第119話 アレク、夕日を眺める

 アトランティス諸島の五日目。ボク達は午前中に景品交換を終え、昼食後に乗船した。


 ボクが手にした品は、マント、ブローチ、ネックレスの三つ。ネックレスは、アンリエッタへのプレゼント用である。


 ……余談だが、景品交換時のセスがウザかった。しきりに指輪を勧めて来たのだ。流石に後が怖くて、指輪の交換は止めておいたけど。


 そして、仲間達も無事に新装備を入手していた。魔石百五十個を稼いだのは、ギリーとアンナ。ギリーは弓とマント。アンナは杖とブローチを手にしていた。


 ルージュ、ロレーヌ、ギルは、稼いだ魔石が百個だった。ルージュは盾。ロレーヌは短剣。ギルはナックルを交換した。


 そして、ドリー、グラン、ハティは魔石二百個に到達していた。ドリーとグランは剣とバックラー。ハティはナックルと胸当てを交換している。


 ドリーとグランは執念で稼ぎ切った感じだ。そして、ハティは最後のボス狩りで、一発逆転した感じだった。


 ……ハティの件は冷や冷やしたけど、喧嘩にならなかった。ウチのクランは、メンバー間の仲が良いからね!


「……ふう」


 そして、今のボクは夕日を眺めていた。船のデッキでベンチに座り、一人で感傷に浸っていたのだ。楽しい旅行が終わってしまったな……と。


 生前のボクは、病弱で外出が難しかった。その為、旅行に出掛けた思い出が無い。学校の修学旅行等も全て不参加であった。そんなボクにとって、今回のイベントは初めての旅行なのだ。ゲームでは無く、生身の体での、初めての旅行だったのだ。


「一つ、夢が叶ったね……」


 ベッドに横たわり、何度思った事だろう。健康な体で走り回りたい。友達と一緒に、外で遊びたいと……。


 その叶わぬ夢を忘れさせてくれたのが、MMORPG『ディスガルド戦記』だった。キャラクターを操作し、広大なフィールドを駆け回った。仲間も出来て、旅行気分のイベントも行った。晩年のボクにとって、『ディスガルド戦記』こそが全てだった。


 そして、その『ディスガルド戦記』と良く似た世界で、ボクの本当の願いが叶った。健康な体で走り回れた。仲間と一緒に、楽しい旅行が出来た。それも、擬似的な世界では無く、生身の体を使ってである。


「アレク……?」


「うん……?」


 名を呼ばれ、声の主を探す。その相手はすぐに見つかった。船内への扉から、アンリエッタが姿を表した所だった。


 アンリエッタはニコリと微笑むと、こちらへ歩み寄る。そして、ボクの手前で顔を歪める。


「何かありましたの……?」


「いや、何も無いけど……?」


 アンリエッタの質問に首を傾げる。ボクはただ、夕日を眺めていただけだ。彼女の質問の意図がわからなかった。


 すると、アンリエッタは戸惑いながらも、心配そうに尋ねて来る。


「なら、アレクは何故……泣いているのです?」


「え……?」


 アンリエッタに問われ、ボクは自分の顔に触れる。すると、彼女の言う通り、ボクの頬は濡れていた。


「あ、いや……これは……」


 咄嗟の事に、ボクは言葉が出なかった。自分でも涙が出ていた事に、気付いてなかったのだ。その理由も、すぐには思い当たらなかった。


 戸惑うボクを、アンリエッタは覗き込む。そして、心配そうに再び問う。


「どこか痛かったり、悲しい事があった訳では無いのですね?」


「う、うん……。何も問題無いよ……」


「そうですか……」


 アンリエッタはホッとした表情を浮かべる。そして、何も言わずに、ボクの隣に腰を下ろした。


 ボク達は並んで座り、ただ夕日を眺めた。アンリエッタは何も話さない。ただ、ボクの言葉を待っていた。


 そして、ボクは何か話さねばと、思いついた言葉を口にする。


「あの島が楽しかったから……帰りたく無いって、そう思ってたんだ……」


「ふふっ……。子供みたいな事を仰るのですね……?」


 ボクの言葉に、アンリエッタはクスリと笑う。そして、ボクは苦笑を浮かべる。確かに彼女の言う通り、子供っぽい発言だったな……。


「でも……」


「え……?」


 掠れる様な小さな声に、ボクはアンリエッタの方へ振り向く。彼女はボクの事を見つめていた。そして、恥ずかしそうに、小さく囁いた。


「ワタクシも、同じ気持ちですわ……」


「あ、えっと……うん……」


 何と言って良いかわからず、曖昧な返事をしてしまう。不覚にもボクは、ドキリとさせられてしまったからだ。


 ボクはアンリエッタから視線を逸らす。そして、誤魔化す様に、マジック・バッグへ手を伸ばした。


「そ、そういえば、まだ渡して無かったね」


「まあ……」


 ボクは取り出したネックレスを、アンリエッタに差し出す。シルバーのチェーンに、青い魔石が付いただけの物。飾り気の無い、冒険者向けのアクセサリーである。


 アンリエッタは手を伸ばす。そして、ネックレスを受け取ると、大切そうに抱き寄せる。彼女は顔を伏せ、感謝の気持ちを口にした。


「ありがとうございます……。ワタクシはこれを、一生の宝と致します……」


「はははっ。一生は大袈裟だね」


 ボクは軽く笑う。しかし、アンリエッタはゆっくり首を振る。その顔を上げ、ボクの瞳を真っ直ぐ見つめた。


「初めての旅行だったのです……」


「え……?」


 アンリエッタの瞳を見つめ返す。彼女の瞳は潤んでいた。今にも零れそうな涙を、必死に堪えていた。


「友達からのプレゼントも……。ワタクシにとって、初めてだったのです……」


 ボクはそこで思い出す。アンリエッタが公爵令嬢である事を。本来なら高い地位にいる人間で、対等に話せる人間が少ないという事を。


「そういう……事か……」


 そこで初めて理解した。アンリエッタが何故、ボク達に同行したのか。何故、周囲を困らせてまで、我が儘を通したのかを。


 アンリエッタはマイペースだが、決して馬鹿では無い。自分の立場を理解している。自分の義務を理解しているのだ。


 だからこそ、今回を逃せば次は無い。友達と旅行を楽しむ機会など、二度と来ないと考えているのだ。


 この先、どこに嫁ぐかもわからないのだから……。


「……また来れば良い」


「え……?」


 アンリエッタは不思議そうに首を傾げる。そんな彼女に、ボクは言葉を続けた。


「楽しかったなら、また来たら良いよ。楽しい事は、これからも沢山有るはずだ。アンリエッタが望むなら、また来たら良いじゃないか」


「でも、ワタクシは……」


 アンリエッタは寂しそうに微笑む。その瞳からは、諦めの感情が滲んでいた。ボクは彼女のその顔が、何故か許せ無かった。


「父親の説得なら手伝うよ。ボク達との旅行なら、セスだって応援してくれる。……だから、そんな悲しい顔をしないでよ」


 そう、アンリエッタは、いつだって明るかった。ボクの側で、常に笑顔を浮かべていた。ボクにとって、アンリエッタはそういう存在なのだ。


 ……だから、アンリエッタの悲しい顔は見たく無かった。


 アンリエッタは、戸惑いながらボクを見つめる。そして、恐れる様に、その言葉を口にした。


「期待しても……宜しいのですか……?」


「うん、ボクに任せてよ!」


 ボクは力強く頷いて見せた。アンリエッタの不安を吹き飛ばす為に。そして、彼女の笑顔を取り戻す為に。


 しかし、ボクの想定は外れる。アンリエッタは笑顔を見せてはくれなかった。ボクから顔を背け、掠れる声で呟いたのだ。


「こんなの……ズルいですわ……」


「え……?」


 ボクはその反応に戸惑う。そして、その隙にアンリエッタは立ち上がり、何も言わずに船内へと去ってしまう。


「えっと……」


 残されたボクは途方に暮れる。まあ、あの状況だし、嫌われたって事は無いと思うけど……。


 一人残されたボクは、星の見え始める空を眺めた。既に日は大半が沈み、気温も下がり初めている。


「まあ、ゆっくり考えるか……」


 ボクには三年の猶予がある。アンリエッタとの事は、これから考えれば良いだろう。


 ――果たしてボクは、アンリエッタとどうなりたいのか?


 自分の心に問い掛けても、明確な答えは帰って来ない。その答えは、これから見つける必要があるのだ。


 ボクは少し冷えた体を抱き、船内へと向かうのだった。

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