなかったなぁ」


 常々、もったいないなぁと思っていたそうだ。


 顔の良さが災いしたのか、母親と3人の姉に甘やかされた彼氏は、とにかく堪え性がなかった。仕事で小さな失敗をしたり、人間関係でちょっと躓いたりすると、すぐに転職してしまう。それを繰り返してワープアになった挙げ句、彼はマヤさんのマンションに転がり込んできた。


 安住の地を確保し、仕事をしなくなった彼氏がやってくれることと行ったら、毎日の風呂掃除だけ。生活費の負担も、その他の家事も全部マヤさんがやっていた。


 でも超面食いの彼女は、彼がマンションにいて、ニコニコしたりハグしたりしてくれるだけで幸せだった。




 ある日、状況が変わった。マヤさんが仕事で留守の間、彼氏が出会い系で引っ掛けた女の子を、マンションに連れ込んでいたことが発覚したのだ。


 いくら「男は顔がよければいい」と主張するマヤさんでも、ヒモの分際で浮気は許せなかった。自分が寝ていたベッドの上で行われていたことを想像すると、全身に鳥肌が立った。


 彼女は土下座する彼氏を罵倒し、剥がしたシーツとベッドパッドを脱げつけた。


「弁償しろよ! ベッドも全部! 金がなきゃ作れ!」


 シーツの上から何回か踏みつけると、マヤさんはお化けの仮装みたいになった彼氏を、マンションから叩き出した。




 浮気現場になったベッドで寝るのが嫌だったマヤさんは、その夜、クッションを床に並べてその上で眠った。


 夢を見た。


 マンションのバスルームで、床に横たわる彼氏の首を、鋸で切り落とす夢だった。夢の中なので、カステラを切り分けるみたいに簡単に切れた。


 首なしの胴体には何の魅力もなかった。やっぱりこいつは顔だけの男だったな、などと考えながら、マヤさんは彼氏の首を眺めた。


 両目を閉じ、穏やかな顔をしていた。


「かわいいねぇ。かわいいかわいい」


 赤ちゃんをそうするみたいに生首を撫でると、手についていた血が白い頬にべっとりとついた。これはいけない、と思った彼女は、血まみれのバスルームを出て、洗面所で手を洗った。


 そのとき、ドアの閉まった浴室の中から、


「あ~、服がないんだよなぁ~」


 という彼氏の声がした。


(首とれてんのに、服の心配してる場合かよ)


 やっぱあいつ顔だけだな、と改めて思ったところで、目が覚めた。




 次の日、彼氏の家族から連絡があった。


「遺品をとりに伺いたい」と言われた。


 元彼は追い出された当日に、さほど遠くないところにある解体間近の団地の廃墟で、建物から飛び降りて自殺していた。


 遺族がくどくどと語った話によれば、落下中に二階に渡してあった鉄板にぶつかったらしく、首が千切れて枯れた植え込みに落ちていたそうだ。


 昨夜見た夢のことを、嫌でも思い出した。


(なにそれ。私のせいで死んだって言いたいわけ?)


 マヤさんはひとり、悶々と考えた。


 彼氏とその荷物がなくなった部屋は、やけに広く思えた。


「あーあ、今日から自分でフロ掃除かぁ」


 一人言を言いながらバスタブを洗っていると、背後から


「服がないんだよなぁ~」


 と、聞き慣れた声がした。


 マヤさんは慌てて振り向いた。誰もいない。


 彼女はバスルームから飛び出すと、貴重品を持ってマンションを出た。


 その日は友達の家に泊めてもらったという。




 マヤさんは、まだその部屋に住んでいる。


「何もなくはないよ? でも、たまにバスルームから声がするだけだからね」


 彼氏が何で服の心配をしているのかは、未だに謎だ。

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服がない 尾八原ジュージ @zi-yon

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