第108話 閑話:メリッサの一日
私はクラン事務局に勤めるメリッサです。私はしばらく前まで、新人相手の窓口を担当していました。しかし、今はゴールド級クラン『白の叡智』の専属マネージャーです。賢者アレク様のマネージャーとなり、とても充実した毎日を過ごせています。
そして、今日も私は黒いスーツに身を包み、クラン事務局へ出勤します。まだ早い時間ですが、何名かは既に出勤しているはずです。
「おはよう御座います」
「「「おはよう御座います!」」」
クラン事務局へ入り、清掃を行っているスタッフに挨拶を行います。すると、彼らは元気良く挨拶を返してくれました。スタッフは全て、私の後輩の様ですね。しっかり躾をした甲斐が有るという物です。
私はピカピカに磨かれた床を歩き、奥のスタッフルームへと進みます。そして、自席の椅子に腰を掛けると、後輩の一人が資料を差し出して来ました。私は慣れた手付きでそれを受け取ります。
「ありがとう御座います。頼んだ情報は揃っていますね?」
「はい、お姉様! 頼まれた内容はバッチリです!」
後輩の返事に、私は笑顔で頷く。それだけで彼女は満面の笑みとなる。実に可愛らしいですね。
ちなみに、彼女は去年から事務局へ入った新人のミリムです。事務局の仕事は、全て私が教えています。そういった経緯もあり、私の事を先輩として尊敬してくれています。
しかし、お姉さま呼びは、最近になってからですね。それまでは、他のスタッフ同様に、先輩と呼ばれていました。そして、呼び方が変わったのは、半年前の出来事が原因です……。
ミリムは半年前に私と代わり、新人担当の受付嬢となっています。しかし、しばらく前に運悪く、調子に乗った冒険者の担当となったのです。相手は短期間で成長し、自分達を特別だと勘違いしていました。その為、クラン事務局へと、無茶な要求をして来たのです。
……まあ、結論から言えば、私が全員を叩きのめしました。彼等も今では、すっかり大人しくなったものです。そして、ミリムの親密度が上がったのも、その出来事があってからですね。
「……内容は如何でしょうか?」
「えぇ、良くまとまっていますね」
ミリムは上目遣いに私へ質問する。私は彼女へ笑顔で答えておきます。彼女は実に満足そうに微笑んでいます。覚えも早く、機転も効くし、実に良く出来た後輩ですね。
……ああ、言っていませんでしたが、私は五年前まで剣士をしていました。Lv50まで鍛えたのですが、騎士への転職を前に冒険者を辞めた過去を持っています。
何故なら、この国で騎士になると、軍に所属させられるのです。それでは自由な冒険が出来ない為、当然ながら辞退しました。転職直前で知らされたのは、今でも腹が立ってしまいます。
賢者様との冒険を夢見て、あそこまで鍛えたというのに……。
「お姉さま、どうかしましたか……?」
「えぇ、少し気になる事が……」
ミリムは目敏く質問して来る。私が一枚の資料で手を止めた為です。資料の内容は、ミスリル級『黄金の剣』の活動レポートについて。
「最近は活動が鈍ってますね……」
「はい、天竜祭事件からですね。気になる様でしたら、詳しく調査致しましょうか?」
ミリムは意気込んで提案してくれる。やる気を折っても悪いですしね。折角なので、頼む事にしましょう。
「それではお願いします。……ただし、相手が相手ですので、深入りはしない様に気を付けて下さい」
「はい、承知致しました!」
まあ、探りを入れたからと、危害を加える相手ではありません。機嫌を損ねさせなければ、特に問題は無いでしょう。
それに、仮に機嫌を損ねる事態となっても、いくつかの弱みは握っていますしね……。
私は気持ちを切り替え、再び資料に目を通します。気になる情報としては、ヴォルクスに人の流れが増えている事くらいでしょうか?
領主様が警備を増やしているので、今の所は問題が起きていない様です。しかし、長い目でみれば、対策は打って置いた方が良いでしょう……。
私はチラリとミリムを見上げる。彼女は小首を傾げ、不思議そうに見返して来た。ふむ、可愛い後輩の為に、一肌脱ぐとしましょうか……。
「局長は出勤済みですね? 少し、話をして来ます」
「はい、行ってらっしゃいませ!」
私は席を立ち、二階の事務局長室へと向かう。ミリムは手を振って、私の事を見送ってくれました。
「えっと、メリッサさん……予算を出せとは、どういう事でしょうか?」
「人を雇う為です。最近、冒険者が流入している事は、既にご存じですよね?」
事務局長のザックは、困った表情で私を見つめていた。私は執務机に座ったままの彼に、腕組みをしながら答えます。
ちなみに、彼は勤続三十年のベテラン叩き上げです。その歴史を感じる様に、青みがかった髪は薄くなっています。最近は心労が溜まっているのか、より光り具合に磨きが掛かっている様子です。
「えっと、それはスタッフを増やしたいって事ですか?」
「それも有りますが、用心棒も必要と考えています。流入してくる冒険者には、品の無い者達も多い様ですので……」
『双剣』の二人の様に、知名度のある者は良いのです。彼等は地位に相応しい振る舞いを行い、そこまでの無茶な要求はして来ません。
しかし、中途半端に実力の有る者達が厄介です。彼等は身の丈以上の要求を、平然と行って来るからです。そういった者達の中には、事務局員を下に見る者も多く存在するのです。
私が事務局にいる際はまだ良いです。躾と称して叩きのめせば、彼等も大抵は大人しくなります。しかし、アレク様の元へ出掛けている際が問題なのです。
私が不在の際に問題が起き、後輩に何かあってからでは遅いのです。それでアレク様の元への訪問に、制限が掛かっては困りますからね……。
「とはいえ、予算も限りがありますからね……」
ザック局長は渋い顔をしています。予算の管理は彼の仕事なので、予算を取る時にはいつも渋ります。金を引っ張るだけの仕事の癖に、実に使えない上司ですね……。
私はゆっくりと息を吐く。そして、いつもの如くザック局長へと告げます。
「アレク様からの要請とすれば良いでしょう? それで、領主様は予算を出してくれます」
「いや、ちょっと前にも使った手ですよね? 流石に領主様も、感づいてると思うのですが……」
ザック局長の顔が引きつっています。これだから小心者は困りますね……。
私はやれやれと首を振り、ザック局長へとゆっくり説明を行います。
「これはヴォルクスの治安維持にも必要な事です。冒険者達の暴走で、街やクランの活動に、支障が出ても良いのですか?」
「いや、それは不味いって、わかりますけど……」
「なら、感づいていても関係ありません。領主様はお金を出せば良いだけです」
「え、えぇ……」
言い切る私に、何故か引いた様子のザック局長。まあ、いつものやり取りですので、彼にこれ以上の説明はいらないでしょう。
「今の流入人数からして、スタッフ二名は欲しいですね。それと、用心棒には、上級職の戦士が一名いれば、当面は問題無いと思われます」
「うぅ……。予算、認めて貰えるかな……?」
ザック局長は頭を抱えて、悩んでいる姿を見せる。はらりと髪の毛が落ちた気がしますが、それは気にしなくて良いでしょう。
まあ、ザック局長は何だかんだで、いつも予算を取って来てくれます。後は任せておけば良いでしょうね。
「では、宜しくお願いします」
「うぅ……。メリッサさんは、いつも強引だなぁ……」
恨みの籠った視線が向けられます。しかし、ザック局長如きにどうこう出来るはずもありません。私は一礼すると、そのまま事務局長室を後にしました。
さて、それではいつも通り、『白の叡智』のクランハウスへと向かう事にしましょう。
勝手知ったる何とやら。私はクランハンスの扉を開け、一直線に厨房へと向かいます。そこでは、最愛の妹が、一生懸命に働いていました。
「メアリー、ご苦労様です」
「あ、お姉ちゃん! 今日もお昼食べて行くの?」
「えぇ、今日もお願いします」
「うん、ちょっと待っててね!」
メアリーはテキパキ動き続けます。今もシア達の昼食の仕込みをしていたのでしょう。その仕事ぶりに、私は満足して大きく頷きます。
そして、私は自分でお湯を沸かし、お茶の準備を始めます。これは、私が持ち込んだ持参品です。昼食の準備が出来るまで、いつもこうして紅茶を楽しんでいるのです。
こうしたノンビリした時間が持てるのは良い事です。これも、アレク様の専属マネージャーとなった特権ですね。
そして、私がダイニングルームで寛いでいると、三名の人物が入室して来ます。リア、シア、カイルの薬師トリオですね。彼等は私に気付くと、慣れた様子で席に着きます。
「紅茶、頂きますね~」
「ええ、遠慮無く」
おっとりした妹のシアが、私の用意した紅茶へ手を伸ばします。そして、三人分のカップを用意し、それぞれに紅茶を配ります。気遣いも出来る様で、とても出来た子です。ただ、咄嗟の判断が出来ず、オッチョコチョイな所が玉に瑕ですが。
「ポーション作りは順調ですか?」
「はい、お陰様で順調です。課題となっている魔術の習得も、滞り無く……」
「それは、何よりですね」
リアとシアは、アレク様から課題を出されています。それは、黒魔術と白魔術の習得です。彼等の目指す上級職には、必要となる能力だからです。
その為、最近は午前中にポーション作りを行い、午後からは森へ修行に出ています。勿論、彼女達二人だけで、魔物の相手は厳しい物があります。その為、アレク様へは冒険者を雇っている事になっているのですが……。
「メリッサさんも、物好きっすよね……」
「ふふっ。趣味でやっている事ですから」
カイルが呆れた目で、私の事を見ていました。まあ、彼からしたらそうでしょうね。私には何の得も無いのですから。
しかし、リアとシアは嬉しそうに笑みを浮かべる。そして、私に向かって感謝を告げて来ます。
「でも、助かっています……。メリッサさんなら安心出来ますので……」
「うん、緊張しなくて良いよね~。私もメリッサさんで良かったです~」
リアとシアに対し、私は笑顔で頷いておく。彼女達はそれだけでニコニコと笑みを浮かべる。
そう、私は午後から、リアとシアの修行に同行しています。前衛の剣士として、彼女達を守る役割です。
元々、修行を始めるに当たり、二人からは冒険者の斡旋を依頼されました。信用できる冒険者を、一名紹介して欲しいと。しかし、それ程都合の良い冒険者も中々いません。代わりに提案したのが、午後から私が手伝うという物でした。
……勿論、何の打算も無く、こんな提案は行いません。私の目的は、二人からクランの内情を探る為です。心を許した彼女達は、実に良くアレク様の情報を教えてくれるのです。
しかし、三人はそんな私の内心を知りません。わざわざ私から、知らせる事でもありません。ですので、彼女達の前では、良い人で通す事にしているのです。
「お姉ちゃん、食事の準備が出来たよ! 手伝ってくれない?」
「ええ、構いませんよ。それでは、準備を始めましょう」
「あ、私も手伝います……!」
「うん、私も手伝うよ~」
「……しゃあねえな」
私が率先する事で、残された三人も席を立ちます。リアとシアは私を慕ってくれていますし、カイルは何だかんだで優しい性格です。私が働いているのを見て、ジッとはしていられないでしょう。
そうして、私がゆっくり皿を運ぶ間に、周り皆が準備を終えてくれます。いつも通り大した労力を掛けず、美味しいご飯にあり付く事が出来ました。このクランは、色々な意味で実に良い環境ですね。
リアとシアの修行を終え、彼女達をクランハウスまで送り届けます。そして、時間は既に遅くなり、街は夕暮れ時となってしまいました。
特に用事も思い付かない為、私はクラン事務局の寮へと直帰します。寮はスタッフが安く利用出来る施設で、半年前まではメアリーも利用していました。独り身でお金の無いスタッフは、大体この寮を利用しています。
正直、私は冒険者時代の貯えも有り、家を借りる事も可能ではあります。この寮を利用するスタッフでは、私が最高齢だったりもします。しかし、一人暮らしは部屋を持て余しますし、何よりも掃除が面倒ですしね……。
そんな感じで愛用している寮へと、私は帰る事にしました。まあ、もうしばらくは使い続ける事になる予定です。
「ふむ、誰も帰っていない様ですね……」
流石に事務局が業務時間ですからね。他のスタッフは、まだ働いているのでしょう。私は無人の廊下を通り、自分の個室へと向かいます。
そして、自室の扉を開き、中へと踏み込みます。そこはいつも通り、ベッドと小さな机が置かれただけの部屋。その他に、家具や調度品は用意していません。
私はクローゼットを開き、部屋着へと着替えます。予備はありますが、制服を汚す訳には行きません。このスーツも、それなりに高価な代物ですからね……。
安物の私服へ着替え、私はベッドに横になります。そして、天井を眺めてぼんやり考えます。
「静かですね……」
ミリム達が帰ってくれば、もう少し騒がしくなるでしょう。夕食時になれば、ミリムが誘いにも来るはずです。
……しかし、今の私はどこか虚しさを感じてしまいます。一人っきりで、ベッドに転がるこの状況に。
この感情は、『白の叡智』が成長する事で、より大きくなっています。一人の時間にはいつも、アレク様やリア達と過ごした時間を、思い出してしまうのです。
――私もクランメンバーだったなら。
それは、常に心の中にある欲求です。叶わないと知りつつも、頭の片隅から消せない願望です。あそこまで成長したクランに、私の居場所は既に無いですからね。
「ふう……納得したはずなのですが……」
賢者様との冒険を夢見て、冒険者として過ごした日々。騎士転職の挫折と、賢者様探しの断念。そして、せめてサポート役ならと思い、クラン事務局へ転職したあの日……。
何故、今になってアレク様は現れたのでしょうか? アレク様が後五年早く生まれていれば、私もあの中に入れたかもしれないのに……。
「何とも未練がましい……」
そんな私に自己嫌悪を感じてしまいます。アレク様が現れたあの日、私はあれ程喜んだというのに……。
確かに一番目の望みは叶いませんでした。しかし、二番目の願いなら叶ったではないですか。賢者様の力となり、その活躍をサポートするという夢が……。
「もっと、若ければ……」
虚しさの理由は、年齢も関係しているでしょう。私は今年で二十三歳。親からは何度かお見合いの打診も来ています。
しかし、アレク様と出会った今では、今更としか思えません。今の私は少しでも長く、アレク様と関わっていたいのです。
それに、妹のメアリーは、アレク様を狙っています。将来、妹がアレク様と結婚する。それは姉として喜ばしいこと。応援しない訳にはいかないでしょう。
ただ、問題があるとすれば、妹のアンナ様でしょう。その固いガードを、如何に潜り抜けるかですが……。
「羨ましい……」
姉として、妹を応援したい気持ちは本物です。しかし、恋にひた向きな妹に、嫉妬する気持ちも偽る事が出来ません。
「私が後五年若ければ……」
それは言っても意味が無いこと。私とアレク様には、八年という年の差があります。それを覆す事は、容易な事ではありません。しかも、アレク様には、強力なライバルも多そうですしね。
だが、思い浮かぶのはアンナ様です。私と同じ年の差を持ち、それでも諦めていない存在です。
「三年の制限は見事でしたね……」
今の状況では、あれがアンナ様の取れる最善手。時間を引き伸ばせば、それだけ状況は彼女の有利になる。そして、三年という長さが、周囲への牽制として、絶妙な効果を発揮するのです。
アレク様は恋人を失ったばかり。そして、妹の面倒を見る必要がある。その二つからしても、周りが納得するだけの期間です。逆にそれを待てない場合、周囲からは白い目で見られる事になります……。
アンナ様はあの若さで、実に強かです。これからの三年間で、アンナ様は様々な手を打って来るでしょう。私個人としては、その活躍も密かな楽しみではあります。
「しかし、アンナ様は正妻狙いでしょうか……?」
恐らく、狙ってはいるでしょう。しかし、それが難しい事も理解しているはず。
何故なら、アンナ様はアレク様の妹です。義理とはいえ、アレク様がそれを無視し、アンナ様を娶る事は考え難いですからね。
とはいえ、それで諦めるとも思えません。諦めが付くなら、始めからアレク様を狙う事は無いでしょう。
アンナ様は末恐ろしい程に賢い子です。第一希望が駄目な時を考え、第二、第三希望も考えているはずです。仮に結婚が無理な場合、それならせめて……。
「子供だけでも……欲しい……?」
その考えに至り、私は強い衝撃を受けます。今まで何故、その考えに至らなかったのかと。
「そうです……子供だけでも……」
アレク様の子供を授かる……。何と素晴らしい考えでしょう!
子供を授かれば、次代の英雄に育てる事も出来る。アレク様も私達親子を無下には扱わないでしょう。
それに、私には十分な蓄えもある。いざと言う時も、生活には困りません。つまり、何の問題も無いという事です!
「ふ、ふふふ……」
アンナ様が居る以上、正妻はまず無理です。そして、第二、第三婦人も難しいでしょう。狙うとするなら……。
「愛人、ですね……」
それならば、まだ十分な可能性があります。アンナ様もサポートと交換条件なら、きっと認めて頂けるはず……。
私は自分の腹部を撫でる。いずれ迎える、アレク様の子を想像し……。
「ふ、ふふっ……。楽しくなって来ましたね……」
一人の部屋で私は笑う。薔薇色の未来を思い、そこへと至る道を考えながら……。
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